天幕を張ったハイランド陣営から、はまだ遠くに見えるトランバンの城壁を見つめる。
 距離はあったが、のいる位置からでも中央に聳えたつ城が見えた。トランバン城の周りには市街があり、その周囲をぐるりと堅固な城壁で守っている。城壁の周りには流通の要となる4つの門があり、その一つである西門周辺を見つめ、は目を細めた。

 スッと一筋の白い線が地表から空へと登る。

「……始まった」

 白い線は、のろしだ。
 距離がありすぎての目には『線』としか映らないが、近くで見ればただの煙だろう。
 『作戦』の開始を告げるのろしに、はそっとため息をはく。

 ハイランドへと向かっていた時は、歩きでの旅程に随分時間がかかると思っていたが、帰りはそうでもなかった。というよりも、やるべき準備が多すぎて時間経過を感じる暇もなかったといった方が正しい。
 あのウェインとの会談が成った後、目まぐるしく事態は動いた。
 ヒックスは早々にハイランド軍へと従軍を決め、ウェインと諍いを起していたはずのヒルダもまた、領主を討ってくれるのならと盗賊団ごとハイランド軍への協力を申し出た。ヒルダは盗賊団の身軽さと機動力を活かしてトランバン領内の村々を巡り、ハイランド軍との連携を促した。が徒歩で旅をしている間に季節は収穫期を向かえ、それを根こそぎ領主に奪われたばかりの領民たちは簡単にまとまった。元々、義賊として領民に人気のあったヒルダが動いていたことも大きい。

 領主に反意を持つ領民を一斉に集めての蜂起。
 そして、そこにハイランド王国という一国の軍隊が加わり、これまでの『蜂起』とは規模も戦力も桁が違う。
 いかに領主が搾取した税金で傭兵を雇おうとしても、四方の門を塞がれてしまっては外から新たに傭兵を雇用することもできない。

 今回の蜂起は、『必ず』成功する。






「んじゃ、。俺もそろそろ行ってくるわ」

 一人の武将としてウェインから師団を預かったヒックスが、背後からに声をかけてきた。
 『お嬢ちゃん』から『』と呼ばれるようになってから、まだ日が経っていない。
 ヒックスの中でどのような心境の変化があったのかは解らないが、とても『お嬢ちゃん』といった年齢ではないからしてみれば、少しだけ嬉しい変化だった。

「気をつけてくださいね」

「おうよ」

 そう答えながらヒックスはの隣に並ぶ。
 遠く見えるトランバンの街を見つめ、感嘆のため息を洩らした。

「それにしても……あの人数を、全部囮に使うかね、ホント」

 城壁周辺に見える黒い斑点―――点にしか見えないが、あれは領民たちの頭だ―――を見つめながら、ヒックスは眉をひそめる。領民を囮に使うと言い出したのは、のんびりとした雰囲気を纏ったあのウェインだ。

「戦力を分散させるのが目的だそうですから」

 黒い絨毯のように広がる城壁前を見つめ、も苦笑いを浮かべた。
 可能な限り犠牲を少なくしたいというに対し、ウェインが提案した事が『領民を囮に使う』という案だった。少し聞いただけでは真逆の発想だとしか思えなかったが、イグラシオと閃光騎士団の性質を突いた作戦らしい。わざわざトランバン城から見える位置に隠れることなくハイランド軍の陣営を構えていることにも、実は意味はある。

「あとは、トランバンの市民がどう動くかで、犠牲者の数が変わってきます」

 ウェインの思惑通りに動いてくれる事を祈り、は領民に囲まれたトランバンの中にいるイグラシオを想う。
 トランバン市民に犠牲が出れば、イグラシオが苦しむ。
 それは解っている。が、放っておいてもボルガノの欲の犠牲者が出てしまうのだ。多少の痛みを伴ったとしても、悪い膿は早めに取り除いてしまうに限る。

 のろしに続いて土煙の登り始めた城壁周辺に、はウェインの言葉を思い出した。
 領民を囮にするという作戦を語った後、ウェインはにこう言った。

 イグラシオ殿と話がしてみたい、と。

 という事は、ウェインにイグラシオの命を奪う気はない。
 後はイグラシオが我を張らず、ウェインに折れてくれることを祈るしかなかった。