ユウナがルヴァイドの元へと辿り着くと、兵団の何人かがちらりとユウナに視線を向けた。それを受けて反射的にユウナが視線の主達に顔を向けると、ルヴァイドが己の体を使って視線を遮る。
 ルヴァイドからの珍しい反応に、意図的に自分から兵団を隠したのだと悟り、ユウナは視線を目の前の男に戻す。
 ルヴァイドの背後で移動する兵団は、一般人であるユウナが見てはいけない物だ。

「……こんにちは」

「もう、こんばんはに近いと思うがな」

 気まずい沈黙を払拭するようにユウナが当たり障りのない挨拶をすると、ルヴァイドは空を見上げる。つられてユウナも空を見上げるが、確かに「こんばんは」という時間だろう。先程まではまだ夕方と言えなくもなかったが、今はすっかり日が落ちて丸い月が空にぽっかりと浮んでいた。
 思いのほか長い散歩になってしまっている。早く夜営地に戻らなければならない。

「……部下が世話をかけるな」

「え?」

 予期せぬ言葉にユウナが瞬くと、ルヴァイドは苦笑を浮かべる。

「マグナと共に、怪我人を癒してくれているだろう」

 そう言って視線だけで背後を示すルヴァイドに、ユウナは促されるように先程隠されたばかりの隊列を見た。
 今も一人、ユウナの方へと視線を向けている兵士がいる。
 その顔には見覚えがあった。
 今日の昼過ぎに、ユウナの召喚術で呼び出された天使が怪我を治した男性だ。ということは、先程からチクチクと感じる視線はおそらく、今日マグナとユウナに傷を癒された人物からの視線だったのだろう。
 そう気が付くと、何やら急に気恥ずかしくなってユウナは肩を竦める。

「わたしなんてまだまだです。
 高位の召喚術は使えないし、小さな召喚術だって、
 まだ使える回数も少なくて、すぐに疲れちゃって……」

 休憩の方が多い来もする。
 今も休憩のつもりで天幕を出てきていた。

「そうだな。まだまだだな」

「ううっ……」

 自分で言いながら落ち込み、それをルヴァイドに認められてまた落ち込む。
 しゅんっと落ち込み肩を落とすユウナの頭に、ルヴァイドの大きな手が乗せられた。

「だが、以前に比べれば召喚獣を安定して使役できているだろう」

 以前はユウナの魔力が足りなくて、かすり傷程度しか治せなかったが。
 今は少々深い傷であっても癒せる。
 マグナと比べればはるかに時間がかかるが、内臓まで達した傷であっても癒せるようになった。

「そ、そうでしょうか……?」

 滅多にないルヴァイドからの褒め言葉に、ユウナはほんのりと頬を染める。軽く頭を撫でられ、うっとりと微睡んだ。――――――ハサハがマグナに頭を撫でられるとどんなに怒っている時でも途端に機嫌を直すのが理解できる瞬間だった。そして、マグナがすぐにハサハの頭を撫でるのも、ルヴァイドから受け継がれた癖なのだろうとも。

「でも、ご、……マグナさんに比べたら、まだまだです」

 複数人を一度に癒すことも、大きな怪我を一瞬で癒すこともできない。

「あれが何年召喚術を使っていると思っている。
 デグレアに来て以来、十年以上だぞ。比べる方が間違っている」

「そ、そうですよね。……すみません」

 褒められて少し調子にのってしまったか、とユウナは肩を落とす。
 それとタイミング同じくして頭から降ろされたルヴァイドの手が名残惜しい。

「……それより」

「はい?」

 話題が変わる事を悟り、ユウナは顔を上げる。
 ルヴァイドの紫紺の瞳と目が合うと、彼はどこか嬉しそうに微笑んでいた。

「名前で呼び始めたのだな」

 ルヴァイドの言葉の意味が一瞬だけわからず、ユウナは首を傾げる。
 それから二度三度とゆっくりと瞬き、ようやくルヴァイドが何を差しているのかに思い至った。

「イオスさんのアドバイスです。
 名前で呼んで、対等の付き合いをした方が我侭も言いやすいだろうって」

「我侭?」

 意外な言葉を聞いた。
 そう瞬くルヴァイドに、ユウナは苦笑する。

「……わたし、やっぱり元の世界に帰りたいです」

 元の世界にいる間は、いつも逃げ出したいと願っていた場所ではあったが。
 やはり、あそこが自分の生まれた世界であり、生きて行く場所なのだと。
 このまま護衛獣としてリインバウムに根を張る事はできない。

「昨日、王都の近くにあるレルムって言う村に行きました……」

 焼かれた村の惨状を思いだし、ユウナは俯く。
 微かに、頭上で息を飲む音が聞こえた。

「何日か前に道に迷って行った時とは全然違う……酷い惨状でした。
 悪い人達に襲われて、老人も子どもも、怪我人や病人も、
 みんな殺されちゃったそうです。
 わたし、リインバウムがあんなに怖い事が起こるトコだなんて……」

 知りたくなかった。
 いや、知ってはいた。
 リインバウムに召喚されたユウナは、身を守るために弓術を習い、召喚術を身に付けた。
 それはつまり、リインバウムで生きるためにはそれらの武力が必要になると言う事だった。自分を守るために、他人を傷つけるための力が。
 だから、頭では理解していたはずだった。
 レルムの村の惨状を見るまでは。

 思いだす度に落ち込まずにはいられないレルムの村の惨状に、ユウナは一度深く息を吐き出す。
 そろそろ頭を切り替えなければならない。
 ロッカとアグラバインという生存者が戻ったあの村は、すでに復興へと向けて歩き始めているのだから。
 部外者であるユウナがいつまでも落ち込んでいても仕方がない。
 まずは自分が顔を上げることから――――――とユウナが顔を上げると、紫紺の瞳と目が合うことはなかった。いつもならばルヴァイドは落ち込むユウナを見守り、静かに浮上してくるのを待ってくれている。ユウナが気分を切り替えて顔をあげると、必ずルヴァイドの紫紺の瞳と目が合ったのだが、今夜は視線が合うことはなかった。
 非常に珍しいことではあったが、ルヴァイドの顔は微かにユウナから逸らされており、なおかつ俯いていた。

(なにか、落ち込むような事でもあったのかな……?)

 そういえば、昨夜から妙にマグナがルヴァイドに対してよそよそしい態度を取っていた気がする。何か喧嘩でもしたのだろうか。
 逸らされているために顔が見えず、表情からルヴァイドの感情を読み取ることはできない。ユウナはそんなルヴァイドの頬に手を伸ばし――――――

「俯くな!」

 ぱしっと勢いよくルヴァイドの両頬を包む。

「……前に、わたしにそう言ったの、ルヴァイドさんですよ?」

 以前、自分をそう激励してくれたルヴァイドを真似、ユウナはついでに眉を寄せて下から凄んでもみた。――――――まあ、ユウナが凄んだところで、ルヴァイドの迫力など真似はできないのだが。それでも一瞬だけぽかんとルヴァイドが瞬いたのだがら、多少は効果があったのだろう。

「暗くなっちゃう話をしたのはわたしですが、
 ルヴァイドさんが俯く必要はないはずですよ?」

 それに、と言葉を続けてユウナはレルムの村のある方角へと視線を向ける。

「村は酷い惨状で、みんな殺されちゃった後だったけど……
 生き残りもちゃんといました」

「……生き残り?」

「宿をお世話になったおじいさんと、そのお孫さんが生きていて、
 村の片づけを始めています。
 本当は、片づけをお手伝いできたら良かったんですが……」

 先を促すようなルヴァイドの瞳に、ユウナは苦笑した。

「マグナさんが突然『用事ができた』って走りだしちゃったので、
 追い掛けるのに夢中で、お手伝いはできなかったんです」

「……そうか」

 そこから先は、ユウナが語らずともルヴァイドにはわかる。
 マグナの用事とは、昨夜天幕へと飛び込んできて最初に聞いてきた事だろう。
 レルムの村を焼いたのは、黒の旅団で間違いがないのか、と。






「……綺麗な月」

 会話が途切れ、ユウナは夜空を見上げる。
 夕闇どころか、すでにいくつもの星が瞬く時間になっていた。

「そうだな……」

 ユウナにつられたのか、同じように夜空を見上げてルヴァイドが応える。
 ユウナは視線を月からルヴァイドに移して気が付く。いつのまにか平原を進む隊列の足が止まっていた。それどころか、さらに小さな組みに別れて並び直している。

「……一人で夜営地まで戻れるな?」

「はい」

 月から自分へと視線を戻したルヴァイドの静かな声音にユウナは頷く。
 歩きながら何度か距離と方角を確認していたので、来た道を戻ることは可能だ。
 ただ一つ心配な事があるとすれば、あたりが闇に包まれていることぐらいだろうか。とはいえ、元の世界に居た時は気が付かなかったが、月明かりは案外明るい。特に障害物のない平原を移動するぐらいならば、なんの問題もなかった。

「では、ここからは俺の仕事場だ。
 おまえはマグナの元へ戻れ」

 『仕事場』という言葉の意味がわからず、ユウナは瞬く。
 が、すぐに言葉の意味に思い当たり、いくつもの組みに分けられた隊列の意味にも気が付いた。ルヴァイドが、自分の視線から隊列を隠そうとした意味も。

 ここはこれから戦場になる。

 言外に込められたルヴァイドの言葉に、ユウナは素直に頷いてからルヴァイドに背を向けた。






  
(2011.07.26)
(2011.08.05UP)