不揃いなキュウリを切りそろえ、そこに塩を振る。余分な水分を搾り出した後、陶器の中にキュウリをキレイに並べ、はその上からネノフの作った酢を流し込む。蓋をのせて密封し、それを先にネノフの作ったピクルスの横へと並べると……とりあえず、ネノフの手の入った保存食作りは終わった。

「……これでよし、と」

 二つ並んだ陶器を見つめ、はホッとため息を漏らす。

 問題は、これからだ。

 ネノフはに保存食の作り方を教えた後、『残りは任せる』と言って別の仕事を片付けに台所を去ってしまった。子ども9人に対し、ネノフ1人で世話をしているので、世話役の絶対数は以前から足りない。そこに人手としてはあまり役に立たないが加わったので、子ども10人に対し、世話役1人と言った方が正しいかもしれなかった。ネノフの仕事は、いくら働いても無くなることはない。

 はネノフに教わった通りの分量、手順で酢を作る。
 ワインビネガーと水、砂糖、塩、いくつかのハーブが入った『酢』は、見た目にはネノフの作った物と変わりは無い。匂いも大差はない――――――と思う。
 が、にとってピクルス作りは始めての作業だ。手順通りに作っているつもりではあっても、不安は付きまとう。自分ひとりが食べる物ならば、失敗してもそれはの責任であり、責任をもって食べればいい。が、これは孤児院に住む者みんなで食べる物だ。の失敗に付き合わされるのは、一人ではすまない。
 は出来上がった酢を少量小皿にとり、味を見ようとして――――――顔をしかめた。
 さすがに、匂いがキツイ。
 このまま舐めるのは辛いか、とは作業台の隅を見る。そこには今夜食べるように避けておいた加工前の野菜が置いてあった。
 はその野菜を手に取り、小さめに切る。その欠片を酢に浸してから、食べてみた。

「……薄い。ホントにコレでいいのかな?」

 が作っている物は、あくまで保存食だ。保存食というものは、漬ければ漬けるほどに味が染み込み、濃く、美味くなるものだ。
 だが、自分が今作った物は、『これから味が染み込んでいく』物だとしても、味が薄すぎる気がした。
 は酢の入った小皿を見下ろすと、考える。

 ネノフ曰く、だんだん覚えていけばいい。保存食など、味を濃くすればなんとかなるものだ。
 とのことだったが。
 やはり、不安は不安だ。

 は眉をひそめて考える。
 自分一人の味見では不安だ。という事は、別の人間にも味見をさせればいい。となれば、適任者はネノフのはずだが、きっと彼女には断られる。なんでも経験しなさい、とをわざと放置しているぐらいだ。間違いない。となると、次は実際に出来上がった物を食べる事になる子ども達だが、仮にも連帯責任を取らせようとする相手が自分よりも年少―――というよりも、相手は本当に幼児か子どもだ―――というのは、いただけない。残る候補は――――――

「……味見、お願いしてみようかな」

 別れ際、僅かに様子のおかしかったイグラシオを思いだし、は独り言つ。
 様子の変わったタイミングを考えると自分が何か失言をしてしまったようだが、そろそろ機嫌も直っているかもしれない。
 何より様子も気になるので、これは良い機会だろう。

 は味見係という名の連帯責任者にイグラシオを選び、小皿の上に野菜を一欠けら追加した。






 キュウリを一欠けら載せた小皿を持ち、は裏口から畑へと戻る。ぐるりと辺りを見渡してみたが、土を掘り返しているアルプハの横にイグラシオの大きな体は見えなかった。支柱に支えられた野菜の影に腰を下ろして作業をしているのかもしれない。そうも思い、畝(うね)の間も探してみたが、収穫作業を続ける子ども達はいたが、イグラシオの姿はなかった。
 は小皿を後ろ手に隠し、裏庭を横切る。
 先ほどイグラシオは、柄の折れた鍬を持っていた。もしかしたら、まだ納屋で鍬の修理をしているのかもしれない。

 ヤギの世話をするエプサイランの横を通り過ぎ、は家畜小屋に併設された納屋を覗き込む。
 薄明るい納屋の真ん中に、ようやく目当ての背中を見つけ出した。

「あ……」

 の接近に気づかない背中に、は納屋の戸口で足を止める。
 だいぶ時間が経ったので、イグラシオの機嫌も直っているだろう。そう思って探していたのだが――――――その考えは、甘かった。こちらへと向けられている背中からは、相変わらず無言の圧力が発せられている。

 戸口に立ったままはしばらくイグラシオの背中を見つめた。
 声をかけたいのだが、なんと声をかけたら良いのか解らない。
 一番良いのはイグラシオの方がの存在に気が付いてくれることだが、いつもならば背後に立てばすぐに振り返るイグラシオが、今日は振り返るそぶりを見せない。気が付いていて無視しているのか、気が付いていないのか――――――後者であってくれることを祈る。
 黙々と作業を続けるイグラシオの背中を見つめ、は思案した。

 いつまでも、声がかけづらいと逃げている訳にもいかない。

 何か、良いきっかけでもないものだろうか――――――?