一軒の家の前に案内され、は促されるままに寝室へと入った。
むせ返る濃い血の匂いには一瞬だけ眉をひそめ、燭台の明かりに照らされた室内を見渡す。
夫婦の寝室なのか、2つあるベッドの一つに男がうつ伏せに寝かされている。その横には看病をしている女性が一人立っていた。おそらくは、を呼びに来た男の妻だろう。
は男の寝かされているベッドに近づき、見下ろす。
どうやら、一番大きな傷は背中にあるらしい。顔を含め包帯はほぼ体中に巻かれているが、背中に巻かれた白い包帯が、血を吸って赤く染まっていた。赤黒く変色している箇所はない。ということは、男の血はいまだに止まらず、新鮮な血が流れ続けているということだ。
「……っ!」
うつ伏せに寝かされているため、顔の見えない男の惨状には目を伏せる。
普通であれば助からない怪我だと、素人目にも判った。
「頼むよ、シスター。こいつは俺のダチで……」
「やってみますっ」
家畜小屋まで自分を呼びに来た男の言葉を途中で遮り、はベッドに横たわる男の背に手をかざす。
一分一秒を争う時に、嘆願など聞く意味もなかった。
は背に手をかざしたまま、軽く目を閉じる。両腕に女神を現出させることにも慣れてきた。
一度でも女神の力を借りることに成功し、その回数を重ねるようになると――――――何故『癒しの奇跡』を扱える人間が少ないのかが、逆に理解できなくなる。
少なくとも、が助けを請う女神アステアはとても優しい存在で、請われればすぐに無償の愛を持って力を貸してくれた。
は怪我人にかざしていた手を下ろし、心の中で女神に感謝を捧げる。力を借りるほどに強さを増す『癒しの奇跡』は、治癒にかかる時間もだんだん短くなってきた。
「……終わりました」
がそう告げると、男とその妻はホッとため息を洩らし、ベッドに横たわる男を見下ろす。その視線につられ、は再び横たわる男へと視線を移し――――――僅かに既視感を覚えて眉をひそめる。が、包帯の巻かれた男の顔からは既視感の正体が判らず、は口を開く。
「この人、呼吸がしやすいように仰向けにしてあげてください」
「あ、ああ……」
に促され、男は怪我人の呼吸を確かめて安堵の笑みを浮かべた。
先ほどまでに比べ、随分と呼吸が楽になっている。
男はに背を向け、怪我人の体を仰向けにし――――――上を向いた見覚えのある顔に、は瞬く。
「……って、ヒックスさんっ!?」
一瞬だけ驚き、は怪我人の枕元に立つ。見間違いではないかとまじまじと顔を見つめて確認してみるのだが、燭台の明かりに照らされた男の顔は、どう見てもの知っている顔だった。
「シスター、こいつと知り合いで?」
「え? あ、はい……知り合いです」
驚いて声をあげた後、怪我人の枕元へと移動したに、を呼びに来た男は瞬いて首を傾げる。
「うっ……」
怪我人がいると呼ばれ、いざ治癒を行ってみたら、その相手は知り合いでした。
そう驚いて瞬くと、を呼びに来た男の下から小さく呻く声が聞こえ、2人同時に息をのむ。それからすぐにうめき声の発生源―――ヒックス―――に二人同時に視線を落とした。
「ヒックス! 大丈夫かっ!?」
呻きながらも薄目を開けて周囲を見渡すヒックスに、男は安堵の笑みを浮かべる。
「……ここは?」
ヒックスはゆっくりと辺りを見渡すが、見覚えはない。
いや、古い記憶を探れば微かに見覚えがあるような気もした。
自分を覗き込んでいる男の顔にも見覚えがある。長く会ってはいなかったが、幼馴染が成長したらこんな顔になるだろう。そう思い至り、ヒックスは眉をひそめた。
そうだ。目の前で自分を覗き込んでいる男は、間違いなく自分の幼馴染だった、と。
「何寝ぼけたこと言ってんだ。おまえの生まれた村だろ?」
「そうか……」
安堵の笑みを苦笑へと変えた幼馴染に、ヒックスはベッドに横たわったまま自分の手を見つめた。血が滲んでいる包帯が巻かれていたが、痛みはない。多少気怠い気はしたが、それだけだ。
「……今度ばかりはダメかと思ったんだが」
自分に対して剣を振り下ろした男の顔を思いだし、ヒックスは眉をひそめる。
自分が対峙した男は、たとえ知り合いであろうとも戦場でまみえた相手に手心を加えるような男ではない。その豪腕から振るわれる剣を受け、間違いなく致命傷を負わされたはずだが、自分は生きている。それも、少し気怠いと感じる程度で。
じっと自分の手を見つめ、開いたり閉じたりと体の調子を確かめているヒックスに、幼馴染はヒックスの疑問に答えを提示した。
「癒しの奇跡を使えるシスターが村に来てるって聞いたから、来てもらったんだ。
おまえの知り合いなんだろ?」
「俺の知り合い?」
幼馴染の言葉にヒックスは眉をひそめる。
そしてその背後に、幼馴染が自分の顔を覗き込んでいるために隠れていた修道服姿の娘を遅れて見つけた。
馴染みのない色の修道服を着てはいたが、黒髪に黒い瞳の娘には見覚えがある。
「……なんで、あんたがここにっ!?」
驚きのあまり反射的に体を起こし、ヒックスは貧血からすぐに前のめりに体を曲げた。
それを横で見ていたは瞬き、静かに告げる。
「出血が凄かったみたいですから、
しばらくは安静にしていた方がいいと思いますよ?」
に医学の知識はないが、包帯を見る限りヒックスの出血は相当なものだ。おそらくは貧血だろうと判断し、そう告げる。傷口は女神アステアが塞いでくれたが、女神の治癒では失われた血までは戻ってこない。
広がることはなくなったが、相変わらず赤く染まったままの包帯を見下ろし、は眉をひそめた。
「……何があったんですか?」
村人の蜂起を煽っていたヒックスが負った怪我となれば、その答えはだいたい予想できた。村人や傭兵を使い、トランバンを強襲したのだろう。そして、そこで領主の護衛隊に返り討ちにあったのだ。
目を伏せたに、ヒックスは言い淀む。孤児院を出ているということは、は以前のように『何も知らない』訳ではない。イグラシオがしている『仕事』も、トランバン領内がどういう雰囲気に包まれているのかも知っているはずだ。そして、自分が太刀傷を負ったとなれば――――――答えは隠しようがない。
自分の顔と包帯を交互に見つめて言い淀むヒックスに、は自分の想像が間違っていない事を確信した。
「背中の傷は……」
「情けねーだろ? 騎士が背中に傷を……」
正々堂々と戦う事を旨とする騎士が、背中に傷を受けるということは、相手に背を向けた―――逃げ出した―――という証拠だ。
そう苦笑いを浮かべ、言葉を逸らそうとするヒックスをは無視した。
「イグラシオさん、ですか?」
騎士としての強さなど、には解らないが。
の中のイメージでは、騎士は傭兵よりも強い。やめたとはいえ、元騎士であるヒックスに致命傷を与えられる者など、イグラシオぐらいだろう。もしかしたらエンドリューでも可能なのかもしれないが、おそらくはエンドリューによる傷であれば、ヒックスは言葉を濁さない気がした。きっと、傷を負いながらも自慢げにエンドリューを誉めるだろう。そう思う。
じっと目を逸らさず自分を見つめるに、ヒックスは肺に溜まった空気をすべて吐き出すかのように深いため息をもらした後、覚悟を決めた。
「容赦なしだったぜ。さすが団長ってところだな」
「……そうですか」
予想はしていた言葉であったが、ヒックスの言葉にやはりの気持ちは沈む。
旅をする間、立ち寄った村で聞いた閃光騎士団の噂は、以前ヒルダに聞いたとおりの悪い話ばかりだった。
「お嬢ちゃ……」
「とにかく!」
そっと顔を逸らしたにヒックスは気遣わし気に口を開くが、逆にそれを遮られてしまう。
「今は休んだ方がいいです」
貧血から前かがみになっていたヒックスを手伝って頭を枕の上にのせ、はヒックスの額に手のひらを重ねる。僅かに熱い。
「熱があるみたいですし、傷口は塞がりましたが、
血をいっぱい失っていますから」
そう言いながら、は顔を上げてヒックスから体を離した。
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