早足に――というよりも、軽く走り続けている――街道を進みながら、はトリスにこれまでの経緯をかいつまんで説明した。
 自分は名もなき世界からの召喚獣であり、マグナという人物に呼び出された。そのマグナには双児の妹がおり、名前はトリス。幼いころに生き別れ、最近になって王都ゼラムで暮していると知り、会いに来たのだ、と。

「う〜ん、覚えてないなぁ……」

 潮騒の音を遠くに聞きながら、トリスは半信半疑と戸惑いを隠すように後頭部を掻く。――――――罰の悪い時にマグナが見せる癖と同じものをトリスも持っているようだった。

「そんな……」

 良く知る人物と同じ仕種で気まずそうに首を傾げるトリスに、は落胆のため息を吐く。
 トリス曰く、マグナなどという人物は知らない。
 むしろ、自分に兄がいたということ事体覚えていない。
 北の町で暮していたのは本当だが、町での暮しは思いだしたくない記憶も多いので、意識して思いださないようにしてきた。その努力の結果か、北の町でのことは綺麗に忘れた、と。

「……心当たりがないわけじゃない」

 と、ここまで黙っての話しを聞いていたネスティがようやく口を開く。彼が口を挟むことはトリスにとっても予想外だったのか、目を丸く見開いて兄弟子の顔を見た。

「へ? なんでネスが?」

「君は綺麗さっぱり忘れいているようだが、派閥にきたばかりの頃、
 君は何度教えても僕の事を『お兄ちゃん』と呼んでいた」

「だってそれは……ネスが年上だったからでしょ?」

 歳を重ねれば他人と家族の区別が付くが、幼い子どもに取って、少し歳の離れた人間は全て『おじさん』『おばさん』であり、歳の近い年長者は『おにいちゃん』『おねえちゃん』と認識される。蒼の派閥にきた当時のトリスの年齢を考えれば、誰に対しても『おにいちゃん』『おねえちゃん』と呼んでおかしくはない。

「……ギブソン先輩の事はすぐに『ギブソンせんぱい』呼んでいたじゃないか」

「そだっけ?」

 兄弟子からの追撃に、トリスはまたも後頭部を掻く。そしてそのままの姿勢で記憶を探るように視線を彷徨わせた。

「……お兄ちゃん、ねぇ……? 全然覚えてないや」

 重要な話しをしているつもりなのだが、あっけらかんっと答えるトリスには肩を落とす。マグナがあれ程思い悩んで探していた妹は、兄の事など綺麗に忘れて暮していたのだ。

「まあ、おいおい思いだすかもしれないし……?」

 落ち込むを励ますように、トリスは「ああ、そうだ」と話題を変えた。

「それで、はなんであんなトコに居たの?
 休憩ってのはわかったんだけど……」

「あ、はい。わたしは……」

 落ち込んだ自分を気づかい、話題を変えてくれたとわかるトリスに、は素直に答えかけて、思いだす。
 自分達のことよりも、トリスが――正確にはリューグとアメルが――喜ぶ報告を自分は持っている、と。

「……そういえばゼラムを出てからロッカさんに会いました」

「え?」

 この場にいない人物の名前を突然出され、アメルがに振り向く。
 先を促すような榛色の瞳に見つめられ、はアメルが気にかけているだろう事を話す。

「街道の休憩所であって、そこで……その……」

 言い難い話しではあるが、アメルとリューグと――レルムの村住民と――共に居るということは、おそらくはこの場の全員が村の惨状は承知しているのだろう。

「悪い人に追われているって言っていたので、ご主人様……、
 マグナさんとレルムの村まで送って行ったんです」

 過程はどうあれ、ロッカは無事であり、今はレルムの村に居る。
 意外な所から気にかけていた人物の消息を聞き、アメルはホッと胸を撫で下ろした。

「それで、その……村は……?」

 躊躇いがちに促され、は口を閉ざす。
 答えなければいけないが、答えづらくもある。

「あ、あの……おじいさんは……
 熊みたいに大きなおじいさんは、見かけませんでしたか?」

 縋るようなアメルの榛色の瞳に見つめられ、はアメルの言葉が誰をさしているのかがわかった。村の惨状については答え難いが、アメルの聞きたい『おじいさん』についてなら明るい報告ができる。

「はい。アグラバインさんなら、もう村の片づけを始めていたそうです」

「いたそう、ってのは?」

 やはりアグラバインについては気になるのか、ロッカの時は黙って居たリューグが口を挟んだ。

「ごしゅ……マグナさんから聞いたことですから、わたしは会っていません」

 マグナから墓地にアグラバインが居た、という話しは聞いたが、自身はアグラバインの無事な姿を見てはいない。大きな怪我をしていなかったか、人違いではなかったか、等の確認ができる状況ではなかった。あの時のには、アグラバインの姿を確認しようと思考することすらできない緊急事体にあった。

「あの、すみません」

 マグナの暴走により、自分達が放棄した事を思いだし、はアメルに頭を下げる。

「本当なら片付けを手伝いたかったんですが……
 マグナさんが用事ができたって村を飛び出しちゃったので、
 それを追うのに手一杯で、村の片づけを投げ出してしまいました」

「いいんです! 村の……ロッカとおじいさんが無事だって、
 教えてくれただけで、いいんです……」

 アメルはそっとの手を取り、握りしめる。
 優しく込められた力に偽りはない。
 真実、心から二人は無事と聞けただけで満足してくれたらしい。レルムの村の惨状を思えば、知人が――それも家族が――生きているという知らせば、たとえどんな些細な内容であっても嬉しかったのだろう。

「……それで、君があの場にいた理由と、マグナとやらがここにいない理由は?」

 多少逸れた話題から苛立ちを隠すように眼鏡を直しながらネスティが目を細める。以前知り合ったフォルテとケイナ、マグナを気にかけてくれたリューグと少女3人がどこか自分に対して友好的な雰囲気を纏っている中、彼だけが異彩を放っていた。
 1ミリの隙も見逃すまいと身構え、を見下ろしている。

「えっと……」

 いっそ清々しいまでに自分を怪んでいるとわかるネスティに、はたじろぐ。が、何も彼等に対して隠し事をする必要がにはない。多少、ルヴァイド等の黒の旅団についてはデグレアの軍事機密に関わることなのかもしれないので、暈さなければならないだろうが。

「昨日の宿をお世話になった方達に怪我人がいたので、
 マグナさんは召喚術でその治癒をしていました。わたしも少しだけお手伝いを……」

 嘘は付いていない。
 ただ、触れるべきではないと思われる単語を削除しているだけで。

「ちょっと待て」

 不意に話しの腰を折られ、は視線をネスティからフォルテに移す。
 鷹揚に構えた陽気な男といった印象を彼に抱いていたは、予想もしなかった表情をしているフォルテに瞬く。
 眉間に皺を幾重にも寄せる様は、明らかな怒気を孕んだものだった。

「その宿を世話した怪我人の多い連中って……」

 突然のフォルテの変貌に戸惑い、は視線を彷徨わせる。アメル、トリスと視線を移動させ、リューグと目が合うと、彼も何かに気が付いたようにハッと肩を震わせた。

「おまえっ!」

「きゃっ!?」

 突然力強く肩を掴まれ、力任せに引き寄せられては瞬く。
 眼前にあるリューグの顔は、フォルテが直前に浮かべた物と大差はなかった。

「奴等の仲間かっ!?」

「え?」

 リューグ達の言う『奴等』とは、いったい誰のことだろうか。
 昨夜の宿を貸してくれたのはルヴァイドであり、デグレアの軍属である彼等がリューグ達と知り合いだとは思えなかった。

「仲間……?」

「おまえが黒の旅団の仲間かって聞いてんだよ!」

 肩に爪が食い込みそうな力を込められ、は苦痛に顔を歪める。半端なく痛い。爪が食い込むどころか、リューグの腕力をもってすればの骨ぐらい簡単に折られるのではないだろうか。そう心配しながらも、はリューグの質問の意図を探ろうと考える。
 『仕事場』から追い出されるは、黒の旅団の『仲間』ではない。
 が、黒の旅団を預かるルヴァイドとは知人であり、マグナの友人も沢山おり、イオスを始め自分に武器の扱いを教えてくれた師が何人もいる。――――――決して他人でもない。

「黒の旅団って、なんで、名前を……?」

 黒の旅団はデグレア内においても知るものは少ない特務師団だ。
 まず諸外国にその名は知られていないはずである。
 それを何故、聖王国に住むリューグが知っているのか。

「質問に答えろっ!」

「痛っ!!」

 ギリリっと、自分の骨が軋む音などは始めて聞いた。できれば、一生聞きたく無かった音でもある。リューグにより力を加え続けられるの肩が悲鳴をあげていた。

「リューグ!」

 不意に横からアメルがとリューグの間に割ってはいる。
 背中にを庇いながら、アメルは肩を掴んだままのリューグの手を払い除けた。

「そこを退け、アメル!」

「嫌!」

「アメル!」

 自分を背中に庇い、そのまま睨み合いを始めた兄と妹には瞬く。
 今はっきりと自覚できるのは、リューグに掴まれていた肩が痛いということだけだ。
 何故二人が睨み合いをしているのか、何故リューグの態度が豹変したのか、には察する事もできない。は呆然と瞬いたまま、それでも説明を求めるように周囲を見渡す。自分と同じようにリューグとアメルを見守る者、言い争う二人に怯えてトリスの背中に隠れる者、リューグと同じ表情で自分を見下ろす者――――――フォルテと目が合い、は口を開く。
 言葉は上手く出てこなかった。
 が、フォルテはの問いたいことを察してくれたらしい。一度目を閉じ、心を落ち着けるように深呼吸をした後で表情を幾分和らげた。

「レルムの村を焼いたのが、黒の旅団だ」

 一瞬、フォルテの口から漏れた言葉が理解できずは瞬く。
 黒の旅団がレルムの村を焼いた? 大人も子どもも、病人も怪我人も関係なく殺戮し、家々に火を放ったのが、マグナが兄のように慕うルヴァイドの指示で――――――?

「嘘ですっ! 何かの間違いです!
 ルヴァイドさんがそんな事……っ!?」

 するはずはないと思うのだが、そうも言い切れない。
 彼は軍人だ。の理解を越えたところで、軍事作戦として人を殺めていてもおかしくは無い。
 それから思いだした。
 ほんの数時間前に、彼と話しをした事を。
 あの時、レルムの村で見てきた物をは話した。
 あの時のルヴァイドの反応は、少しおかしくはなかっただろうか。
 常にない反応を――話しの途中で俯くなど、普段の彼からは考えられない――をしていた気がする。
 あの反応こそが、フォルテの言葉が真実であると認めているのではないか。

「やっぱり奴等の仲間かっ!?」

 言葉に詰まったの肩を、リューグがアメルを押し退けて捕まえる。
 再度骨が軋む圧力をかけられたが、の唇からは痛苦の悲鳴は漏れなかった。

「止めとけって」

「止めるな!」

 の肩を掴むリューグの手をフォルテが捕まえ、解く。今度はフォルテに食って掛かるリューグに、ケイナの静かな声が浴びせられた。

「どうやら、本当に知らなかったみたいよ、彼女」

 ケイナの言葉に全員の視線がへと集まったが、はそれに答える事が出来ず、ただ呆然と瞬いていた。
 信じ難い事実を突き付けられて、思考が追いつかない。

「どうする? 俺達の居場所を知ってる人間を、ここで放り出していいのか?」

「……僕は、彼女を連れて行くことを提案する」

 今後の相談をし始めたと頭の遠くでは理解できたが、はこれを聞き流す。
 自分の処遇について決められているはずなのだが、何もかもが現実味を持たない。
 本当に、自分の良く知る黒の旅団が、レルムの村を焼き払ったのだろうか。
 兄のようにマグナを気づかうルヴァイドしか、は知らない。
 文句を言いながらも面倒見の良いイオスしか、は知らない。
 が訓練所に顔を出すと、若い娘が来たとはりきって訓練に励む陽気な旅団員達しかは知らない。
 彼等の姿とレルムの村の惨状は、の中では結びつかない。

 呆然と立ち尽くすに、リューグは堅く握りしめた拳を解く。
 黒の旅団のした事はとても許せる物では無かったが、がそれを真実知らなかったという事だけは理解できた。

「僕らがこれからどこへ向かうのか、情報を漏らすわけには行かないし、
 ……トリスの兄とかいう男も気になる」

 『兄』という単語を聞き、トリスが身を堅くするのがにもわかった。
 繰り広げられる相談をがぼんやりと聞き流していると、アメルがそっとの手を取り寄り添った。リューグに掴まれた肩に手を乗せ、を抱き寄せる。ほんのりと温かいアメルの指先が、肩を癒してくれているのだと理解することができた。
 アメルの優しさが、今はとても悲しい。
 優しくされる資格など、自分には無いのかもしれないのに。
 小さく震えるの肩をアメルがそっと抱き締める。本来なら自分が気を使わなければいけない側であるのに、逆に気を使われ申し訳が無い。
 レルムの村襲撃は、黒の旅団がしたことであり、にはなんの責もないのだが。
 だからといって、自分は関係がないと開き直ることもできない。

(マグナさんは、知ってたの……?)

 数時間前にルヴァイドと見上げた夜空を見上げ、考える。
 マグナはルヴァイドが行った非道を知っていたのだろうか、と。
 そう疑ってみると、いくつか引っ掛かる事がある。
 レルムの村でのマグナの異変。それから、本日ずっと感じていたルヴァイドとマグナのよそよそしい態度。
 おそらくは、マグナは墓地でアグラバインから黒の旅団がレルムの村を襲ったと聞き、確認を取ろうと黒の旅団を探した。それから野営地としてめぼしい候補を地図から探し出し、一目散に駆けて、ルヴァイドに真実を聞いたのだろう。
 そう考えれば、マグナの異変も、暴走も、すべてが納得できる。

「……変わって、しまった……」

 ほんの数日前、何も知らずにレルムの川で遊んだ事を思いだす。
 マグナもリューグも笑顔で、レルムの子ども達と走りまわっていた。

 もうどんなにあの日を懐かしんでも、あの日の自分達には戻れないのだ。

 そうは自覚した。






  
(2011.08.03)
(2011.08.10UP)