「……ヒックス様の悩みは、神様にお祈りしたら解決するものですか?」

しばし俯いた後、急に口を開いたに、ヒックスは気が付く。
 にも、人に言えない悩みがある、と。

「俺は騎士だが、神様なんてものは信じちゃいない。
 まあ、色っぽい女神様ぐらいは信じたっていい気もするが」

 肩をすくめながら女神像に視線を戻したヒックスに、も視線を女神像に移す。のいる礼拝堂の神像は6柱の女神だが、他の―――例えばトランバンの―――礼拝堂の神像も、やはり6柱の女神なのだろうか。改めて考えると気にはなるが、直接生活には関わってこないため、どうしても後回しになってしまっていた。

 ヒックス曰く『色っぽい女神像』をが見つめていると、ヒックスはため息混じりに言葉を続ける。

「どんなに祈りを捧げても、結局どうするかを選ぶのは自分自身だ」

 何をか、は言わない。
 が、それがヒックスに祈り―――むしろ、神頼みだろう―――を捧げさせているのだろう。
 ヒックスの言葉に、が視線を女神像からヒックスに戻すと、ヒックスが見つめている物は『色っぽい女神像』ではなく、その後ろ――――――どこか遠くを見つめているのだと気が付いた。
 口調こそおどけてはいるが、彼の悩みも根が深い。
 そう確信して、は再び目を伏せる。

 悩みがあるらしいイグラシオは、には何も話さない。もそれを無理に聞き出そうとは思わなかった。大人の男性であるイグラシオが頭を悩ませるような難題に、自分が手を貸してやれるとは思わなかったし、他人に話して解決するような悩みであれば、イグラシオはではなくネノフやエンドリューに話すだろう。
 だからは、口を噤む事を選んだ。
 悩みを聞きだそう等とはせず、イグラシオの選択に任せた。
 関わりたくなかったのではない。関わらせてもらえなかった場合を恐れたのだ。

 ヒックスもまた悩みを抱えているらしい。が、存在を信じていない神にそれを委ねるだけで、には何も話しはしない。
 ほぼ初対面に近いので当たり前のことだが――――――初対面に近いという意味でなら、も見えない神様も大差はないはずだ。

 それでも、二人とも方法こそ違うが、自分の力で解決に向けて足掻いてはいる。
 には、それがほんの少しだけ羨ましかった。

「それは……もしかして、逆にすごく幸せなことかもしれません」

「ん?」

「どうするかを決めるのが自分自身ってことは、まだ『選ぶ権利』はあるって事ですよね?
 誰かに決められた道を選ぶのではなく」

 ヒックスの言葉に気がついた。

 には選ぶ自由はなかった。
 いつのまにかこの世界にいて、帰る方法がわからない。生きていくためにイグラシオの好意に甘え、孤児院に身を寄せた。

「それはたぶん、幸せです。
 だって、自分が選んだ事なら、失敗しても誰かのせいにしなくてすみますから」

 少なくとも、には『誰かのせい』にする事すらできてはいない。

「正直、わたし『祈る』って、ここに来てから初めてしました」

 とて、盆と正月に墓参りぐらいはするが、普段から宗教など意識はしていない。

「祈ったところで、誰かがわたしの悩みを解決してくれるわけじゃない。
 そんな事、解ってます。
 でも、こうして祈っていると……」

 目を閉じて、手を胸の前で組む。
 また笑われるかな? と思いながらもは静かに祈りを捧げ、言葉を続ける。

「……落ち着きます」

「は?」

 目を閉じていても、ヒックスが訝しげな表情をしているだろうことは想像できた。
 が、はそれに気が付かないふりをする。

「落ち着いて、色々な事が考えられます。
 そうすると、今まで見えなかった事に気が付いたり、ほんの少しだけ気が楽になったりします」

 言葉を区切り、は目を開く。
 予想通り、ヒックスは不思議そうな顔をしているが、先ほどのように大笑いはしていなかった。

「……す、すみません。わたし、うまく言葉にできなくて」

「いや、いいけどよ……」

 どんな悩みであろうとも、選べる自由が自分にあるのならば、それだけで幸せなことだ。
 悩むということは、考えるということ。時間が許す限り、考えれば良い。誰かの知恵を借りてもいい。でも、最後にする『選択』だけは誰にも任せず、自分の手で。
 『祈る』という好意は、悩むための猶予期間に似ている。そう伝えたかったのだが――――――思い返してみると、どうも言葉が足りない気がした。

 軽く頭をかくヒックスに、はほんのりと頬を染める。
 イグラシオの悩み同様、には関わる権利のないヒックスの悩みにヘタな口を挟んでしまい、話を余計に混乱させてしまった気がした。

「そうですね……時間が許すようだったら、考えます。
 時間がなかったら、勢いにのっちゃいます。
 考えて、考えて……何が最良なのか、時々は人や神様に頼ってもいいけど、やっぱり答えだけは自分で決めて。
 最後に勇気をもって、それを選べばいいんです。
 だって、選んだってことは、つまり自分がそうしたいって事ですから」

 足りない言葉を足そうと懸命に頭を捻るに、ヒックスは苦笑を浮かべる。
 の言葉を実行できるかどうかは別として、彼女が言わんとしていることは理解できた。

「ずいぶん前向きな回答だな」

「理想論、ですけどね」

 イグラシオに本当の事を話すか否か。それを随分長く悩んではいるが、未だには選んでいない。結論など、選ぶまでもない選択だというのに。ほんの少し勇気が足りず、未だに選択の時を伸ばし続けていた。

「……どちらを選んでも後悔すると判っている『選択』でも、お嬢ちゃんは選べるかい?」

「どちらを選んでも必ず後悔するのなら、それこそ自分で考えて決めたいです。
 ……それから、おもいっきり後悔します」

 ヒックスの言葉の中には、彼の悩みの片鱗が潜んでいる。が、にはそれを暴く趣味はない。
 それよりも、ヒックスの言葉の中には自分の悩みに対する回答も垣間見えた。

 なんとなく、穏やかな時の流れに身を任せ、この場所に落ち着いてきてはいるが。
 やはりここは、自分の居場所ではない。
 このままここに落ち着いてもいいかな、とも思い始めているが、やはりそれではいけないだろう。
 ここで新たに自分の居場所を作ることはできるが、の故郷はやはり日本なのだ。いくら新しい居場所を作れたとしても、ここは本来の居場所ではない。

(……いつか、言えたらいいな)

 そう遠くない未来で、イグラシオに。
 自分が別の世界から来た人間だと。
 きっと最初は信じてくれない。けれどイグラシオならば、時間をかけて話せばいつかは信じてくれる気がする。そして彼なりの方法をもって、が元の世界へ帰る方法を探す手伝いをしてくれるだろうと『信頼』もしていた。

 足りないのは、真実を告げるための勇気だ。

 イグラシオに拒絶されることは怖いけれど。
 怖い、怖いと、が最初から情報を開示しないのはおかしい。

「あ、おしめかな……」

 不意に聞こえてきた赤ん坊の泣き声に、は視線を裏口に向ける。
 別棟にいるためにくぐもった赤ん坊の泣き声は、おしめが濡れて不快だと言っているようだった。――――――すっかり、泣き声だけでミューの伝えたい事が判るようになっている自分が、少しだけ誇らしい。すくなくとも、ここに来る前の自分であれば、赤ん坊の世話等できなかった。
 ここに来たことは不慮の事故以外の何物でもなかったが、得た物も大きい。

 帰る事は、決して諦めない。
 今はまだ勇気がもてないが、そのための努力もいずれはする。
 が、ここにいる間はありったけの愛情を子ども達に注ごう。

 ――――――そう心に決めて、はヒックスに向き直る。

「それではヒックス様。
 わたしはこれで失礼します。すぐにシスターに取り次ぎますね」

「あ、ああ……」

 がぼんやりと考えに沈んでいる間に、ヒックスもまた何かを考えていたらしい。
 の言葉にワンテンポ遅れて頷いた。