瞼の上から射し込む陽光に、は僅かに身じろぐ。
 それから、陽光から逃げるように寝返りをうち、気がついた。
 顔の向きを変えても、辺りの明るさは変わらない。
 ということは、太陽はすでに昇りきっており、『朝』と呼ぶには憚られる時間帯ということになる。

 今はいったい何時だろう――――――?

 そう思って枕もとの目覚まし時計へと手を伸ばすが、手は空を掴んだ。2回、3回と手探りに時計を探したが、やはり手は届かない。
 おかしいな? と思い、僅かに体を起し、枕元を確認しようとして――――――力尽きる。
 ぱふっと顔を埋めることになった枕の香りに、は突っ伏したまま眉をひそめた。

 違和感がある。

 この香り、自分の枕ではない、と。
 決して臭いわけではないが、違うと解る気配のような匂い。
 違和感の正体を確かめようとが枕から顔をあげ、目を開くと――――――視界の隅に茶色の何かが揺れていた。

「……?」

 おかしいな? と再び感じ、は時計よりもまず先に、その茶色の物体の正体を確かめる。
 ふわふわと揺れる茶色の物体は、よく見ると人の髪の毛のようだった。丸い顔の輪郭をなぞる茶髪に、緑色の瞳が瞬いている。
 ベッドに寝たままの自分から見て、そう高くない位置にある頭部に、相手が子どもであるとわかった。子どもの緑の瞳は、と目が合うとくるりと好奇心の光を宿し、にっこりと笑った。

「シスター! 『お客様』起きたよー!」

 跳ねるような足運びで戸口へと移動する子ども―――スカートをはいているので、少女だ―――に興味を引かれ、はゆっくりと体を起す。覚醒に向かう頭で戸口へと視線を移せば、少女の消えていった戸口から、これまた4つの頭が並んでいた。まるでトーテムポールのように縦一列に並ぶ子ども達は、の方を興味深そうに覗いている。上から金髪を肩口で揃えた青い瞳の少女、次は双子らしく黒髪に黒い瞳の女の子が二人。最後に幼すぎて判断はつきにくいが、恐らくは男の子と思われる、茶色い髪と緑の瞳がを見つめていた。

「……何?」

 寝起きのままの覚醒しきってはいない頭に、いきなり4つの視線を受けて、は戸惑う。と、と目のあった子ども達は一斉に戸口の奥へと姿を隠した。
 子ども達の消えた戸口をしばし見つめ、は首を傾げる。
 自分の身に、いったいなにが起こっているのか――――――と考え、思い出した。
 昨夜自分は、いつものように帰宅途中にあった。が、いつのまにか知らない森の中にいて、盗賊のような男に襲われ、信じられないことに騎士に保護され、この家に泊まることとなった。
 そこまで思い出し、はそっとため息を漏らす。

 眠りから覚めても、『夢』からは覚めてなかったのだ、と。

 明るい室内を見渡してみるが、やはり自分の部屋ではないと自覚させられるだけだった。

「こーら。ズィータ、イータ、テータ、イオタ。
 そのお客様はイグラシオ様からお預かりしている大切な人なんですから、ご迷惑をかけてはダメですよ?」

「「はーい」」

 昨夜の老女―――たしか、ネノフという名前だったか―――の声が聞こえ、元気良く答える子ども達の声が重なる。
 どうやら、先ほどの子ども達の名前がズィータ、イータ、テータ、イオタと言うらしい。4人分の名前……となると、最初にと目が合い、老女へとの起床を伝えた子どもの名前は含まれては居ない。
 部屋の外で続く老女と子ども達のやり取りを聞きながら、は改めて部屋の中を見渡した。
 自分の部屋ではない。それは、目覚めて最初に確認した。
 が、それ以外の情報はまだ得てはいない。
 明るい陽光に照らし出された室内は、ろうそくの明かりだけを頼りに眺めた昨夜の室内とは様子が異なっていた。
 良く言えば質素。悪くいえば古い作りの室内は、どう見ても日本家屋の室内とは違う。エアコンなどの室内設備はおろか、天井にあって当たり前の蛍光灯もない。フローリングというよりは、ただの板張りの床に、古い机と椅子が一脚ずつ。必要最低限のものしかない。あるいは必要最低限のものすらもない、といった風情の部屋に、は眉をひそめた。

「お客様」

 不意に呼ばれ、戸口を振り返る。と、先ほど部屋を覗いていた子ども達とはやはり違う容姿の少女が戸口にたっていた。
 他の誰よりも年長だと解る少女は、おさげに編まれた赤毛を揺らし、行儀良くぺこりと頭を下げた。

「朝ごはんがあるから、食堂に来てください」

「あ、は……い?」

 にこっと微笑む少女に、いったいこの『ネノフの家』には何人の子どもがいるのか。そう面をくらいながら、は素直に食事の誘いを受けた。






 ビータと名乗る赤毛の少女に『食堂』として案内された部屋は、昨夜老女にハーブティーをご馳走になった部屋だった。
 明るい室内を見渡し、椅子を数える。全部で9脚あった。老女を引くと、全部で子どもの数は8人いるのか――――――とも思ったが、まさかそんなにはいないだろう。この『ネノフの家』と呼ばれている何らかの施設が、普通の家庭であったのならば。
 少なくとも、子どもの数は6人だ。それだけは確認できている。
 珍客であるに興味があるのか、一定の距離を保ちながら双子の少女と茶髪の男の子がの後ろを付いてきている。が振り返ると、ぱっと頭だけを隠す仕草が可愛らしかった。
 促されるままにテーブルに着き、ビータが配膳してくれた『朝食』をは見下ろす。
 が先ほどまで寝ていた部屋同様、質素としか言いようが無い。
 見たことも無い色と形をした(たぶん)野菜だと思われるものが浮かぶスープと、丸く白っぽい一見してパンケーキのような(おそらくは)パンだけだった。肉や魚はおろか、パン(と思われるもの)に塗るべきジャムもない。
 は一瞬だけ躊躇したが、腹を決めた。味が想像できなくて怖いといえば怖いが、出された物に対して文句は言えない。
 パンケーキ(っぽいもの)の食べ方は手づかみで食べればよいのか、フォークを使うのか。少なくとも、温野菜スープ(だと信じておく)は、スプーンですくえばよいのだろう。手渡された木製のスプーンに覚悟を決める……と、視線を感じた。
 チクチクと突き刺さる視線に、は視線の主を探す。
 視線の主は、食堂の入り口からこちらを覗いている双子と少年だった。とはいえ、双子の方はと目があうと早々に戸口の奥へと顔を引っ込めている。隠れるタイミングを逃した少年だけが年長の少女に見つかり、遅れながらも隠れようとかとうろたえていた。

「こら、イオタ!」

 食堂の入り口からじっとを見つめる少年―――イオタと呼ばれていた―――の姿を認め、ビータが腰に手を当てて彼を窘める。
 でなくとも、他者の注目を浴びていては食事を取りづらいだろう。

「えっと……食べる?」

 年長の少女に窘められても逃げ出さないチクチクと刺さるイオタの視線に、は負けた。
 パンケーキ(仮)の乗った皿を少年の方へと押し出すと、イオタはパッと顔を輝かせての近くまで駆け寄ってきた。

「イオタばっか、ずるーい!」

「るい」

 に駆け寄り、その皿からパンケーキ(仮)を譲り受ける少年に、隠れていたはずの双子が戸口から顔を覗かせた。

「イオタ、朝イータたちとごはん食べたのに」

「のに」

 片割れの語尾に続くようにもう一人が口を開く。
 『イータ』というのは、主張のしっかりとした片割れの名前だろう。となると、もう一人の名前は『テータ』だろうか。先ほど、老女が呼んでいた名前のうち、『イータ』に続いて呼ばれた名前だ。もしかしたら『ズィータ』かもしれないが、にはそれを判断することができない。自分を『イータ』と呼ぶ少女ほど、もう一人の主張は強くない。
 むっと眉を寄せて少年を睨む双子に、は温野菜スープの盛られた器を押し出した。

「あの、よかったら、これ……」

「いいの!?」

 スープを押し出すに、イータは顔を輝かせる。
 にとっては見慣れない野菜が浮かんだ口に入れるだけでも勇気のいるスープではあったが、彼らにとっては普通の食事らしい。というよりも、この喜びようを見る限り、もしかしなくてもこの『質素』な食事は彼らにとっては『ご馳走』の部類に入るのではないだろうか。
 からスープを受けとるイータの背中に隠れながら、片割れの少女はを見上げた。

「……おなかすくと、かなしいよ?」

「ん、いいの。わたし、お腹すいてないから」

 正直なところ、は昨日の昼食以降、食事らしい食事をとってはいない。当然、まったくお腹がすいていないという事はないはずなのだが、いまひとつ食欲がわかない。
 自分の置かれている状況を考えると、食事を取るよりも……一刻も早く、家に帰りたかった。

 の言葉に少女は黒髪を揺らして首を傾げる。
 結局、の食事を取り上げる形になってしまった年少3人を、ビータはテーブルの下へと追いやった。それを見てが首を傾げると、ビータは苦笑しながら答える。年少組だけが余分に食事を食べているのが見つかれば、年長の男の子も黙っては居ない、と。

「こーら、イータ、テータ、イオタ。
 お客様のお食事の邪魔をしてはいけませんよ?」

 何か仕事をしていたのか、老女が前掛けで手を拭きながら食堂へと入ってくる。すぐにテーブルの下に隠れた子どもを見つけると、渋面を浮かべた。たちのやり取りを見ていなくとも、何が行われたのかはわかるらしい。

「わたしが食べてもらったんです。
 その、まだ食欲がなくて……」

 口に運ぶのに勇気のいる野菜と、物欲しそうな少年少女の視線に負け、食事をわけると決めたのはだ。それに対し、彼らが怒られるのは間違っている。
 が事の次第を曖昧に伝えると、老女と年長の少女は不思議そうに顔を見合わせた。

「食欲が無いって……」

 おかしなことを言う人間だ。
 そう顔を合わせる二人に、は眉をひそめる。

「……? あの、わたし、何か変なこと――――――」

「ごちそうさま!」

 奇妙な雰囲気を拭い去るように、テーブルの下から顔を出したイータがスープの入っていた器をテーブルの上に置く。続いて顔を出したテータ―――ネノフが改めて『テータ』と呼んでいたので、こっちも確定だ―――がパンケーキの乗っていた皿を隣に置いた。

「さま!」

 双子に続いてテーブルの下から顔を出したイオタが、の手をとり、小さく引っ張る。

「?」

「いこって」

 くいくいっと引っ張るイオタの行動を代弁し、テータも急かすようにの手を取る。
 幼児二人に手を引かれ、はなす術も無く椅子から腰を上げる羽目になった。

 手を引かれるままにが足を運ぶと、背後からネノフの子ども達を呼び止める声が聞こえる。
 の手を引く二人はそれを無視し、手ぶらなイータはというと……両手で耳をふさぎ、「聞こえなーい」と楽しそうに笑っていた。