天幕で出された料理を食べ終わり、は食器の片付けに名乗りを上げた。
本来ならルヴァイドの客分として扱われ、そんな事をする必要はないのだが、泊めていただくのだから、とは労働に勤しむ。ちなみに、ハサハはマグナにべったりと甘えるの忙しいらしく、どう考えても手伝う気はない。
マグナはといえば、の顔と手の傷を召喚術で癒した後、また何かを悩んでいるようで沈んでいた。
正直なところ、は塞ぎ込んだマグナとの間が持たず、逃げ出してきたともいえる。
冷たい小川に食器を沈め、汚れを洗い流す。
の他には一人の少年兵が食器洗いをしていた。片付けの当番は他にもいたが、作業は分担されているらしい。他の3名は食器の回収をしてくると言って、夜営地中を回っている。
「……替わろう」
不意に聞こえた声にと少年兵が振り返ると、少年兵の後ろにイオスが立っていた。
少年兵は突然上官に声をかけられ、慌てて姿勢を正す。
「はっ! あ、いえ、イオス隊長に片付けなど……」
上官の命令、と素直に場所を譲ろうとして、少年兵は戸惑う。
いくらなんでも、上司に食事の後片付けなどさせる訳にはいかない。
例え上司当人からの申し出であっても断るべきだ。そんな事を考えているのだろう居心地悪そうに身じろぐ少年兵に、は肩を竦める。
イオスの行動は、から見ても時々突飛なことがあり、理解ができない。
今回はいったい何を考えての行動だろうか。
そう考えながらが視線を小川に戻して作業を再開すると、イオスは袖を捲り上げながら言葉を重ねた。
「替わろう」
「は、はい」
作業を再開したへと視線を向けるイオスに、少年兵は遅れて自分の上司が意図することに気が付いた。イオスがに槍術の手ほどきをしていた時期があったことは、旅団内の誰もが知っている。久しぶりに再会した少女と、たとえ食器を洗うための僅かな時間であったとしても、会話がしたいのだろうと。
恐縮しながら立ち去る少年兵を見送った後、イオスはの隣へと腰を降ろした。
宣言どおり黙々と食器を洗い始めたイオスに、も黙々と作業を続ける。
――――――居心地が悪い。
沈んだマグナの側にいるのとは、また違った意味で気まずい。
イオスには、先日王都ゼラムで怒鳴られたばかりだった。
何が彼の逆鱗に触れたのか、思い当たる節がないだけに対処のしようがない。
結果として見目良い男女が二人揃って黙々と食器を洗うという、はた目には奇妙な空間ができあがった。
「……なにも、そんなに構えなくても良いだろう」
「え? あ、すみません……」
時折追加の食器を運んでくる当番の兵士に首を傾げられながら黙々と作業を続けていると、不意にイオスが深いため息を吐いた。
それまでひたすら無言で作業をしていたため、ため息と言えどにはとても大きな音に聞こえる。反射的にびくりと肩を震わせると、呆れたようにイオスが作業の手を止めて苦笑を浮かべた。
「その、……この間は悪かったな」
「え?」
何を言われているのか咄嗟に理解できず、は瞬いてイオスに視線を移す。の視線を受けたイオスは、こちらは小川から顔を上げることなく作業を再開していた。
「ゼラムで……怒鳴っただろう」
「あ……あれは……」
足されたイオスの言葉に戸惑う。
ゼラムでのことは、自分が悪かったのではないのだろうか。
突然イオスが怒りだし、その理由がわからなかったため、はそう思うようにしていた。
おそらくは、一般人である自分が軍人の仕事について世間話のように聞いてしまったから、イオスが怒ったのだと。
そう考える以外には、イオスが怒りだした理由がには見当もつかない。
「あれはただの八つ当たりみたいな物だ。
おまえは悪くないから、気にするな」
「……はい」
穏やかな声音でそう語るイオスに、は緩やかに緊張を解く。
あの日怒られた事も、イオスが今言ったように、ただ機嫌が悪かっただけなのだ、と素直に受け止めた。
多少の引っ掛かりは覚えたが。
「えっと……、誰にでも、機嫌の悪い日ってありますよね」
珍しくも自分に対して詫びの言葉を述べるイオスに、は戸惑いながら言葉を探す。また不用意にイオスの機嫌を損ねぬようにと思っただけなのだが、小川に視線を戻したに、ちらりと今度はイオスの視線が投げかけられた。
「……マグナから、聞いていないのか?」
「何を、ですか?」
少しだけ上擦ったイオスの声に、は再び顔を上げる。
そのままの視線を受けたイオスは、の視線から逃れるように小川に沈めた食器へと視線を落とした。
「……なんでもない」
小さな声ではあったが、ハッキリとわかる拒絶に、は口を閉ざす。これ以上は何を聞いた所でイオスが答えてはくれないだろうと、経験的に知っていた。
「……それより、どうした?」
「はい?」
自分から会話を終了させたくせに、再び話を振ってきたイオスに、は瞬く。これはイオスにしては相当珍しいことだった。
「おまえが男所帯で個人行動なんて、珍しいだろ」
男性恐怖症とまでは言わないが、が男に対して苦手意識を持っている事をイオスは知っている。そのが、ほぼ男性しかいない黒の旅団内で個人行動を取ってまで食器洗いという労働に勤しんでいるのが不思議だったのだろう。そもそも、本日のは客分扱いだ。食器を片付ける必要すらない。
「今ならこの間の詫びに、少しぐらい愚痴を聞いてやるぞ?」
「え? えっと……」
珍しくも自分に対して気を使ってくれているらしいイオスに、は瞬く。
普段であれば少々の泣き言は「泣くな」「うるさい」等と、一蹴されてしまうのだが。そんなイオスが自ら愚痴を聞いてやると言い出す程、先日のゼラムでの一件を気に病んで居てくれたらしい。
――――――イオスの言葉を、はそう受け止めた。
せっかくのイオスの心遣い。
ここはひとつ話しを聞いてやると言い出したイオスが後悔する程の何か盛大な愚痴を……とは考えてみるが、特に何も思い浮かばない。
マグナの暴走により置いていかれた事には驚いたが、それは愚痴にはならないし、王都で男に絡まれた際には、イオスが助けてくれたので事なきを得た。
それなりに順風満帆な旅程であったと思うのだが――――――
「……王都ゼラムに行く途中で、
道を間違えてレルムっていう村に行ったんです」
愚痴らしい事柄を思いだし、はポツリと口を開く。
隣で小さくイオスが息を飲む音がした。
「……それで」
「緑の豊かな、のどかな村でした」
「そうか」
やや堅くなった気がするイオスの声音に、は声をひそめる。
ここから先は、少々話し辛い。
「今日、二度目に行ったレルムの村は……
焼き払われて、遺体がいっぱいありました。
病人も、子どもも……みんな殺されていました」
「…………」
瞼に焼き付く光景に、は口を閉ざす。
イオスからの相槌もすでになかった。
「わたし、あんな光景見たの……初めてで。
ご主人様にも、随分みっともない姿を見せてしまいました」
それで少し、マグナの側には居づらい。
なにやら塞ぎ込んでいるマグナに間が持たないというのは、単なる言い訳だ。
遺体の山に動揺し、取り乱して「近付くな」とマグナに物を投げ付け、作業を投げ出して一人だけ清々と胃の中の物を吐き出し――――――と今日一日の自分の行動を思いだし、は肩を落とす。
そういえば、まだちゃんとマグナに謝罪していなかった。
「近付くな」と叫び、物を投げ付けたことについて。
「……ここは戦争のないと言うおまえの居た世界とは違いすぎるんだ。
遺体の山を見て、取り乱さない方がおかしいだろう。
それぐらい、あの莫迦もわかってるはずだ」
主人であるマグナを『莫迦』と称され、は苦笑いを浮かべた。
『合わせる』べきは従者であるであり、主人であるマグナではない。
「わたしの覚悟が足りなかったからいけないんです。
……早く慣れませんと」
慣れないと、リインバウムでは生きていけない。
レルムの村の惨状はともかく、凄惨な死体は珍しい物ではないと、ロッカも言っていた。
リインバウムで暮すのなら、これからも凄惨な死体に出会うことはあるだろう。その度に取り乱して胃の中の物を吐き出してはいられない。
「……慣れなくていい」
ポツリと投げかけられたイオスの言葉に、は顔を上げる。
相変わらずイオスの視線は小川を見つめたままであったが、作業の手は止まっていた。
「っていうか、そんな物に慣れたら不味いだろう」
遺体の山を見ても動揺しない等と。
どう考えても普通の少女の反応ではない。
「でも、あれがリインバウムの普通なら、早く……」
慣れた方がも取り乱さなくて済むし、マグナに迷惑もかけない。
としてはそう思うのだが、の言葉を遮りイオスは顔をしかめた。
「前から思っていたんだが、おまえは聞き分けが良すぎる」
「え?」
「あまりいつまでも聞き分けが良いふりをしていると、
そのうち限界がくるぞ」
『聞き分けが良い』と称されて、は戸惑う。
聞き分けが良いというのは、普通は褒め言葉だ。親が手のかからない子供を褒める時や、他人に子供を自慢する時に使う。
が、イオスの言う『聞き分けが良い』は決して褒め言葉ではない。
否定を含んだ言葉の響きに困惑し、は食器を持った自分の手とイオスの顔とを何度も見比べた。
「わたし、聞き分けが良いなんて……。
ただ、あの光景がリインバウムの普通なら、
少しでも早く慣れて、ご主人様に御迷惑をおかけしないように……」
「それが聞き分けの良い『ふり』だって言ってるんだ。
おまえがなんでここの普通に慣れなきゃならない?
おまえの方が被害者だろう」
きっぱりと告げられた『被害者』という言葉の違和感に、は瞬く。
否。思考を停止した。
自分がマグナの行った召喚術の『被害者』であると言う事は、知っていた。
気が付いてもいた。
ただ、異界の住民の尊厳を踏みにじり、痛苦によって相手を使役することに何の疑問も抱いていないリインバウムの人間相手に、召喚された側の被害者意識は邪魔にしかならない。
リインバウムに召喚された日。マグナとレイムにされた召喚術の説明から、は即座に理解し、選んだ。
リインバウムで生きるために。
召喚主に飼われるために。
自分は『召喚獣』になろう、と。
「召喚獣とはなんだ?」
「召喚された異世界の存在で、術者のために働く存在……です」
護衛獣としてマグナを守るため、レイムに習った召喚術。
その最初の授業で教えられたことだ。
「……違うな。
召喚獣とは、無理矢理わけのわからない力で異世界へと連れてこられ、
術者のための強制労働を強いられる犠牲者だ」
はっきりと切り捨てるイオスの言葉に、は薄く唇を噛む。
「なんで召喚獣が術者の命令を聞かなければならない?
会った事もない人間、それも自分達より遥かに脆弱な生き物の命令を」
機械や天使であれば、人間の命令や願いを聞いてもくれるかもしれないが。
メイトルパの獣は、自分より力の弱い者には決して従わない。
シルターンの神や鬼も同じだ。
にも関わらず、召喚術という力には彼等に命令を聞かせる力がある。
「召喚獣は契約によって縛られる。
逆らう者には痛苦を与えて無理矢理従わせている」
イオスの言葉は、そのまま――――――裏を返せばの本心でもある。
だからこそ、は契約の際に必ず召喚獣の意志を問う。
自分に従う事を承知か否かと。
そして、否と答えた相手とは契約を破棄する。
その過程で、護衛獣として呼び出した悪魔を自由にし、『しっぺがえし』として呪いを受けることにもなったが、は後悔だけはしていない。相手の意志を無視し、自分に無理矢理従わせるよりは、契約を断られる方が余程ましだ。
結果として、に扱える召喚術は力の弱い天使であったり、気の優しい獣であったりと、攻撃には適さないモノたちばかりになった。
それでも、他者と召喚獣を傷つけるよりは何百倍も良いとは思う。
「……でも、おまえは契約に縛られてはいない。
おまえが呼び出されたのはただの事故で、正しく契約がなされていないからだ」
だから、がマグナに逆らったとしても、が痛苦に苛まれることはない。
もそれを知っている。
けれど、マグナの側に居る事を選択したのは自身だ。
ただマグナに従い、マグナの側にいる方が『楽だから』。『召喚獣とはそうするものだ』と自身が選び、マグナを『ご主人様』と呼ぶ事を選んだ。
主人と呼ぶ事でマグナを一段上に置き、個人として対峙することを拒んだ。
「嫌なことは嫌だと言っていいし、我侭であの莫迦を振り回しても良い。
おまえは自由なんだ。おまえは僕達とは違う。
デグレアにも、召喚主にも縛られてはいないんだ」
デグレアの元老院議会に縛られているイオスとルヴァイド。
そんな二人から見れば、自由の身であるくせにわざわざ不自由な場所に留まっているが歯がゆくもあるのだろう。
「楽だ」という理由だけで召喚主に縛られる事を唯唯諾諾と受け入れるが。
マグナを主人として受け入れているのには、の性格という点もある。
思えば、いつも他人の顔色を窺う生き方をしてきたような気がした。
家の中では両親の――特に母親の――顔色を窺い、学校では級友の顔色を窺い、面白くも興味もない話題に相槌を打ちながらただ曖昧に笑っていた気がする。そうする事で波風が立たず、平穏に過ごせるのならばそれで良いと。
そして、この性格はきっとこれからも変わらない。
そう思う。
本当はマグナの元を離れても生きていけると『知っている』。
そうでなければ、マグナを旅団の野営地まで追い掛けることもできなかったはずだ。
自分より年少であるハサハがいたから、年長者の意地で動けたというのは言い訳に過ぎない。
行動力も、一歩前へと進むための勇気も、本当はずっと前からの中にあった。
は自分で進むべき道を選べるし、進みたくない道を拒否することもできる。
ただ、楽だから。
考えるのが嫌だから、誰かに寄生し、従っているだけだ。
――――――マグナの感じる重荷に気が付かないふりをして。
「とりあえず、あの莫迦を名前で呼んだらどうだ?」
「あの莫迦って、ご主人様の事ですか?」
「そう、それだ。『ご主人様』だなんて呼んでるから、
いつまでも自立できないんだ」
ついでに、マグナにも自覚が生まれない。
とマグナは対等の個人であり、どちらかが主人でどちらかが僕でもない。
「帰りたいって気持ちがあるなら、それを忘れるな。
おまえはただので、契約に縛られた召喚獣じゃない。
帰る場所があるんだ」
帰る方法があっても、帰れない故郷がイオスにはある。
帰る方法があれば、すぐにでも帰れる故郷がにはある。
「帰りたい、帰りたいって、毎朝毎夕耳もとで囁いてやれ。
そのうち、あの莫迦も自覚して本腰を入れて探し始めるかもしれない。
おまえを名もなき世界に送り返す方法を」
そのためにはまず、がマグナと向き合わなければならない。
主人と僕としてではなく、個人として。
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(2011.07.23)
(2011.07.30UP)