街と城を守るための城壁に立ち、イグラシオは東南に陣を構える軍隊を見下ろした。
 白い軍旗とその中央に模された鷲の紋章に、その軍隊がハイランド王国の物であることに間違いはない。
 なんの前触れもなく現れた一国の軍隊と、タイミング同じくして起こった領民の一斉蜂起に、イグラシオは渋面を浮かべた。

 ――――――タイミングが良すぎる。

 そうは思うのだが、それを確かめることは今のところ重要ではない。
 少なくとも今一番重要なのは、ハイランドの陣営から行軍を始めた師団を警戒し、トランバンへと攻めてくるようであればこれを撃退することだ。
 本当であれば城壁にある4つの門へとまわり、それを囲む暴徒の鎮圧へと向かいたい所だったが、戦力の嵩がしれている領民と他国の軍隊とを比べれば、自分が対峙すべき相手は他国の軍隊であった。
 気にはなるが、暴徒の鎮圧は他の騎士に任せるしかない。

 眼下に近づき来る軍隊をイグラシオが睨んでいると、城壁の階段を駆け上がってくる重い足音が聞こえた。

「団長!」

 鉄の擦れ合う鎧の音を響かせながら一人の伝令兵がイグラシオの背後に立つ。
 伝令兵は乱れた呼吸を整えることなく、一息に言葉を発した。

「西門を暴徒に突破されました!!」

「何だと!?」

 伝令兵の持ってきた知らせに、イグラシオは自分の耳を疑う。
 暴徒とはいえ、もとはただの農民。鍬を持つことには慣れているが、剣を持った騎士を相手に勝利を掴むことは不可能だろう。事実、イグラシオはこれまでも暴徒を鎮圧してきた。領主への不満を爆発させ、群れた領民からは鬼気迫る物があったが、やはり個々の力は弱く、剣を持った騎士に鎮圧できないものではい。そのはずだ。が、自分の元へと知らせを持ってきた伝令兵によると、その目算も通用はしないらしい。

「ハリルはどうした?」

 西門へと暴徒の鎮圧に向かわせた騎士の名をあげ、イグラシオはハイランド軍から視線だけを伝令兵へと移した。

「はっ! 西門で暴徒を先導していた例の女盗賊に手間取り……」

「討たれたのか?」

 伝令兵の言葉にくだんの女盗賊ヒルダを思い出し、イグラシオは憎々しげに眉根を寄せる。
 いかに閃光騎士団による盗賊討伐を潜り抜けてきた女盗賊とはいえ、エンドリュー、ヒックスに継ぐ実力者のハリルが盗賊に遅れを取るとは考え難い。

「いえ、その……」

「どうした?」

「は、その……」

 なにやら言い淀む伝令兵に、イグラシオは視線だけではなく体ごと向き直り――――――東門から別の伝令兵が鎧の音を響かせながらイグラシオの元へと走ってきた。

「団長! 東門が『内側から』破られました!」

 先程の報告よりも情報の多い『報告』に、イグラシオはこれ以上寄らないのではないかと思われるほど眉を寄せる。
 今、何かおかしな言葉を聞いた。
 聞き間違いか? とも思ったが、耳が拾い取った単語に、イグラシオの思考は奪われる。
 伝令兵の報告の、意味が解らない。
 いや、伝えたい事は判る。東門が暴徒に突破されたのだ。
 が、その方法となると――――――少々理解しがたい。

 眉を寄せたまま耳を疑っているらしいイグラシオには気づかず、先に伝令を持ってきていた兵は『自分と同じ知らせ』を持ってきた伝令兵に安堵のため息をもらす。
 そしてあまりのことに言い出しにくかった『報告』の続きを、イグラシオの耳に届けた。

「西門も『トランバン市民の手により』、『内側から』破られました!」

 城壁とは、本来外敵から街と城を守るためにある。
 その城壁を、内側の人間が暴徒を迎え入れるために開こうとするなどと、誰が考えるだろうか。

 二人の伝令兵の持ってきた『報告』に、イグラシオは軽い眩暈を覚えた。
 つまりトランバンの城壁に守られた市民たちは、護衛を勤める自分達閃光騎士団ではなく、外側の暴徒を選び、自ら受け入れたのだ、と。
 閃光騎士団に領主ごと守られて今のままの暮らしを続けるよりも、外からの暴徒を受け入れ領主を排除することを選んだ。

 領主と己の人徳のなさを痛感させられ、イグラシオは渋面を浮かべて視線をハイランド軍へと戻す。

 前方からは一国の軍隊。
 後方からは暴徒と化した領民。



 絶妙なタイミングで前後を挟まれ、イグラシオもまた決断を迫られた。