「……これで、完成?」
「うん」
赤ん坊を抱いたまま、はビータとエプサイランの作業を見守っていた。
見守る――――――といっても、本当に見ているだけではない。目の前で繰り広げられる作業に口こそ挟まなかったが、その工程は頭の中へと叩き込んだ。
一番の古株らしいビータは、赤ん坊の世話も慣れているのか、お乳の作り方もすでに覚えていた。それが本当にあっているのか、間違っていないかをネノフに確認しながら、その方法をエプサイランへと教える。年長者から年少者への、技術の伝授。そう言えば少々大げさにも聞こえるが、にはそれが致命的なまでに足りなかった。親戚の赤ん坊等その気になればいくらでも抱く機会はあっただろうに、はそれを怠ってきたため、今現在『赤ん坊を抱くだけで怖い』等という情けない状態に陥っている。の腕に抱かれたままの赤ん坊はというと、やはり抱かれ心地が悪いのか、時々思い出したかのように身じろぐ。とはいえ、だいぶ前に泣き止んではくれているので、それだけは救いだった。母親とは違うの胸でも、それなりに満足をしてくれているようだ。
「……ひゃあっ!?」
もぞっと赤ん坊の身じろぐ感触と、続いた『感触』には反射的に悲鳴をあげる。
時々もぞもぞと動く赤ん坊の仕草がむず痒いとは思っていたが、まさか、こんな『攻撃』を受けるとは思ってもいなかった。
突然のの悲鳴に、ネノフと女の子二人は一斉に何事かと顔を向けたが、すぐに『それ』を見て笑う。
「あらあら。
やっぱりお母さんのお乳が恋しいのね」
と、夜着越しにの胸に吸い付く赤ん坊を見て、ネノフは苦笑を浮かべる。
日が沈み、今日やるべきことは全て終わった。あとは子ども達を寝かしつけて、自分も寝るだけだ……と夜着であったことが災いしたらしい。下着に包まれていないの柔らかな胸の感触に、赤ん坊はそれを自分の母親のものだと勘違いしたらしく、夜着の上からの乳首へと吸い付いていた。ちゅーちゅーと音をたてて薄い布越しに乳首へと吸い付く赤ん坊に、は唾液が汚いだとか、濡れて冷たいだとか思うよりも先に、年頃の娘らしく恥らう――――――が、赤ん坊を放り出すわけにもいかない。
むずむずとくすぐったい感触に、は頬を染めてネノフへと抗議した。
「わたしの胸を吸っても、お乳はでません……」
ほんのりと恥らうに、ネノフは笑う。赤ん坊がを気に入ったのならば、話しは早い。
「そうだわ、こうしましょう」
そう苦笑を満面の笑みへと変えたネノフに、は眉をひそめる。
気のせいでなければ、ひしひしと嫌な予感がする流れになっている気がした。
「この子の世話は、が責任をもつこと」
「ええっ!?」
予想通りともいえるネノフの提案に、は力いっぱい眉をひそめる。――――――そんなささやかな意思表示をしたところで、この優しいが厳しくもある老女に、それが却下されることは解っていた。
「ビータとエプサイランは、この新米ママをしっかりお手伝いしてあげてね」
「「はーい」」
名指しされ、仲良く返事をする少女二人に、ネノフは微笑む。それから、丁度納屋から揺りかごを探し出してきたアルプハとデルタに、赤ん坊の世話に必要な道具は全ての部屋へ運ぶように、と指示をだした。瞬いている間にどんどんと進んでいく話に、は血の気が失せる。
「あの、シスター?
どう考えても、抱っこするのも怖々なわたしに、赤ん坊の世話なんて……」
無理です。そういって断りたいのだが、少年二人に指示を出した後、振り返ったネノフの笑顔には口を閉ざした。
とてもではないが、断れる雰囲気ではない。
「何をいってるの。
あなただって、いつかは誰かの母親になるのよ?
予行練習だと思って、がんばりなさい。それに……」
「それに?」
もっともすぎる言葉をつむぐネノフに、は赤ん坊へと視線を落とした。
ネノフの目を見てはいけない。目を見てしまっては、年長者の迫力に負けて、僅かな抵抗すらも出来なくなってしまう、と。
「その子、すっかりあなたの胸が気に入ったみたいだし」
身じろぐことをやめ、出るはずのない乳を求めて無心にの乳首を吸う赤ん坊を見つめ、ネノフは微笑む。自分が抱き上げた時は火が付いたかのように泣いていたが、今はの胸に抱かれて泣き声もすっかり止んでいる。
「あ、赤ちゃんだから、吸い付ける胸なら、なんでもいいんですよ、きっと」
「そうね。そして……吸い付ける胸は、あなたしか持っていないわね」
女の子では最年長とはいえ、ビータはまだ10歳で、胸は膨らみ始めてもいない。そして、ネノフの胸はすでにしおれている。しおれた胸でも吸い付けはするだろうが、ネノフの胸は赤ん坊の好みには合わないらしい。しおれた胸でも良いのなら、ネノフが最初に抱いた時に赤ん坊は泣きやんでいるはずだった。
結局、自分で自分の退路をふさいでしまったはがっくりと肩を落とす。
そうやってがネノフとささやかな攻防を繰り広げている間に、ビータとエプサイランは次に取るべき自分たちの行動を判断していた。
「さあ、。座って」
「……はい」
ビータの用意した椅子に、は項垂れたまま腰を下ろす。
こうなれば、ネノフのいうように、いつかのための予行練習だと開きなおるしかない。残念ながら、その予定は当分なさそうだったが。
「まず、抱き方はこう」
そう言いながら、ネノフは胸に吸い付く赤ん坊を引き剥がし、抱いている向きを変える。の左胸に赤ん坊の頭が当たるように抱かせると、その意味を丁寧に教え始めた。
は子どもが嫌いという訳ではない。今はただ、戸惑っているだけだ。ちゃんと時間をかけて説明すれば、理解もするし、赤ん坊を受け入れると確信して。
「はい、お姉ちゃん」
エプサイランに布を手渡され、は瞬く。
ネノフに片手で赤ん坊を抱かされたため、落とさないようにと頭が一杯になってしまい、その布の意味がわからない。が、その布の先端が濡れており、僅かに白い液体が表面に浮いているのは解った。
「お乳を布に浸して、少しずつあげるの」
つまり、布は哺乳瓶の代わりであり、白い液体は先ほどまで作っていたお乳の代用品だ。
突然赤ん坊に乳首を吸われ、混乱したため忘れていたが、自分たちはまず新しく来た家族を生かすために行動を起した。
まずはご飯だ、と。
にとっても食事が大切な行為であるように、赤ん坊にとっても食事は大切な行為だ。だからこそ、赤ん坊は母親でもない、出る見込みのないの乳首にも吸い付くのだ。
は意を決すると、赤ん坊を見下ろす。
片手で赤ん坊を支えろというのは、今はまだ難しい。が、自分はビータの用意した椅子に座っている。赤ん坊を落としたところで高さは知れているし、膝に乗せてしまえばより安定した。
恐れる必要など、本当は何も無い。
をエプサイランに手渡された布を赤ん坊の唇にそっと当てた。
赤ん坊はその唇から伝う乳に気がつき、すぐに布へと吸い付く。
無心に乳を吸う赤ん坊に、はホッと息をはいた。
前 戻 次