最初に異変に気が付いたのは、一行の後方――最後尾ではない。最後尾は自分が腕を引いて走っている少女だ――を走るリューグだった。
 大平原で敵に包囲され、何時の間にか自分達のリーダー格となっている少女の先輩にあたる人物が用意した濃霧に守られて逃げ出した。
 そこまでは良かったのだが――――――しばらく平原を走り続け、濃霧の囲みを抜け、追っ手から充分な距離を稼げただろうか、と考える余裕がでてきたところで気が付いた。

(……なんで、アメルが俺の前を走ってるんだ?)

 一度濃霧の中でアメルが躓いた際にリューグが助け起こし、そのまま手を引いて走っていたはずだ。
 そうは思うのだが、前を走るアメルを観察しても、これといっておかしな部分はない。月光に照らされた榛色の髪と、白と青を貴重としたいつもの服。その手を引いて走っているのは、今だ蒼の派閥の制服に身を包む短髪の少女。
 リューグの目の前には、確かにアメルがいた。
 では、別の人物の手を自分は引いているのだろうか、とリューグは前を走る一行を見る。
 一番可能性があるかと思われた年少の少女ミニスは、大男フォルテの背に背負われていた。その横を元からフォルテとつるんでいたという冒険者ケイナが走っている。
 これで、自分が腕を掴んでいる相手が女性である可能性は消えた。
 アメルと思って掴み、違和感を感じることのない細腕だったのだが。
 では、トリスの召喚獣という獣人の少年の腕だろうか。少年の腕ならばこの細さも頷ける、と姿を探せば、なんとレシィは先頭を走っていた。
 となれば、最後はトリスの兄弟子だというネスティしかいないはずだが、彼もケイナの後ろを走っている。
 ――――――少なくとも、リューグが掴んでいる腕は、この場にはいないはずの人間のものだ。

「……ちょっと待て!?」

「きゃっ!?」

 異常に気がつき足を止める。
 リューグの突然の行動についてこれず、背後を走っていた人物がリューグに体当たりを決めた。その衝撃を2・3歩前へ歩くだけで受け流し、足を止めたリューグに驚いた一行の振り返った顔をまじまじと観察した。
 一番近くからネスティ、ケイナ、フォルテ、ミニス、アメル、トリス、レシィ。
 多くも足りなくもない人数だ。

「あれ? アメル……はトリスと一緒で……」

 では、自分が掴んでいる腕はいったい誰のものなのか? そうリューグが振り返ると、仲間達もリューグが連れたもう一人の人物に気が付いた。
 リューグが急に立ち止まった際にぶつけたのか鼻を押さえ、激しく咳きこむ黒髪の娘。

「おまえ……」

 見覚えのある気がする娘にリューグは瞬く。
 どこかで絶対にあった事があるはずだが、すぐに思い出せない。
 咳き込んで俯いているのが原因だろうか。顔を見れば思い出せる気がするが、呼吸を整えることもままらなず、娘は咳き込み続けた。

「ほら、水よ。しゃべれる?」

「あ、ありは……ほう、ごじゃ……ますぅ」

 見兼ねたケイナの差し出した水筒を受け取り、娘は水を口へと運ぶ。
 優しく介抱しているように見えて、しっかりと娘の背後にまわったケイナはさすがと言ったところか。さり気なくミニスを背中から降ろしたフォルテがケイナと娘を挟み込むように陣取った。

「あら? あなた……」

「少し前にゼラムであったな」

 娘に既視感を覚えたのは自分だけではなかったらしい。
 そう瞬くリューグの横に移動し、ネスティは眉をひそめた。

「知り合いか?」

「レルムの村に行く少し前にあったんだよ」

 ああ、それで見た気がしたのか。
 レルムの村を訪れた人間の数は把握していないが、かなりの人数がいたはずだ。その中の一人がたまたま自分の記憶に引っ掛かっているのだろう。
 そう思い至り、改めて呼吸を懸命に整える娘を見下ろし――――――

「おまえ……たしか、だったか?」

「あ、はい。えっと……」

 呼吸が整わないながらも、聞かれた事には答えようと顔を上げた娘には、確かに見覚えが合った。
 それも、通りすがり程度に印象に残った娘ではない。
 レルムの村では年少の少女が世話になり、自身もまた宿を世話した多少とはいえ関わりのあった娘だった。

「……リューグさん、でしたよね?」

 濃い茶の瞳をパチパチと瞬かせ、知った顔に安心するようには僅かに小首を傾げる。わずかに逡巡する仕種が、リューグにはも自分の名前を思いだそうと――実際には、リューグとロッカのどちらだろう、と考えていたのだが――思案しているように見えた。

「ってか、なんでおまえがいるんだよ?」

 こんな場所に。
 いや、場所という意味でなら、リューグが連れて来てしまったのだが。

「ええっと……散歩をしていたら辺りが霧に包まれて?
 怖くなって、動けないでいたら何かがぶつかって来て……」

「あ……」

 の言う所の『何か』にあたる少女――アメル――が決まりが悪そうに口元を手で隠した。

「そのまま腕を掴まれて、ここまで……」

 つまり、霧の中でアメルがに衝突し、転倒。
 急いでいた自分達がアメルを助け起こそうとして、をも連れてきてしまった、と。

「なんですぐに人違いだって言わねーんだよ」

「すみません。言おうとはしたんですが……」

 舌を噛みそうな勢いで走っていたので、何も言えませんでした。
 そう肩を落として小さく詫びるに、リューグは盛大なため息を吐く。
 もしかしなくとも、悪いのは自分だ。
 それなのに、何故の方が誤っているのだろうか、と。

「……で、結局彼女は何者なんだ?」

 呼吸を整え、水筒の蓋を丁寧に閉めるから油断なく視線を逸らさずにネスティが問う。
 おそらくはについてこの場で誰よりも知っているのは自分だ、とリューグは口を開いた。

「妹を探している旅人の連れだ。
 道を間違えて、一度村に来た事がある」

 リューグの口から漏れた『妹』という言葉に、ネスティはちらりとアメルを見る。
 見知らぬ娘――知り合いではあるらしいが――に対し、現在異常な状況に置かれている身でありながらリューグがすぐに警戒を解いた理由がわかった。
 旅人とやらが探している『妹』とアメルを重ねているのだ。

「なんであんなトコにいたんだ?
 あの後、ゼラムに行ったんじゃないのか?
 マグナの妹とは会えたのか?」

「ええっと……」

 矢継ぎ早に質問され、はどれから答えたものかと戸惑う。
 リューグの問いには全て答えられる。ただ、質問が早すぎて咄嗟に反応できていない。

「あそこに居たのは、休憩です。
 朝からずっと召喚術を使っていたので、疲れちゃって……」

 そう答えるに、リューグは思いだす。
 確かに、レルムの村でも召喚術をつかった後は休憩をとっていた。
 疲労から青白い顔をして、召喚術はやっと使えるようになったばかりだ、と言いながら。

「ゼラムには行きましたが、妹のトリスさんは見聞の旅に出たらしくて、
 結局会えなかったんです」

「……そうか」

 多少とは言え気にしていた妹探しの顛末を聞き、リューグはそっとため息を吐き――――――違和感に眉をひそめた。
 今、何かの言葉には引っ掛かるものがなかっただろうか。

「妹の……」

「……トリス?」

 リューグと同じように違和感を覚えたらしいフォルテとケイナが首を傾げる。それから、今聞いたばかりの名前と同じ名前を持つ少女へと視線を移した。

「え? なに?」

 フォルテとケイナ、それからリューグの視線を追ったの注目を集め、トリスこと蒼の派閥の少女は瞬く。
 予期せず一斉に仲間達の注目を浴びれば、トリスでなくとも戸惑うだろう。
 戸惑うトリスが救いを求めるようにアメルへと視線を泳がせると、何かに思い当たったらしいアメルがポンと手を鳴らした。

「あ! トリスさんって、トリスさんの事だったんですね!」

 場にそぐわない笑顔を浮かべたアメルに、その場の全員の視線が集まる。

「以前、村に来た旅人さんが探していた妹さんの名前が『トリスさん』だったんです」

 これで納得! とばかりにニコニコと微笑むアメルに、当事者であるトリスと、『トリスという名の妹を探していた』というはまじまじと視線を合わせる。
 トリスにはまったく見覚えのない顔だったが、からトリスを見た場合は――――――

「えっと……あなたの名前は、トリスさん……?」

「うん、そう……」

 戸惑いを隠せない素直な性質とわかる顔つきと、馴染みのある紫がかった黒髪。同じ色の瞳と、以前ゼラムで出会った少女が着ていた物と良く似たデザインの蒼の派閥の制服。背格好から察する年齢も、マグナの双児の妹と考えるのならば丁度良い。
 ほんの偶然のことではあったが。
 はマグナの旅の目的である『トリス』を見つけることに成功した。



 ――――――そのかわり、マグナとはぐれてしまったのは御愛嬌。






  
(2011.08.02)
(2011.08.10UP)