「じゃあ、日が暮れるまでにはその村につけるんですね?」
「はい」
ヒックスの幼馴染とその妻から、心ばかりの朝食を振舞われ、出発のための身支度を整えたは孤児院から持ってきた古地図で現在地を確認する。
孤児院にあった地図は古く、今では廃村となった村が記載されていたり、逆に新しくできた小さな村が記載されていなかったりと、なかなかに頼りがない。ヒルダに会った際にそれを指摘され、彼女に解る範囲で修正をしてもらったのだが、やはりその付近に住む住民というのも心強い。なんといっても、村人の説明からは徒歩での距離感までもが得られる。それが心強かった。
ハイランドへの道筋に村を一つ追加し、が本日の旅程を確認していると、開いているはずのドアがノックされる。
「邪魔するぜ」
「ヒックスさん。もう起きてきて大丈夫なんですか?」
昨夜はぐるぐると巻かれていた包帯を全て取り去り戸口に立つヒックスに、は驚いて首を傾げた。
確かに、傷はアステアの力で塞がってはいるはずだが、貧血から回復するには早すぎる気がする。
「おうよ。お嬢ちゃんの癒しのお陰で、
傷自体はもう塞がってるしな」
「でも、傷は塞がっても、
血や体力は早々回復するものじゃないですよ?」
そう眉をひそめて注意を促すに、ヒックスは朗らかに笑った。
「元騎士様の体力を甘くみるなよ?
一晩ぐっすり寝れば、あれぐらいなんてことねーぜ」
胸を張ってそう主張するヒックスに、は苦笑する。
まだまだ本調子には見えないが、悪くないのも確かだろう。
「でも、まだあまり無理はしないでくださいね」
「わーてるよ」
ちくりと忠告するをヒックスは笑顔で交わしながら、部屋の中へと入って来た。
「それで、だ」
本題はここからだ。
朝食の終わったテーブルの上へと広げられた古地図に一度視線を落とした後、ヒックスはを見つめる。
「なんでムサリルの孤児院に居るはずのお嬢ちゃんが、
ここにいるんだ?」
「……わたしが孤児院を出るのって、そんなに不思議ですか?」
そういえば、街道で再会したヒルダにも同じ事を聞かれた。それを思い出し、は首を傾げる。
「不思議ってか……お嬢ちゃんがあそこから出て
生きていけるとは思わなかったからな」
ヒックスのに対する印象は、決して良い物ではない。
学問という意味ではそれなりに知識があって考える力もあるが、どこかのん気で世間知らず。生活力がなく、誰かの―――例えば、イグラシオや孤児院そのものの―――庇護下から出てしまえば、とたんに食料の供給源を失い、飢えて死んでしまうのではないか。
そんな最悪な印象しかない。
「で、なんだって孤児院をでたんだ?
余程の事情があるんだろ?
場合によっちゃ、力になるぜ? 助けられた恩もあるしな」
そう捲くし立てるヒックスに、は首を傾げる。
自分はただ、ハイランドまで行って、あとどのぐらい待てばイグラシオが開放されるのかが知りたかっただけだ。そこに深い意味も、思惑もない。
が、よくよく考えれば『王様』等という者にそうそう会えるはずがなかったし、王位継承の噂を聞きたいだけにしても、それだけではなんの解決にもならない。
ネノフにトランバンへ行けと背中を押され、イグラシオの為に何かできないかと、それだけで孤児院を出てここまで来てしまっていた。
今更ながら改めて気が付いた事実に、は首を捻る。
なにやら上機嫌に見えるヒックスには悪いが、彼が喜ぶような話をできるとも思えなかった。
「えっと……ハイランドに、行こうと思って」
散々悩んだ後、はは目的地だけをヒックスに告げた。
ハイランドまで行って、何をどうしたいのかまでは、の中で考えが決まっていない。
「ハイランド? あの騎士の国か?」
「……こう、なんていうか……?」
聞き返すヒックスに促され、は懸命に考えを纏める。
進められるまま、流されるままにここまで来てしまったが、目的地に到着するまでその状態に甘んじていては、着いた後でまた膠着してしまう。
がしたいことをもっとも単純に考えれば、イグラシオに恩を返すことだ。
役に立ちたいとまで贅沢は言わないが、自分にできることがあるのなら、なんでもしたい。
その恩のあるイグラシオには悩みがあり、悩み原因は悪評高い領主に仕えていることだ。
簡単に考えれば、早々に見限った方が良いのは誰の目にも明らかなのだが、『騎士道』を重んじるイグラシオには自分から『主』を捨てることができない。
そして、騎士とは弱き市民を守るものでもある。
忠誠を誓った領主は守らねばならないが、その領主を討たんと攻めてくるのも守るべき市民だ。
本心では守る価値がないと解っている領主を守るために、市民を傷つけている。
領主と市民の軋轢。
それがイグラシオ最大の悩みだ。
それを一つひとつ解いていくためには、まずはイグラシオ自身に腹を決めされなければならない。
「……動けないなら、動かざるを得ない状況にしてやれ? っていうか」
自分の答えに半信半疑ながら、はヒックスを見上げる。
自分の気持ちは決まっているが、それが正しいことなのかは解らない。が、以前自分がヒックスに言った『悩める時間があるうちは考える。考えて、考えてだした答えに従う。それから後悔する』という言葉に従うことにした。
そう腹を決め、口から一応の形としての言葉を吐き出し、には一つ気がついたことがある。
自分はハイランドの状況が知りたいのではなく、ハイランドまで『次にイグラシオの主人となる』『ウェイン』を呼びに行きたいのだ、と。
「……すみません。うまく説明できない」
内に渦巻く理性と感情に混乱し、は軽くこめかみを押さえる。
ぐるぐると自分が混乱している事はわかったが、発言を撤回するつもりはなかった。
「……いや、良くわかった」
「え?」
自分でも自分の考えが解らないというのに、ヒックスにはそれが解ったらしい。
瞬きながら自分を見上げるに、ヒックスはニヤリと笑った。
「つまりは、ようやくお嬢ちゃんも
団長をなんとかしようと思ったわけだろ?」
「イグラシオさんをなんとかというか……」
言葉を区切り、は首を傾げる。
「……そうなんでしょうか?」
「違うのか?」
「わたしは、もうこれ以上イグラシオさんが辛いのは嫌です」
考えはキレイにまとまってくれなかったが、これだけは確かだ。自信をもって断言できる。
曖昧な言葉であると自身思ったが、意外にもヒックスはこれに納得したらしい。
満足げに微笑みと、ぐしゃぐしゃとの髪を撫で付けた。
「しっかし、顔に似合わず恐ろしいことを考えるな」
「はい?」
ヒックスの言葉の意味が解らず、は瞬いて見上げる。っと、ヒックスはが自分の発言の危険性に『気がついていない』ことに『気がついた』。
「……つまりは、ハイランドに自治領トランバンを売り飛ばすってことだろ?」
「売り飛ばすって、……わたしはそんな」
思ってもいなかった指摘をされ、は瞬く。
すぐにからかわれているのだろうか? とヒックスの顔を見つめ、顔は笑っているが真剣な目をしたヒックスに、はそれが冗談でもなんでもなく、言葉通りの意味なのだろうと実感した。
「他国の力を借りるってのは、つまりそういう事だ」
ハイランドへ行って軍を動かし、トランバンを占拠するということは、事実上ハイランド王国による自治領トランバンへの侵略行為に他ならない。
「わたしは、ただ……」
願っていることは、イグラシオの安寧。
それだけだ。
が、は改めて考えてみた。
『ゲーム』では『そういうゲームなのだから』となんの疑問も感じていなかったが、『ドラゴンフォースというゲーム世界』の中において存在する『星竜の戦士を集める』という『主人公たちの大義名分』も、そこで生活を営んでいる名もなき住民たちからしてみれば単なる『侵略戦争』だったのだろう。『システムなんだから』とまったく気にしていなかったが、よくよく考えてみれば城を落とした際には旗の色が変わっていた。
急に言葉を濁して沈黙するに、ヒックスは肩を竦める。
少しからかうつもりで言ったのだが、本当にそこまで考えていなかったとは思わなかった。
という娘は、抜け目ないように見えて抜けている。のん気に見えて、どこか賢しい。掴みどころのない娘だった。
「まあ、ハイランドに着くまで、考える時間はたっぷりあるさ」
「……」
すでに思考に沈んでいるのか、黙ってしまったにヒックスは自分の頭を掻き毟る。
不味いことを言ってしまった。
気づかせなければ、いいように利用できたかもしれないのに。
が、さすがにそれは教えておかなければいけない事でもあった。
「……ハイランドまでは、俺も一緒にいってやるからさ」
「え……?」
考えに沈んでいたであったが、付け足されたヒックスの言葉に思考を中断させる。
驚いて目を丸くしたを見て、ヒックスは苦笑を浮かべた。
今の驚きすぎているの表情は、心外でもあった。
「お嬢ちゃんには世話になったしな。
一人旅よりは安心だろ? それに……」
「それに?」
首を傾げて続きを促すに、ヒックスは少しだけ考えてから、当たり障りなく言葉を濁す。
「ボルガノは気にくわねぇが、ここはやっぱり俺の故郷だからな。
やっぱ、自分でなんとかしたいだろ」
一瞬幼馴染の顔を見間違えるほど『ご無沙汰』な故郷ではあったが、とってつける理由としてこれ以上に相応しい物はない。試しに視線を落としてを見ると、彼女はすっかりそれを信じたのか、それ以上の追求はしてこなかった。
ただ神妙な顔つきに、視線を落としてまた何か考え始めたことは判る。
ヒックスはそれを止めようとは思わなかった。
ハイランドに行く。
そう言ったには、必要な思考だ。
それに、の思考はイグラシオの悩みとは違う。長い時間をかけずとも答えにたどり着くものだ。
あとはその考えの途中、邪魔をしないようにハイランドまでの旅路を支えてやれば良い。
きっと、それはイグラシオにとっても、自分にとっても悪い方向へは進まないはずだ、とヒックスは確信していた。
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