「ハーサハ、歩き難い」

 先ほどから腰にしがみついたまま離れる様子のないハサハに、マグナは苦情を言ってみた。
 が、聞き入れられる様子はない。
 ハサハは白い狐の耳を伏せ、『聞こえていません』と可愛らしくも態とらしい意思表示していた。一向に改善される様子のない密着状態に、マグナとしては時々足を踏まれるのが地味に痛い。

……」

「ハサハちゃん、ご主人様の足に抱き着いたらどうかな?
 歩かなくてもいいから、きっと楽だよ?」

 聞く耳を持たないハサハに、もう一人の護衛獣少女に仲裁を求めてみたが、こちらも笑顔で黙殺されてしまった。
 改めて、普段怒らない人間を怒らせてはいけない。
 そう身に染みた。

 の提案により、それまでは一応歩いていたハサハが歩く事を止める。
 マグナの腰はハサハの腕から解放されたが、今度は左足にハサハ一人の全体重が預けられることとなった。足が開かない着物姿であるにも関わらず、ハサハは器用にマグナの足にしがみつき、ぶら下がる。マグナは知らないが、から見れば懐古をテーマとしたテレビ番組に時折出てくる『だっこちゃん人形』に似ていた。
 微笑んではいるが、二人とも相当怒っていると判る少女に、マグナは苦笑する。

 ――――――突然『日常』に引き戻されて、戸惑ってもいた。

 ついさっきまでルヴァイド達と交わしていた会話が、まるで夢であったかのように錯角する。
 とハサハ。
 二人の少女と時々ふざけ合いながら旅をしているのが本当で、デグレアの徴兵制度だとか、特権階級だとか、イオスに聞かされた様々なことが嘘であったかのように。
 そうあって欲しいと自分自身が願っているだけだと、今のマグナにはわかる。

「……置いてけぼりにして、ごめんなさい。
 俺が悪かったです」

 足にしがみつくどころか、どんな姿勢で掴まればよりマグナに負荷を与えられるかと相談を始めた少女二人に、マグナは先ほどから何度も繰り返している言葉を告げた。
 とりあえず、今回は全面的にマグナが悪い。
 少女二人の気がすむまで、ひたすらマグナが謝罪するしかなかった。

 頭を下げるマグナに、少女二人はこれぐらいで許していいのだろうか? と顔を見合わせる。ともすれば姉妹のように仲の良い少女達は、視線だけで会話し、僅かに小首を傾げた。

 そろそろ許してくれる気になりつつあるらしい。

 少女二人の仕種からそう読み取ったマグナは、二人の気持ちが変わらぬ内にと、気を逸らすために話題を変えた。

「……それで、ロッカはどうしてた?
 やっぱり、片づけを途中で投げ出したから怒ってた?」

 怒っていたと答えられても、今さらレルムの村には戻りづらいのだが。
 自分から言い出した事を撤回して飛び出してきてしまった手前、ロッカの反応は気になった。
 マグナは足に絡み付くハサハを抱き上げようと、ハサハに手を差し出す。先程までは手を差し出す度にハサハに噛まれていたのだが、今度は大人しく受け入れられた。マグナに抱き上げられたハサハは少し前までの不機嫌さはどこへ消えたのか、甘えてマグナの首筋に顔を埋めてくる。

「……とりあえず、レヴァティーンのおかげで腐敗は止まったので、
 あとはアグラバインさんと二人で少しずつ片付けるそうです」

「気にしなくていい、って言ってたよ」

 ハサハとの答えに、マグナは安堵のため息を吐いた。

「……そうか」

 もしもロッカに人手が足りないと責められたら、どんなに戻り辛くとも、戻らないわけにはいかない。レルムの村を焼いたのはマグナではないが、兄のように慕うルヴァイドが、これまでマグナが暮したデグレアという国の命令でした事だ。
 直接の関わりがなかったとしても、放置はできない。
 アグラバインに襲撃者の話を聞いた時は、嘘だと思った。アグラバインは何か思い違いをしているのだと。
 そして、事の真偽を確かめたいと黒の旅団夜営地を地図上から割り出し、押し掛けた先でルヴァイド本人に真実だと認められてしまった。
 真実を聞く過程で、これまで知ろうともしなかった自分の立ち位置も知った。
 レイムの養子としてデグレアに籍を置く自分が旅に出るということは、もしかしなくとも養父に多大なる迷惑をかけているのではないか。

 そう初めて気が付いた。

 視線を落とすマグナに、とハサハが気遣わしげに視線を合わせる。少々いじわるが過ぎただろうか、と戸惑う二人の気配にマグナはなんでもない、と緩く首を振ってこたえた。

「マグナ殿!」

 ルヴァイドの天幕があった方向から走ってくる旅団員――とハサハを連れてきた栗毛の青年だった――に、マグナは改めて気が付く事があった。彼ら黒の旅団員が自分に対して『殿』と敬称をつけるのは、ルヴァイド元で叩き込まれた騎士としての礼節が元ではない。マグナが顧問召喚師であるレイムの養子だからだ。物心付くか付かないかといった頃からそう扱われてきたので、今の今まで気が付かなかった。

「総司令官からの伝言です。
 天幕を一つあけるから、今夜はここに泊まっていくように、とのことです」

「……わかった」

 レルムの村を焼いたルヴァイドへの反発心から、素直に申し出を聞く気にはなれなかったが。自分一人ならまだしも、とハサハには野宿よりも天幕の方がいいだろう。特に、の顔や手には小さな擦り傷が沢山あった。まずは落ち着いて座れる場所を確保して手当てをした方が良い。
 天幕へと案内するため、前を歩く旅団員に続いて歩く。
 改めて観察すれば、彼もまたマグナと大差のない年齢をしているとわかった。
 黒い鎧に被われた背中を見つめ、マグナは考える。
 自分はこれまで、何を見てきたのだろうと。
 そして、これから何をしていくのだろう、とも思った。
 レイムの養子としての特別待遇。これにいつまでも甘えていていいのだろうか。
 そもそも、自分はどこに属しているのだろう。
 出身は聖王国だが、すでにそこで過ごした年月よりも長い時間をデグレアで過ごしている。
 では、自分はデグレアの民であるのか――――――そこまで考えて、マグナは緩く首を振った。

 デグレアの民であれば、こんな風に悩むこと事体が許されない。
 マグナはレイムの養子であっても、デグレアの民などではなかった。






  
(2011.07.21)
(2011.07.28UP)