深夜の礼拝堂にあつまり、交わされた集会の内容は、同席していようともに口の挟める物ではなかった。

 曰く。
 以前ネノフが言っていたように、今年の収穫は大豊作とはいえないが、まずまずの出来だ。このままならば、冬を越すには問題がない。
 が、それを知った領主が税を吊り上げた。
 これでは昨年よりも生活が苦しくなる上に、冬を越せない者も出てくるだろう、と。

 集会の進行を壁際で見守りながら、は目を伏せる。
 孤児院へはイグラシオが小麦等を運んでくれるため、そこまで酷い状態という実感はなかった。確かに孤児院での食生活は豊かではなく、日本に居た時のように一日三食を食べることはなかったが、ここでの太陽と共に暮らす生活でならば空腹も我慢できないものではない。だが一歩孤児院を出て、イグラシオの援助のない村人となると――――――同じ村の中だと言うのに、日に一食の食事すら確保できない者もいるらしい。どうりでイグラシオが頻繁に食料を運んでも、子ども達が満腹になるまで食べられないはずだ。弟妹のためにと運ばれたイグラシオの寄付は、ネノフの手により村人にも振舞われている。イグラシオもそれを承知はしていた。

 では、さらに範囲を広げて考えるとどうなのだろう――――――?

 浮かんだ答えに、は眉をひそめた。
 イグラシオのような余裕のある人間が、そうそういるはずもない。
 という事は、別の村はもっと酷い状態にあるのだろう。

 不安を掻きたてられる議題に、はそっとため息をもらした。
 空気が重い。
 不満と不安の混ざり合う礼拝堂に、村人の囁きがさざ波のように響いた。
 一つひとつの囁きに耳を澄ませてみると、口々に領主への不満が吐き出されている。
 それは、あまり良い傾向ではない。

「……やらねぇか?」

 の危惧を他所に、一人の男がそう呟いた。
 その言葉に、礼拝堂に集まった村人は一斉に口を閉ざす。
 しんっと静まり返った礼拝堂で、長椅子に座っていた男が起立した。村人の視線がその男に集まる中、は瞬く。

 『やらないか』はおそらく『殺らないか』だ。

 それが誰を指してのことなのかは置いておくとして、は物騒な発言をした男の顔に眉をひそめる。男の顔は、良く知っている。臨月間近の妻がいる、イパという男だ。妊婦を気遣い、イパの畑を手伝いに何度も子ども達を行かせたため、その礼を言いにきた彼とは何度か話をしたことがあった。とても穏やかで朗らかな青年という印象があったのだが――――――その青年から洩れた物騒な言葉に、は違和感を覚えた。

「少し前にシムンヒ村の若いもんが、
 トランバンに殴りこみをかけたって、アロ村の奴から聞いた」

 『少し前に』『トランバンに』となると……イグラシオが慌てて帰った日のことだろうか? とは目を細めてイパを見つめる。
 トランバンで異変が起こったとなれば、閃光騎士団の出番になるだろう。もちろん、殴りこみをかけた若者の加勢ではなく、それを鎮圧するのが仕事のはずだ。

「俺も、聞いた。
 ウエル村じゃ、傭兵を雇ってトランバンに行ったとか、なんとか」

 イパの発言に続き、後方の長椅子に座っていた男が起立する。それにつられるように、また別の男が一人起立した。

「……俺たちもやらねぇか?」

 3人の発言に、一つひとつの小さかったささめきが瞬く間に大きなざわめきに変わる。
 なんとも不穏な雰囲気に変わってきた集会に、は神像の前に村長と向かい合って座るネノフへと視線を向けた。
 ざわめく礼拝堂を見渡しているように見えたが、ネノフはどこか遠くを見つめている。おそらくは、イグラシオの事を思っているのだろう。ネノフにとってトランバンに『殴りこみ』をかけるということは、イグラシオに『殴りこみ』をかける事と同意語だ。
 は視線をネノフから村長へと移す。村人がどんな意見をだそうとも、決定を下すのは村長だ。ネノフには礼拝堂を預かる者として強い発言権があるが、やはり村長の決定には逆らえない。ネノフと同じようにざわめき始めた礼拝堂を見渡す村長は、これまたネノフと同じように複雑な表情をしていた。
 どうやら、村長も『殴りこみ』には賛同しかねるらしい。

「やろう! もう我慢ならねぇ!!」

「そうだ、そうだ!」

 イパに賛同し、次々に自分の意見を主張するように起立する男達に、集会に混ざった女たちは渋面を浮かべながら眉をひそめ、不安気に囁きあっている。
 彼女たちも、男達の意見には賛成しかねているらしい。が、いきり立つ男達の間にあり、自分の意見を口にすることを躊躇っていた。

 はそんな女たちを見つめ――――――






「……わたしは反対」

 興奮気味に叫ぶ男達の声の中に、の静かな声が響く。
 男達は一瞬、誰が反対意見を口にしたのか判らなかったようだが、寄りかかっていた壁から離れたの動きに視線を奪われて、気が付いた。
 自分達に反対をしているのが、『よそ者』のだ、と。

「よそ者は……」

「ここに居ていいって言われたから、わたしも一応ここの住民です」

 きっぱりと言い返すに、周囲の視線が集まる。『よそ者』と軽んじる男の視線と、興奮する男達に意見を噤む女達の視線が。

「住民と認められたからには、言いたいことは言わせてもらいます」

 壁を背に立ち、は礼拝堂に集まった村人を見渡す。30人を超える村人の視線を一身に受け、本心では逃げ出したかったが、は足に力を込めて踏みとどまった。ここで言いたい事を引っ込めてしまっては、イグラシオに恩を仇で返すことになる。

「あなた達は『蜂起』が失敗しても殺されるだけですむでしょうけど、
 女の人や子ども達は違います。
 要である働き手を失って、この先どう生きていくんですか?
 今よりも苦しくなるだけです」

 『殴りこみ』などと砕けた言葉を使おうとも、その実態が『蜂起』であることに変わりはない。
 現代日本で例えるならば、隣人同士の小さな諍いは警察が仲裁にはいれば終わるかもしれない。が、蜂起となると……それは集団だ。集団で暴れる者を鎮圧するとなると、それは警察ではなく機動隊となる。鎮圧後、暴徒に下されるものは『厳重注意』では済まない筈だ。

「俺たちは失敗しない! かならず領主を……」

「気合だけで蜂起が成功するなら、他の村が蜂起した時点で領主は討たれているはずです。
 蜂起の後の結果を、誰か知っていますか?」

 ぽつぽつと立ち上がり、息巻いていた男達をは見渡す。
 どこどこの村が蜂起をしたらしい。そういう情報は仕入れていたらしいが、その結果を口にする者は誰一人としていない。
 それに気が付いたのか、口を閉ざした男が一人腰を落とす。の位置からはその男の横に座っていた女性が、ホッと胸を撫で下ろすのが見えた。

「だけどよ……」

 の言葉には言い返せないが、一度振り上げた拳はまだ下ろせない。ぽつりとなおも言い募ろうとする男に、は視線を向け、畳み掛ける。皆勢い良く蜂起することを夢見ているようであったが、その先についての発言は一つも聞こえていなかった。

「小さな村で暴動を起しても、まず成功しません。
 成功したとしても、領民の生活を考えられない領主が、
 領民の要求を飲むでしょうか?」

「やっちまえばいい」

 要求を聞き入れないのならば、殺せばいい。どうせ蜂起をするのならば、領主の座を奪い取るのも、追い落とすのも同じことだ、と未だ立ったままの男が言う。
 『やっちまえ』と短絡的に答えた男に、は視線を移した。

「領主を亡き者にした後、誰が領主を勤めるんですか?」

 すっと目を細めるから目を逸らし、男は神像の前に座る村長へと視線を移した。

「それはやっぱり……」

「村長、か?」

 だんだんと弱くなってきた男達の声に名を挙げられ、村長は椅子に座ったままぶるりと体を震わせる。
 どうやら、村長はが何か言わなくても『わかっている』らしい。少なくとも、村人のように勝算もなくトランバンへ向い、領主の座を奪おう等とは思っていない事だけは確かだ。

「……村長に、そんな気はないみたいですよ?」

「だったら、村の誰かが……」

「領主って、税金を集めて贅沢三昧な暮らしをしてればいいって物じゃないって、
 知っていますか?」

 現在の領主は確かに贅沢三昧をして領民の生活を脅かしてはいるが、それでも一応の経済は成り立っている。それはつまり必要最小限の仕事はしているということだ。そうでなければイグラシオ達騎士団を手元に置くこともできない。
 雑事はともかく、決定権だけはあるのが権力者だ。
 ボルガノは領民としては最悪な領主ではあるが、やるべき仕事はやっている。トランバンが自治領として国家の介入を拒んでこられた事も、認めたくはないが自衛の才だけはあるのだろう。
 そしてそのボルガノを、農民が思いつきだけで討つのは不可能に近い。

「少なくとも、畑を耕すことしか能のない農民に、勤まるものではありません」

「なんだとっ!」

 少々蔑みを込めたの言葉に、最初の蜂起を提案したイパが声を荒げる。その視線をまっすぐに受け止めて、はイパを睨み返した。

「事実です」

 睨み合い始めたとイパに、ネノフは周囲の視線を自分に向けさせるようにわざと大きなため息をもらす。その少々深すぎるため息に、ネノフが意図したとおり、村人の視線が集まった。

……あなたの言っていることは確かに正しいけれど、
 もう少し言葉を選んで……」

「言葉を選んだって、同じことです。
 無理無茶無謀の三拍子揃った馬鹿共には、これぐらい言わなきゃわかりません」

 つんっと言い返すに、ネノフは本心からため息をもらした。
 の言い方では、逆に火に油を注ぎかねない。
 ネノフは救いを求めるように視線をから村長に向けると、その視線を受けた村長はゆっくりと口を開いた。

、おまえに聞きたい」

「はい?」

 これまで動向を見守っていた村長の静かな言葉に、は瞬く。
 ネノフとは違い、知人ではあるが親しみのない村長に、少々気後れもあった。

「おまえは、今の暮らしに満足しているのか?」

「孤児院の暮らしという意味なら満足しています。
 ですが、村人としてだったら……やっぱり領主には不満があります。
 食べ物を残して許されるような贅沢がしたいとはいいませんが、
 せめて子ども達には栄養のある物をお腹いっぱい食べさせてあげたい……そう思います」

 村長の言葉に、つられて静かに答えたに言葉に、また何人かの男が腰を降ろす。
 自分達とは反対の意見を出してはいたが、もやはり領主には不満があるのだと解った。

「おまえは蜂起には反対、ということでいいんじゃな?」

「はい。勝てない戦はしたくありません」

「勝てない戦だなんて……」

 最初から決め付けるな。そう口を開いたイパを、村長は手をわずかに上げただけで制する。今はの言おうとしていた言葉を正しく、また簡単に噛み砕く方が先だった。

「なぜ勝てないと思う?」

「私たちは農民です。
 鍬や鎌の扱いには慣れていても、剣には不慣れです」

「そして、領主には護衛隊がついている、と。
 剣を扱うことの、専門家がな」

 『護衛隊』という言葉に、は目を伏せた。
 言葉は違うが、閃光騎士団の事だと解った。つまりは、イグラシオの事だとも。

 村長の質問に答える形をとり、の言葉は幾分簡単に場に広がった。少なくとも、が息巻く男達と怒鳴りあっていた時よりは、他の村人にも理解されただろう。改めて礼拝堂を見渡せば、今では立っている男はイパ一人となっていた。なるほど、言葉を選べとはこの事か、とはこっそり反省する。
 落ち着いた男達とを見てとり、ネノフと村長はホッとため息をもらした。

「……して、。おまえならどうする?」

「はい?」

 落ち着いた男達に、話はこれで終わるのだと思っていたは、村長に話を振られて瞬く。

「勝てない戦をしたくないと言うおまえも、領主には不満を持っている。
 おまえなら、どうする?」

 反対意見を述べるだけなら誰にでもできる。
 つまり、反対意見を述べるのならば、それの代替案を提示せよ、との事らしい。
 村長の問いに、は今度は言葉を選んで慎重に答えた。

「今は我慢します。これからすぐに収穫期に入るから、男手を失うわけにはいかない。
 けど、その後はすぐに冬が来ます。
 蜂起を起すなら、収穫を奪われる前か、冬を越した後に……。
 ただ、この村の冬がどれほどかは知りませんが、
 冬を越した後は体力がないかもしれません」

 いかに収穫量が増えようとも、そのほとんどを領主に奪われてしまう。春や夏であれば山に入って山菜を採れば空腹は凌げるが、冬ともなればそうは行かない。もちろん冬場に取れる山菜もあるにはあるが、とてもではないが村人全員の生活を支えるほどの収穫は望めない。本気で飢えと寒さに死ぬ者もでるだろう。
 となると、冬場の蜂起はできない。できる限り体力を温存し、生き抜くことが先決だ。

「だとすると、春を待つことにも……」

「春は種まきの季節だ」

 蜂起のタイミングを探すに、イパが呟く。イパにも、最初のような勢いはなかった。
 どんなにタイミングを計っても、やはりどこかで踏ん切りをつけなければ問題を先延ばしにしているだけだと言うことは、にも解っている。

 はイパの意見に頷くと、言葉を続けた。

「他にも問題点はあります。
 領主の護衛隊が何人いるのかは知りませんが、あちらにはお金があります。
 お金で傭兵を雇うことだってできる相手に、小さな村の男達が何人集まろうとも、
 鎮圧されることは火を見るよりも明らかです。
 いくつかの村と連携をとって、戦力を集めることができて……
 ようやくわずかですが、成功率は上がります」

「僅かなのか? そんだけ集めても……」

「護衛隊は剣を扱う専門家。
 村人が何人束になっても適わないかもしれません」

「だったら、あの男に鍛えてもらったらどうだ?」

「あの男?」

 予期せぬイパの言葉に、は瞬く。と、イパは肩を竦めながら『あの男』について説明をした。

「ほら、時々孤児院に顔を出している騎士がいただろ」

 そういうイパに、今度はが首を傾げた。
 この男は、いったい何を言っているのだろう? と本気で眉をひそめる。
 イパの言っている『あの男』とはつまりイグラシオの事だ。イグラシオは閃光騎士団を預かる団長であり、イパが『殴りこみ』をかけようとしている領主の護衛隊でもある。
 それから気がついた。アルプハがイグラシオと閃光騎士団を別物と考えていたように、村人もイグラシオこそが領主の護衛隊であるとは知らないのだ、と。

 思い至った事実を確認するようには視線をネノフへと移した。
 その視線を受けて、ネノフは小さく首を振る。
 つまり、が考えた通りなのだろう。

 ネノフに視線を移したにつられ、イパの視線もネノフへと移る。

「あの方は、当分この村へはお寄りになりません」

「なんでだ?」

 折角の名案をネノフにやんわりと否定され、イパは首を傾げた。

「……お忙しいんですよ」

 まさか忙しい理由が、今この場で行われている集会にあるなどとは口に出さず、ネノフは目を伏せる。
 ネノフの表情に、イグラシオの訪問がなくなった理由をは遅れて理解した。
 つまり、暴動騒ぎはこの村だけで起きているわけではない。他の場所でもトランバンを目指して蜂起する者があるため、その鎮圧に忙しくてイグラシオは孤児院へとこられないのだ。

 目を伏せたネノフから視線をイパに戻し、は僅かに話の方向を変える。

「たとえ蜂起自体が成功したとしても、
 さっきも言ったように新しい領主が信用にたる人物でなかった場合、
 なんの意味もありません」

 ネノフに集まった村人の視線を自分へと向けさせて、はまとめた。

「時期、戦力、後継者……この3つが揃わないかぎり、わたしは蜂起には反対です」

 の言葉の終わりに村長は椅子から立ち上がり、静まり返った礼拝堂を見渡す。
 異論のありそうな人間は、誰一人―――否、イパはまだ立ったままだ。が、討論を続ける様子はなく、肩を落としていた―――いない。の言葉に納得したのだろう。

「……みなも、の意見に賛成でよいな?」

 領主の圧政には不満があり、頷くことは躊躇われたが、だからと言って異を唱える村人も居なかった。
 口を噤む村人たちの反応を『無言の肯定』と受け取り、村長は口を開く。

「……では、今夜の集会は――――――」

「村長!」

 集会を解散させようとする村長に、イパは慌てて顔を上げた。
 の言葉にはつい納得してしまうが、素直に納得はしたくない。
 なおも何事か言い募ろうと口を開いたイパを、村長は静かに―――だが力強く―――遮った。

「イパよ、村の決定は『今はまだ時期ではない』と待つことじゃ」

「戦力がないっていうなら、俺たちが先駆けになればいい!
 他の村にだって、領主に不満を持っているやつらはいるんだ。
 そいつらが、きっと後に続いて……」

「他所の村の者が後に続くころには、おまえはこの世に居らんだろうな。
 領主の護衛隊……その団長を務める男は、冷酷な男と聞く。
 蜂起を起した民など、生かしてはおかんだろうよ」

 村長の口から出たイグラシオの噂に、は瞬く。
 盗賊から救われた時も、イグラシオはその盗賊を殺してはいなかった。
 が、実際問題としてイグラシオの評判はすこぶる悪い。

 村長がイグラシオという『人間』を知らないからか、が『騎士』としてのイグラシオを知らないからかにはそれほどの差はない。
 そう初めて気が付いて、は目を伏せる。

 自分は、イグラシオについて何も知らない。

 無自覚のまま沈む始めたの思考に、イパと村長のやり取りが続いた。

「構うもんか!」

 志半ばに倒れようとも、構わない。
 それで少しでも妻と生まれてくる子どもの暮らしが楽になるのならば。

 再び勢いを取り戻したイパに、村長は淡々と答える。

「では、おまえが先走ったせいで領主が報復に来た時、
 おまえの身重の妻を最初に差し出してやろう。
 いや、報復に来る頃には母と子の2人になっているやもしれんな」

 村長の言葉に、イパが息を呑む音が静かな礼拝堂に響く。
 妻と生まれてくる子どもを、憎い領主ではなく尊敬する村長に人質に取られ、イパはその場に座り込んだ。
 妻と子どもを守るためには、これ以上何もいえない、と。

 呆然と村長を見つめたまま長椅子に座ったイパに、ネノフは口を開く。

「……イパ。みんなを纏める役割というのは、
 時には誰かに恨まれる役を買って出なくてはいけないこともあるの」

 だからこそ、領主の代わりは見つけ難い。

 ネノフの言葉に俯いたイパを見て、村長は椅子から立ち上がる。
 そして、改めて口を開いた。

「……これにて解散」