「おにいちゃん」

 ロッカに付き添われて移動するの背中を見送っていると、くいっとハサハがマグナの袖を引く。視線を落とすと、ハサハの手には赤い服の人形――つい先ほどがマグナへと投げ付けた人形――が握られていた。

「このお人形」

 微かに見覚えがある気がする人形に、マグナは眉を潜める。
 人形遊びなど趣味ではないし、ハサハもも人形を持ち歩いてはいない。それではいったいどこで……? と考えて、思いだした。

「あの女の子の、だね」

「うん」

 一緒に水遊びをした少女の顔を思いだし、視線を落とす。
 それからようやく理解した。
 のこれまでにない過剰な反応の理由を。

 これまでのは、決してマグナに対し声を荒気ることはなかった。多少無茶な提案であってもは少し困ったような顔をしてから、それでもマグナの提案を受け入れてきた。
 そのが後先を考えずにマグナに向かって物を投げ付けた。
 それも、近付くなと、明確な拒絶の言葉をもって。

 からの初めての拒絶に、マグナとしても対処できず困惑したが、ハサハの拾った人形での異変の謎は解けた。
 は知人の死に気が動転していたのだ。
 そう考えれば、常にない反応も納得ができる。

 マグナはがいた場所へと移動し、腰を落とす。
 この場に何かが取り乱すモノがあったはずだ、と周囲を見渡すと、すぐに家族の遺体を見つけることができた。この家族はある意味では運が良い。1ケ所に折り重なっていたため、家族だと判りやすい。旅人や家の外で殺された村人とは違って、家族一緒に埋葬することができる。
 遺体にかぶせるシーツでも焼け残っていないだろうか、とマグナは辺りを見渡して、すぐに諦めた。
 無数の遺体が転がるこの場所は、間違いなく虐殺が行われた場所だ。
 御丁寧にも一つひとつの家に火をかけた殺りく者達のせいで、燃え残っているものといえば、陶器などの燃え難いものだけだ。人間を包みかくせる大きさの布――カーテンやシーツ等――は、まっ先に燃えているはずだった。
 目を背けたくなる村の惨状に、マグナはから聞いた『名もなき世界』を思う。
 おっとりとして優しいを育てた世界には、戦争がなかったらしい。
 厳密に言えば、の生まれた国で、が生活していた時間には、となるらしいが。
 戦争のない世界に生まれたが、この村の惨状にショックを受けないはずはない。
 そしておそらくは、自分がをリインバウムに呼び出しさえしなければ、こんな惨状を目の当たりにすることなく一生を終えたはずだった。

(……あれが、本当の反応だよな)

 からの拒絶を思いだし、マグナはそっとため息をもらす。
 珍しくも自分は落ち込んでいるのだと判った。
 がいつも穏やかに微笑んでくれているため、つい忘れてしまいそうになるが、彼女の『平和な世界』を奪ったのは自分だ。
 そのマグナに、他の召喚獣とは違い契約で縛られてもいないが召し使いのように従順な方がおかしい。は召喚主であるマグナに逆らった所で、制裁を受ける事はない。
 はマグナに逆らってもいいのだ。
 それどころか、平和な世界を奪ったマグナを恨み、復讐を望むことも許されている。
 けれどはそれをしない。
 マグナの事を『ご主人様』と呼び、自分に『護衛獣』という役割をかす事で何かを守っている。最初はそうすることで安心をえたいのかとも思ったが、どうも違う。
 と自分の間には、絶対的に越えられない壁が存在していた。

「おにいちゃん……?」

 沈み始めたらとことんまで沈むマグナを、ハサハが心細気に見上げる。
 下から自分を見つめる真紅の瞳に、マグナは苦笑で応えた。

 との関係は、いずれ無理が出てくる。

 微笑みで本音を隠すは、他人の意見に左右されて様々な感情を内に押し込めるタイプだ。
 このままではいけない。
 もう少しでいいから、が本音を外にだせる関係に変えて行かなければ。
 マグナに従う義理もないが、ほんの少しでも自由になれるように。
 リインバウムでの生活の地盤を身につける間だけならば、護衛獣と召喚主等という多少間違った関係のままであっても彼女が望むようにしてやってもいいが。
 マグナ自身は、いつまでもその関係を続けていたくはない。

(そういえば、イオスには意外と本音で対応してたよな……)

 デグレアでのイオスとのやり取りを思いだし、マグナは首を傾げた。
 非常に珍しい光景ではあったが、がイオスをやり込めていたのを覚えている。

(イオスの奴、どうやっての本音を引き出したんだ……?)

 主人であるマグナには絶対服従。
 その養父であるレイムにも、目上であるルヴァイドにも、絶対服従とまでは行かなくともめったに反論をしなかった。
 そのが、イオスにだけは言いたい事を言っていた。

(今度会ったら、聞いてみようかな)

 の強固な心の壁の撃破法を。
 本音を隠すのと外に吐き出すのとでは大きな違いがある。
 が少しでもリインバウムで生きやすくなるのなら、あのマグナに対しては妙に厳しいイオスも、きっと素直に話してくれるだろう。

 ほんの少しだけ楽しい未来の予定をたてて、マグナは目を閉じる。
 一度、深く息を吸い込み、ゆっくりとそれを吐き出した。

 未来の予定は立てたが、自分が今すべきことは違う。
 自分が今すべきで、今できること。

「……とりあえず、場を浄めよう。
 それから召喚術で遺体の腐敗を止めて……」

 今できる事を順序だてて考えながら、マグナはハサハの持った人形を受け取る。

「家族はなるべく同じ場所に。
 この人形も、あの子と一緒に埋めてあげよう」

 そう言いながらマグナがハサハの頭を撫でると、ハサハは微かに微笑んでコクリと頷いた。






  
(2011.07.16)
(2011.07.21UP)