時折自分の姿を見つけ声をかけてくる者がいたが、マグナはそれに応じることなく夜営地をまっすぐに歩く。
目当ての天幕はすぐ目の前にあった。
黒い厚手の防水加工の施された布に、目立たぬよう黒い絹糸で折り込まれたデグレアの紋章が松明に照らされている。夜営地の中で総司令官の天幕が一番小さいのは、ルヴァイドの人柄に寄るものだ。一人だけのために用意される大きな天幕は贅沢であり、無駄でしかない。しかし、総司令官という役目上、機密の守れる空間は必要だった。それらの理由から、普通に考えれば一番大きいであろう総司令官の天幕が、黒の旅団では一番小さい。
「兄さんっ!」
誰何もせずに、マグナは天幕の入り口にある布を持ち上げて中へと飛び込む。
天幕の中には目当ての人物の他に2人――正確には1人と1機――が小さな卓を囲んでいた。
「黒の旅団がレルムの村を襲ったって、本当かっ!?」
突然の珍客であるマグナにルヴァイドは微かに目を見開いて驚き、続いた言葉にその驚きを表情から隠した。ほとんど一瞬と言って良いルヴァイドの反応に、マグナはアグラバインに対して否定したことは間違いだったのだと直感する。
「嘘だよな? 何かの間違いだよな?」
ルヴァイドの反応から事実であると直感はしたが、マグナはそれでもそれを否定をして欲しい。
自分が兄と慕うルヴァイドが、レルムの村の虐殺を招いた等とは。
「何故、おまえがそれを……」
「俺の質問答えてくれっ!!」
自分の質問に対し、ルヴァイドに質問で返されそうになり、マグナは声を張り上げる。今は話しを逸らされたくはない。
『兄さん久しぶり』だとか『元気だった?』だとかの日常会話は、後でいくらでもすることができる。
マグナにとって今重要なのは、レルムの村を焼き払ったのがルヴァイドなのか、アグラバインの勘違いだったのか、その確認を取りたいだけだった。
「マグナ!」
不意に横から伸びて来たイオスの手が、マグナの肩を捉える。
今にもルヴァイドに掴みかかりそう勢いで迫っていたマグナは、ぐいっと背後へと引き倒された。マグナがバランスを崩した隙を見逃さず、イオスが自分とルヴァイドの間に立つ。忠犬と揶揄されることもあるイオスは背中にルヴァイドを隠しつつマグナを睨み付けるが、イオスを諌める声は当の主人からあがった。
「……イオス」
「しかし、ルヴァイド様……」
「下がれ」
「…………はい」
僅かな沈黙から内心の葛藤を覗かせて、イオスは身を引く。
ルヴァイドとの距離に遮蔽物のなくなったマグナは、ほんの少しだけ冷静さを取り戻しつつあった。
冷えつつある頭で、マグナはルヴァイドと対峙する。
マグナがルヴァイドの紫紺の瞳をまっすぐに見据えると、ルヴァイドは小さく息を吐いた。
「……レルムの村を襲撃し、
女、子ども問わずに切り捨てるよう命令したのは俺だ」
「なっ!」
咄嗟にルヴァイドの襟首へと伸びたマグナの手を、イオスが捕まえる。やハサハの腕であれば骨が折れるであろう力を込めて握られたが、マグナは動じることなくこれを無視した。
「なんでそんな事をしたっ!?
あそこには病人や怪我人もいっぱいいたんだぞ!?」
マグナがレルムの村に初めて訪れた日。
広場中には聖女の奇跡を求める旅人が溢れかえっていた。
中には護衛に雇われた冒険者や傭兵もいたが、多くの旅人は怪我や病気を抱え、藁にも縋る思いで聖女の奇跡を求めていた。
一国の軍隊に夜襲をかけられて、まともな抵抗をできた者は皆無に等しかっただろう。
「……おまえは、何故あの村にこだわる?
あの村は、おまえとはなんの関わりもないはずだ」
咽の奥から絞り出されたかのようなルヴァイドの声音に、マグナは拳を解く。
ルヴァイドが、なにも伊達や酔狂でレルムの村を焼いたのではないとわかった。
ルヴァイドもまた、苦しんでいるのだと。
「ゼラムに向かう途中で、道を間違えて立ち寄ったんだ。
……お世話になった人もいた」
宿を借りたアグラバインは生きていたが。
が傷を癒した少女とその母親は死んだ。遺体は確認していないが、おそらくはリューグと一緒に川遊びをしていた少年達も犠牲になっただろう。村を訪れた時と出発の際に見送ってくれた見張りの自警団も、あの遺体の山の中、どこかで骸となって転がっていたはずだ。
ほんの数日前に出会った多くの人間が、目の前の男によってその命を奪われている。
「なんで……なんでだよ!? なんであの村をっ!!」
「いい加減にしろっ!」
最初の勢いこそ失ったが、それでもルヴァイドを詰るマグナにイオスが向き直る。一度はルヴァイドに下がれと命じられたが、イオスは再度ルヴァイドとマグナの間に立ちふさがった。
「ルヴァイド様も僕達も、好きでした事じゃないっ!
デグレアでは元老院議会の決定は絶対だ! ルヴァイド様の身を考えろ!
正しい正しくないは関係がないんだっ!!」
ルヴァイドの身と聞き、マグナは思いだす。
真実はどうあれ、デグレアでのルヴァイドの扱いは罪人の息子だ。
父の汚名を漱ぐため、身命をとしてデグレアという国のために剣を振るうルヴァイドに、意に沿わぬ命令だからといって、これを拒絶する自由は存在しない。
「だからってっ……!」
「ルヴァイド様の苦しみが、懲役を免除されているおまえに解るわけがない」
一段低く落とされたイオスの声音に、マグナは瞬く。
何か、聞き覚えのない単語を聞いた気がする。
「……なんだよ、それ」
場にそぐわぬ程毒気を抜かれたマグナの表情に、イオスは鼻で笑う。
イオス、と背後から自分を諌める主の声がしたが、意図的にこれを黙殺した。
「教えてやればいいんです、この甘えたクソガキに。
自分がどれだけ恵まれた場所に立っているのか」
自分の知らない何か。
しかし、知らなければいけない何かを、イオスは知っている。
その事を自分に告げようとしてルヴァイドに諌められ、イオスは上司の制止を無視しようとしていた。
天幕に乗り込んで来た時の勢いが完全に死んだマグナは、イオスの口から次ぎの言葉が出てくるのを待つ。
「おまえ、本当に知らなかったのか? デグレアには懲役制度がある。
おまえより年下の人間だって、ここにはいるんだ。
そういった人間が、あの村を焼き払ったんだよ。
おまえは、おまえとそう歳の違わない人間が、
好きで村一つを焼き払ったと思っているのかっ!?」
そう歳の違わない人間と聞いて、マグナは夜営地の入り口で出会った少年を思いだす。黒髪を綺麗に切りそろえた少年は、マグナの乗って来た召喚獣を連れて水場へと消えた。あの少年に対してい抱いた感想が『自分より少し下』だった。イオスの言う所の『おまえより年下の人間』に彼が含まれることは間違いない。
「……俺が、懲役を免除……? なんで……」
「あきれた莫迦だな。おまえはあの顧問召喚師殿の養子だろ。
極悪非道の顧問召喚師殿も、さすがに自分の養子は可愛いと見える。
制度の存在すら教えてなかったとは、とんだ笑い話だな」
目を細めて自分を詰るイオスに、マグナは口を閉ざすことしかできない。
反論はできなかった。
マグナはこれまで、自分が特権階級にいるとは意識したことがなかった。とはいえ、イオスに指摘された今となれば――――――いくらでも思い当たることはある。
まず、マグナは『働いて』いない。
大人として認められる年齢であるにもかかわらず、個人の就職にまで口を挟むデグレアの元老院が召喚師見習いであるマグナに『職』を当てがわずに放置していたのはおかしい。放置といっても、所詮は他国出身と追放されることもなく、レイムの養子として屋敷で『飼われて』いた。召喚術の学びの途中にあった事もあるかもしれないが、学を修めても元老院から御呼びがかからないのは不自然だ。しかも、マグナの場合は妹探しの旅にでることまで許されている。
デグレアにおいて、マグナの扱いは他に例を見ないほどの厚待遇なものであった。
そして、その事実にマグナは今日まで気が付かなかった。
それこそが、特権階級にあったマグナの驕りである。
「……まぐな」
己の驕りに気が付き、甘やかされて居たのだと自覚したマグナの興奮が収まるのを待ってから、この場に居たにも関わらず、先ほどから一言も発しなかった人物――否、人と呼ぶには語弊がある――が口を――これも誤りがある。彼には人間でいう所の口にあたる部位はない――開いた。
「トはさはノ姿ガ見エナイガ、ドウカシタノカ?」
天幕へと飛び込んで来たマグナの勢いと、そのまま繰り広げられたイオスとの舌戦に、誰一人気が付いていなかった事実をゼルフィルドは指摘した。
マグナの言葉尻を捉えて揚げ足を取ることを無上の喜びとしているようなイオスではなく、ゼルフィルドからの指摘にマグナの思考はゆっくりと回復する。
とハサハは――――――
「ああっ!? レルムの村に忘れて来た――――――っ!?」
むしろ、墓地でアグラバインに黒の旅団が襲撃者だったと聞いてからの記憶が曖昧な気がする。
黒の旅団が夜営をしているであろう場所を探そうと地図を取り出して、とりあえずアグラバインの無事をロッカに伝えた。そのまますぐに召喚獣を呼び出して一直線に黒の旅団夜営地まで来た。
ああ、そうえば。
地図を探している時にが何か言いかけていた気もする。
走り出した召喚獣に追いつこうと、ハサハが懸命に後ろから追いかけてきた気もしてきた。
ふつふつと浮かび上がる曖昧な記憶に、それでも黒の旅団が行った事を思えば今さらレルムの村には戻り難い。
しかも、埋葬を手伝うと言って村に行ったのに、確認したい事ができたからと、その約束を撤回してここまで全力疾走してきてしまった。
二重にも三重にも、レルムの村には近付き難い。
さて、どうしたものか。
己の暴走がしでかした不始末にマグナが頭を悩ませていると、天幕の外から遠慮がちな誰何が聞こえてきた。
「総司令官」
「何ごとだ?」
マグナには先ほど聞いたばかりの声だった。
声の主は夜営地の入り口でマグナに声をかけてきた、栗色の髪の青年だ。
「こちらにマグナ殿はおられるでしょうか?」
「ああ、ここにいるが、どうした?」
本来夜営地にいないはずのマグナを探す部下に、眉をひそめながらもルヴァイドは答える。一般人扱いとはいえ、今さらマグナを隠す必要もない。
「は、失礼します」
そう一言断った後、布を持ち上げて天幕の中へと入ってきた夜営地の入り口で会った組み合わせとは違う3人の姿に、マグナはホッと胸を撫で下ろした。
「マグナ殿の護衛獣2名が到着しましたので、ご報告を」
「、ハサ……はぁっ!?」
レルムの村に置いてきてしまった事を思いだした直後、忘れ物の方からマグナの元へ追いつかれ、確認するように二人の名前を呼ぼうとして、マグナは腹部に強い衝撃を受けた。
一瞬息が詰まるほどの衝撃ではあったが、マグナはそれを甘んじて受け入れる。
うっかりレルムの村に置いてきてしまった手前、どんなに強烈な抱擁もマグナに拒否権はない。
ぎゅうっと込められる最大限の力を持って自分の腰に抱き着くハサハの頭にマグナは手をおく。そのまま何度か頭を撫でてみたが、力が弱められる様子はなかった。
とりあえず、もう一人の少女の様子は――――――とマグナがに視線を向ければ、これまで見た事もない顔でこちらを睨んでいる。
非常に珍しいことながら、が自分に対して怒っている。
それだけは確かだった。
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(2011.07.20)
(2011.07.28UP)