老女に誘われてが食堂へと入ると、テーブルの上にはパンケーキが用意されていた。
 さすがに湯気は出ていない。達が戻ってくる時間などわかるはずもないのだから、当然だろう。
 が、それ以上の驚きに、は瞬く。

 目の前には、『パンケーキ』があった。

 どこからどう見てもほんのりとした狐色に焼けた丸いパンケーキだ。間違っても『っぽい』とはつける必要はない。
 この世界にも自分に食べられそうなものがあったんだなと感激し、は思い出す。『今日は特別』と老女はいった。ということは、このパンケーキはこの施設に住む人間からしてみれば、特別仕様ということだろう。おそらくは、牛乳、卵などが追加されての『特別』だ。朝食として出されたパンのようなものは、見た目と入っている材料が僅かに少ないだけの、紛れも無い小麦粉製品だったと今ならば思われる。
 そう思い至ると、は戸惑った。
 つまり、朝食を食べなかった自分に対して、老女たちが気を使ってくれているのだろう、と。気を使われる覚えは、自分にはないのだが。

「えっと……」

 どうお礼を言えば良いのだろうか。
 どう謝罪すれば良いのだろうか。
 そうが戸惑っていると、の手をイータが引く。はイータの小さな力に身を任せ、促されるままにパンケーキの用意された席へと座った。

「あのね、お腹がすいていると、かなしいの」

「お腹がすいていないと、元気なの」

 口々に言う双子にはパンケーキを見つめた。
 つまり、今は何かを言うよりも、まずパンケーキを食べろ、という事らしい。

「い、いただきます……」

 とりあえず手を伸ばしては見るが、戸惑う。目の前の食べ物は、どうみてもパンケーキだ。の常識としては、ナイフで切り分け、フォークで刺して食べる。が、目の前のパンケーキにはナイフもフォークも添えられはいない。子どもならば手づかみでも食べても良いかもしれないが、のような年齢のものが、年下の子どもの前で、そのような行儀の悪い食べ方をしてもよいものか――――――? と考え始めると、イグラシオから釘を刺されてしまった。

「残さず食べろ」

「え?」

 イグラシオの言葉にが視線を向けると、イグラシオの前にも用意されたパンケーキを、彼は小さく千切って―――どうやら、本当に手づかみで良いらしい―――イオタの口の中へと入れていた。

「遠慮をしたり、他の子どもに分けたりしていたら、ここでは生きていけない」

 そう言いながらも、イオタに続きテータの口の中へとパンケーキを入れるイグラシオに、は首を傾げる。
 イグラシオは、言っていることと、やっていることが矛盾している、と。
 首を傾げたの視線を受けて、イグラシオは言葉を続けた。

「私はちゃんと朝食を食べた。
 イオタは早く怪我を治さねばならないし、テータはもっと体力をつけなければならない」

 イグラシオの言葉に、はまじまじとイオタを見つめる。イオタはイグラシオから分け与えられたパンケーキを、ゆっくりと口の中で柔らかくなるまで咀嚼してから、飲み込む。今まで気がつかなかったが、イオタの細い首には白い包帯が巻かれていた。怪我を治すということは、イオタは故意に喋らないのではなく、喋れないのだ。少なくとも、傷が癒えてはいない今は。
 それから、は視線をテータへと移す。見た目には判らないが、テータにも体力を必要とする理由があるのだろう。イータもそれについては納得しているのか、イグラシオに自分からパンケーキをねだるような真似はしなかった。

「これまでどのような暮らしをしていたかは知らないが、
 ここに居る間は毎日食事が取れるかはわからない。
 食べられる時に、しっかりと食べておけ」

「……はい」

 食べろ、とイグラシオに怒られ、は素直にそれに従う。
 見た目は普通のパンケーキであったし、確かに腹も空いている。
 納得しているとはいえ、自分だけパンケーキを分けてもらえないイータに少しだけ申し訳なく思いながら、はパンケーキへと手を伸ばした。一口サイズに千切り、口の中へと入れる。

 味は、美味くはない。

 そのかわり、不味くもない。
 見た目は確かにパンケーキではあったが、味は少々物足りない。冷めている上に、ジャムもバターもつけていないので、なおさらだろう。
 が、世話になっている手前、贅沢も言ってはいられない。
 は黙ってパンケーキを咀嚼し、飲み込む。

 不意に視線を感じが顔を上げると、イグラシオと目が合った。
 白い当て布に顔のほぼ半分を占められたイグラシオは、と目が合うと僅かに微笑む。

 その微笑の意図がわからず、は首を傾げるが、すぐにパンケーキを食べる作業に戻った。
 『今日は特別だ』と老女は言っていた。イグラシオの口ぶりから察するに、特別なのは材料の豪華さだけではないだろう。おそらくは、食事の時間外におやつ―――例えば、今が食べているパンケーキ等―――が出されることもないのだろう、とも。
 となれば、時間外に食事が出されたという証拠は、早めに片付けてしまった方が良い。他の食べ盛りの子ども達に見つかってしまっては、波風が立つのかもしれない、と。

 そう考えては無心に口を動かす。

 ――――――これが、この世界での新しい生活の始まりだった。