ゆっくりと歩く馬の背に揺られながら、はエンドリューの肩越しに前方の馬に乗るイグラシオを見つめる。
ほんの少しお尻が痛かったが、文句はいえない。
あの後、結局盗賊に巻かれてしまった、と戻ってきたエンドリューと合流し、はエンドリューの馬へと乗せられた。イグラシオの馬に乗って先に村へと戻らなかった理由としては――――――イグラシオの手が血で汚れていたということがある。すでに乾いているとはいえ、血で女性を汚すわけにはいかない、と一人で馬に乗れないを気遣い、イグラシオがエンドリューを待ったのだ。
他意はない。おそらく。
背を向けたまま一度も振り返らないイグラシオに、はそっとため息をはく。
彼には、まだお礼も謝罪も伝えられていない。
とはいえ、なんと言って声をかければいいのか。そう考えている間に、馬は村の中へと入り、あっと言う間に孤児院の前まで辿り着いてしまった。
エンドリューの手を借りて馬の背を降りるを見つめ、イグラシオは考える。
の出自については、エンドリューの当て水量があながち外れてはいないのかもしれない。良くも悪くもおっとりとしたの性格では、農家の娘としては生きてこられなかっただろう。
とくに、トランバン領内では。
のようなのん気な性格の娘に育つには、生活に余裕が無ければならない。それは平和ボケとも言う。日常的に食事に困った事が無いので、平気で他人に自分の食事を分ける。命の危険になど晒された事がなかったのか、騎士と盗賊が目の前で剣を抜くような状況に陥っても、まず逃げ出して己の命を確保するのではなく、その場で腰を抜かしていられるのだ。
トランバンに戻ったら、一度身元を調べて見た方が良さそうだ。
行方不明になった貴族や富豪の娘であれば、捜索願が出されているはず。
帰る場所は判るのに、帰る方法がわからないと、矛盾ばかりを口にするが、『帰る方法』とやらを思い出すより、そちらの方が確実なはずだ。
馬から下りたの腰にイオタが抱きつくのを見ながら、イグラシオは今後のの処し方を考える。
「え? なに?」
馬から降りて早々、自分の腰へと抱きついてきたイオタに、は瞬く。
孤児院の門の前に立つ双子とイオタ――――――3人の子どもの姿に、遠目に可愛いなぁ……とは思っていたが。まさか、自分に対してここまで熱烈な『歓迎』をしてくれるとは思わなかった。
何も言わず、ぎゅっと力を込めて体を寄せるイオタの茶色の髪に、は手を添える。戸惑いながらもその髪を指で梳くと、イータが口を開いた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「テータたちがおねえちゃのご飯食べちゃったから、怒って出ていった?」
「ごめんなさい」
つたない言葉でそう詫びる双子に驚き、は瞬く。視線を落とすと、イオタも物言いたげにを見上げていた。相変わらず口を開くことはなかったが、どうやら双子と同意見らしい。
が黙って出て行ったのは、自分たちの責任だ、とその小さな胸を痛めていたようだった。
「……違うの。わたしが森に行ったのは……」
今にも泣き出しそうな顔をしている3人の子どもに、は腰を落とす。視線を合わせ、誤解を解こうと口を開き――――――ぐぅっと腹がなった。
「あっ……」
なにやらしんみりとした雰囲気に逆らい、のんきな悲鳴をあげた自分の腹に、は頬を赤く染める。
何も、今、このタイミングで鳴ることはないじゃないか、と自身の腹の虫に腹を立てた。
そういえば、昨夜はハーブティーをご馳走になっただけで、夕食は食べていない。昼食のような朝食は、子ども達にあげてしまった。ということは、昨日の昼食以降、自分はまともに食事を取っていないことになる。時間にして、丸一日以上だ。いかにのん気なの腹の虫とはいえ、悲鳴の一つもあげたくはなるだろう。
「なんだ、意外に元気が……痛っ」
森の中では泣きそうになっていたくせに。そうイグラシオは苦笑を浮かべようとして、真新しい傷のある頬が引きつった。
僅かに漏れた悲鳴に、は心配気にイグラシオを見上げる。
「大丈夫ですか?」
「……気にする必要はない」
「でも……」
自分の腹の虫に恥じらい、頬を緩めたが、イグラシオの痛苦に眉をひそめる。昨夜から今日にかけ、ようやく見えたの不安以外の表情が、一瞬にして曇ったことが悔やまれた。
じんじんと引きつる頬を布越しに撫でつけ、イグラシオは話題を変える。
「それよりも、ネノフに小麦を少し渡しておいた。今日のところは……」
と、イグラシオが全てを口に出す前に、孤児院の扉が開いた。
「今日は特別ですからね」
そう言いながら建物の外へと出てきた老女が、に微笑む。
その微笑にが首を傾げると、老女はを建物の中へと誘った。
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