次々に捕縛され連行される盗賊や、手傷を負って救護用の天幕へと運ばれる兵士を見つめるとウェイン横で、ヒックスが小さく口笛を吹いた。

「さっすがはハイランドの正規軍。手際がいいねぇ」

 感心しているらしいヒックスを、は首を傾げて見上げる。
 は『ゲームをやったから』ハイランド軍だと判ったが、ヒックスはハイランド軍を見たことがあったのだろうか? と。

「お嬢ちゃんの言ったとおりだったぜ。
 あれはハイランドの紋章だ」

 の視線を受け、それに答えるようにヒックスは白を基調とした軍旗を指差す。はヒックスに促されるまま鷲が模された白い軍旗を見てから、再び戦場へと視線を戻した。
 次々と重傷者や捕縛された盗賊が引き離されてくる戦場に、異変が起こっている。
 異変――――――というよりも、騒ぎの『移動』だろうか。ややヒステリックに叫ぶ女性の声が風に混ざっての耳に届いた。思わず耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が聞こえるが、声の主には心当たりがある。

「あ……」

 しばらくハイランド軍の陣営で待ち、『騒ぎ』の元凶がウェインの前へと引きずり出されてくるのを待って、は予想通りの人物に瞬く。
 捕縛された艶のある金髪を赤いバンダナで押さえた女性は、やはり遠目に見た通りヒルダだった。

「あんた……なんでこんなトコに……」

 とばっちり目が合い、ヒルダの方もがハイランドの陣営にいることに驚いたのか、しきりに瞬く。
 捕縛されて王の前へと引き出されたというのに、王ではなく戦場に侵入してきた珍客に気を取られた盗賊に、老神官は不快気に咳払いをする。

「控えよ!」

 居丈高に響く老神官の声に、ヒルダは自分の立場を思いだした。すぐに眦を吊り上げ視線をから老神官へではなく、ウェインへと移す。
 言葉を発したのは確かに老神官であったが、この場の『支配者』が誰であるかを見誤るヒルダではなかった。

「ふん。いったい、あたしをどうしようってんだい?
 投獄かい? 処刑かい? 好きにするがいいさ!」

 あたしは恐れやしないよ、と唾を吐いて毒づくヒルダに、は眉をひそめる。

「トランバンの犬め!」

 そう言葉を吐き捨てるヒルダに、はこめかみを押える。
 予想通り、ヒルダとウェインの間の諍いは、誤解から生じた物らしい。それもヒルダの一方的な思い込みが原因だ。
 はそっと隣に立ったままのウェインを盗み見る。
 幸いなことに、それほど気分を害した様子はない。
 ただ、少し困惑気味に眉をひそめているところが、逆に気の毒でもあった。彼にしてみれば、ヒルダの言葉は身に覚えのない罵倒であろう。

 さて、どう取り成したものか? とが眉をひそめると、老神官の深いため息が聞こえた。

「こちらにおわすお方はハイランドの王、ウェイン様じゃ」

 ハイランド王国の王。
 つまり、トランバンとは何の関係もない人物である。

 老神官もヒルダの言葉から誤解があると気がついてくれたらしい。
 呆れを多分に含んだ老神官のため息にはホッと胸を撫で下ろし、老神官の言葉の意味と目の前に立っている金髪青年が誰であるかを理解したヒルダは、急速に興奮を鎮めた。

「ハ、ハイランドの王様!
 すまない、悪かったよ。あたしの勘違いだ」

 いったい何をどう勘違いすれば閃光騎士団とハイランド軍を間違えられるのかはわからなかったが、素直に誤解と認めたヒルダに老神官は微かに頷き、視線をヒルダからへと移す。
 突如陣の中へと走りこんできた娘と、それを追って現れた騎士。その正体は、いまだ不明である。

「それで、……おぬしはこの女盗賊の仲間か?」

 不意に話を振られ、は瞬く。
 それから別段隠し立てをする必要もないので、老神官の質問に素直に答えた。

「いいえ。知り合いではありますけど。
 以前、ヒルダさんのお仲間が怪我をした時に……」

「そうだ! あんたがいるなら話は早い!」

 の言葉を遮り、ヒルダが一歩足を踏み出す。すかさずウェインの護衛騎士が動き、ヒルダの体を捕らえた。が、ヒルダは両肩を押さえつける護衛騎士には屈せず、ウェインではなくへと言い募る。

「お願いだよ、
 あんたの力で、ロックの奴を癒してやっておくれよ」

 ロックという名前に、は孤児院を出てすぐにヒルダの仲間の怪我を癒し、その際に出会った青いバンダナの盗賊を思い出す。
 交わした会話こそ少ないが、彼がヒルダの手綱役を担っていることは解った。そのロックが、ヒルダが捕縛され王の前に引きずり出されているというのに、この場にいないのは確かにおかしい。
 姿の見えないロックにが眉をひそめると、ヒルダはそれに構わず続ける。

「そっちのノッポの騎士様にやられて、ヤバイんだ」

 そっち、と表現された方向へ視線を動かし、黒髪の騎士の姿を見つける。
 こちらの騒動が聞こえているのか、聞こえていないのかは解らなかったが、騎士は黙々と兵士達に指示を出していた。その指示に従い、盗賊は捕縛され、怪我人は救護用の天幕へと運ばれていく。背を向けられているため顔は判らなかったが、おそらくは彼が『ソマリオン』だろう。まっすぐに伸びた黒髪は長い。

「えーっと……」

 ヒルダの要望は解った。
 としても異論はないし、断る理由もない。
 が、一つ問題がある。
 ヒルダはハイランド軍と諍いを起して、負けた。ウェインが自由に発言を許しているためにヒルダは言いたい放題物が言えているが、本来『この場』の支配者はウェインだ。はヒルダの味方でも、ウェインの敵でもないとはいえ、ハイランド陣営に足を踏み入れている間はウェインの意向を無視することはできない。

 ハイランド軍の陣営を勝手に徘徊し、敵であったはずの盗賊を癒しても良い物だろうか――――――?

 は困惑し、ノルンへ視線を移す。
 渋面を浮かべた老神官は、再びため息をはく。ヒルダの申し出を許可してくれるのだろうか? そうが首を傾げると、許可はの隣から下りた。

「誤解も解けたようだし、頭目もこの通り捕縛されている。
 彼らも、これ以上は暴れないだろう」

 苦笑混じりのウェインの言葉に、は瞬く。

「それじゃあ……」

「ああ。盗賊達の治療をしても、構わないよ」

「ありがとうございます!」

 色よいウェインの言葉に、は顔を輝かせて礼を言う。その笑顔につられたのか、ウェインも苦笑を微笑に変えた。

「ニーナ。彼女を怪我を負った捕虜たちのもとへ案内してやってくれ」

「はい」

 名を呼ばれ、静々と進み出た白い外套の女性―――彼女も『ゲーム』にいた『キャラクター』だ―――には一瞬またたく。土埃の舞う戦場にあっても美しく咲き誇るニーナの美貌に、の背後から―――つまり、ヒックスの唇から―――賞賛の口笛が聞こえた。

「……重傷者はこちらです」

 花が綻ぶような微笑みを浮かべながら促すニーナに、はほんのりと頬を染めて従う。
 ヒックスの賞賛も、無理はない。
 『ゲーム』をしている時はあまり気にも留めなかったが、ニーナはかなりの美人だった。






「彼女は、僧侶なのかい?」

 救護用の天幕へと連れ立って歩く娘二人を見送り―――そう『見送った』。ニーナの美貌に見惚れ、ヒックスはに着いてこの場を離れる機会を失ってしまった―――後には捕縛された女盗賊とハイランド王、その重鎮、その他護衛騎士が残るのみ。その最中に取り残され、ヒックスは軽く頭をかく。

「あー、いや……」

「先ほど、彼女の力がどうとか言っていたようだけど……」

 言葉を濁すヒックスに、ウェインは微笑みを浮かべたまま続ける。
 ウェインにはそんなつもりはなかったのだが、ヒックスにはそれが逃げる事のできない脅迫に思えた。
 救いを求めるように視線を泳がせては見たが、と美女の姿はすでにない。誤解が解けたとはいえ、『盗賊』であるヒルダは再び何処かへと連行された。剣こそ抜いてはいないが、いつでも抜刀するぞとばかりに柄から手を離さない護衛騎士に囲まれ、穏やかに微笑む『ハイランド王』とその重鎮に挟まれて――――――ヒックスは腹を決めた。
 の能力など、隠しておく必要はない。
 癒しの力を持つ僧侶と知られれば、道中の賊避けになったのと同様の理由で身の危険も減る。
 ただし、相手は一国の軍隊だ。従軍を求められる危険性もある。

「……正式な聖職者って訳じゃねーですが、
 癒しの奇跡を使えることは確かです」

 可能な限り言葉を選び、ヒックスはそう答える。
 なんとなく居づらい。
 辞めたとはいえ元騎士として、本来ならば仰ぐべき立場にある高貴な存在に気さくに話しかけられるというのは、なんとも居心地が悪いものだった。

「……それで、貴殿はどこの騎士なんだい?」

 人の良い笑みを浮かべたウェインからの鋭いツッコミに、ヒックスは頬を引きつらせる。
 のほほんと微笑んでいるのは実は偽装で、案外油断ならない性格をしているのか――――――とも思ったが、のんきなウェインの微笑みを見ていると、ただの天然な気もしてくる。
 どうにも居づらい。居心地が悪い。
 のらりくらりと交わすのは得意だが、それを他人にやられるのは苦手だ。
 どうにか目の前の男を煙に巻いてを追いかけるなり、なんなりと逃げ出したい。

「ただの傭兵とは思えない身のこなしだけど……」

「それは……」

 身のこなしも何も、ウェインの前で剣を抜くなど特別なことをした覚えはない。
 を追いかけ、追いつき、捕まえて、場を離れようとしただけのはずだ。

 のんびりとした笑みを浮かべる『ハイランド王』に、ヒックスは内心で白旗をあげた。