ほんの数日前に通ったばかりの山道を歩き、倒木を越えて先へと進む。
小川を3つ越え、太陽が西へと傾きかけた頃、マグナ達はレルムの村へと到着した。
村をぐるりと囲んでいた柵は無惨に倒され、村と森との境界を曖昧にぼかそうとしている。しかし、焼けて炭化した木材が、村と森の境界に黒い1本の線を引いているようにも見えた。このままレルムの村が廃村となれば、間違いなく森の飲み込まれる黒い線。そこが村と森の境界線だと判るのは、マグナが焼かれる前のレルムの村を見た事があるからだ。
かつて村の入り口があった場所から一歩中へと足を踏み入れ、マグナは呆然と立ち尽くす。
もともと家屋の少ない村ではあったが、いっそ見事なまでに無傷な家は一つも残っていない。
すべての家々が黒く焼け落ち、風の流れが死んだように空気が淀んでいた。
そんなわけはないのだが、村中に薄暗く靄がかかっている気もする。
靄というよりは重苦しいまでの腐臭が、嗅覚どころか視覚にまで影響を及ぼし、周囲を薄暗く見せている――――――そんな気がした。
「……ひどいな」
周囲を見渡した後、マグナの口から漏れた言葉はたったの一言だった。
心細そうにギュッと自分の腕にしがみついてきたハサハの髪を撫で、マグナはを振り返る。青ざめた顔をしたはハサハのようにしがみついてこそこなかったが、立っているのがやっとといった所か。小さく震えながら視線だけは忙しく周囲を見渡していた。
「行きましょう……」
予想はしていただろう光景に、いち早くショック状態から立ち直ったロッカが口を開く。先を歩くロッカの落とされた肩を見て、マグナは二人の少女を誘った。
妙に蒸し暑い気がする村道を歩きながら、は周囲を見渡す。
村の中だと言うのに、動いているものは自分達を除いて何一つない。
否。
動いているモノも、蠢いているモノもある。
何百、何千、何万という数の――――――
「!」
コツッとが蹴飛ばした小石が黒い棒にあたり、一斉に何百匹という蠅が飛び立つ。
蠅が集っていたということは、黒い棒に見えたものは棒などでは決してない。
黒い棒の正体が頭を掠め、は視線を逸らし――――――今度は明らかに5本の小枝がある『棒』を視界に捉えてしまった。
「ひとつ」
ふいにマグナの腕にしがみついたままのハサハが声を漏らす。
何かに惹かれるように顔を上げ、視線を彷徨わせてポツリ、ポツリと数を数えた。
「……ふたつ、みっつ。
いっぱい、いるよ……」
村の惨状に震える声音で白い狐の耳を伏せながら、ハサハは一言一言を区切りながらはっきりと口を開く。
「苦しいって、言ってる。
痛いって、言ってる」
ハサハが見ているモノの正体に気がつき、は自分の肩を抱く。風が死んだように空気が淀み、蒸し暑いとすら感じるのに、なぜか寒気がした。
すんっと鼻を啜るハサハの頭を、マグナの手が優しく撫でる。
もマグナも霊を見るという経験をした事はないが、ハサハは違うらしかった。
何も見えないですら恐ろしく感じる村の惨状が、ハサハの目にはいったいどう映っているのか。
想像するだけでも恐ろしい。
「……これじゃあ、どこから手を付けたら良いのか」
村の中央にあった広場まで移動し、そこまでの道のりで見かけた村の惨状にロッカが口を開く。マグナもロッカと同じ意見だった。
村一つをたった4人で片付けようと言っているのだ。
数の上でも、体力的にも限界がある。
「でも、少しずつでも……
どんなに時間がかかっても、ちゃんと埋葬してあげよう」
「……はい」
しゅんっと項垂れたハサハの髪を撫でながら、マグナは決意を新たに口を開く。それに同意したロッカもまた、気を引き締めるように顔を上げた。
マグナとロッカ二人の言葉に、ハサハは僅かに顔を綻ばせる。
霊が見えるだけに、どんなに時間がかかってもというマグナの言葉が嬉しかったらしい。まだ耳は元気なく伏せられているが、顔だけは上げられた。
「……あ」
気の遠くなるような、途方もない時間がかかる作業になる。
そう気を引き締めた後、は崩れた家屋の一点に目を惹かれた。
どこから片付けようか、と当てもなく周囲を見渡しただけなのだが、その一点には妙に興味を引かれる。黒と灰色に染まった村の中、その家にだけは違う色が存在していた。
普段であれば他人の家には玄関から入りたいのだが、今は玄関がどこにあったのかさえも判らない。は少し足をあげれば乗り越えられるほど低い位置まで崩れた壁を乗り越え、文字どおりに家の中へと一歩足を踏み入れた。
棚からこぼれ落ちたのか、欠けた皿が何枚も黒く焼けた床に散乱している。倒れた食器棚と、原形を止めていない小さな子供用の椅子があった。天井の梁は黒く焼け落ちて下り、屋根はすでにない。
――――――時折、耳障りな羽音が聞こえた。
「これって……」
焼けこげた柱の傍らに、は赤い色を見つける。
先ほどの注意を引いたものはコレだった。
近付いて見てみると、所々煤で黒く汚れてはいたが、見覚えのある赤い服を着た人形だった。
確か、レルム村に到着した日にが召喚術で傷を癒した女の子が腕に抱いていたものだ。治癒のお礼にと、翌日女の子の母親がアグラバイン宅に宿泊している達の元へと川魚を届けてくれた。
この赤い服の人形が家の中にあるということは、この崩れた家はあの人形を抱いた少女の家だったのだろう。
生活感溢れる品々が床に広がり、現実感のともなわない焼跡が痛々しく残る家屋の中に立ち、は柱の横へと腰を落とす。
顔が思いだせる少女が大切にしていた人形だ。
少女の遺体を見つけたら一緒に埋葬しよう。そう考えて、は人形を持ち上げた。
「……?」
くいっと僅かな抵抗を感じ、は首を傾げる。
抵抗があったのは一瞬だけだ。
一体なにが? と過重を感じた場所へと視線を落とす。
の視線の先。
人形の片腕には、丁度ハサハの手と同じぐらいの黒い塊がくっついていた。
「なに……?」
奇妙に重く感じる塊に、は眉をひそめる。
いったい何がくっついているのか、と確かめようとは顔を近付けた。
黒い塊は球体ではない。
所々節くれがあり――――――とが黒い塊の正体に気がつく前に、塊は重力に従ってポトリっと人形の腕より離れた。
は塊を咄嗟に左手で受け止める。
それから、手の中に収まった塊の表面に5枚の小さな爪を見つけ――――――
「うっ……ひゃあぁぁあぁぁっ!」
手にした塊が何であったかに気がつき、は反射的に逃げ出そうと尻餅をつく。その勢いで塊を――少女の手首を――投げ捨てた。
手の平に残る感触が恐ろしく、は床に左手を擦り付ける。床には欠けた皿やガラスも散らばっていたが、そんな事は気にならなかった。今はともかく塊の柔らかいくせに妙に堅い感触を忘れたい。
「ひっ!?」
停止した思考でただひたすら床に左手を擦り付けていたは、不意に気がつく。
人形が落ちていた場所。
その傍らにあった黒い柱は、柱ではない。
尻餅をついたことで、視線が低くなったから気がついた。
気がついてしまった。
人形を掴もうと、必死に手を伸ばしている少女の小さな遺体が、一番下からを見つめている。その小さな体を押しつぶすように2本の柱が乗っていたが、これも良く見れば腕と足が生えていた。母親が少女を守るように抱き込み、父親が母親と少女を守るために二人を胸に抱いている。家族がお互いを守りあうように折り重なった遺体が、には一つの柱に見えていたのだ。
「!?」
最早なにも考えることが出来ず、は左手を床に擦り付ける。
ピリピリと肌が裂けて血が滲みはじめていたが、このまま痛い方が良い。
痛ければ、塊を受け止めた時の感触を例え一時であっても忘れられる。覚えてしまいたくない感触だった。
むっと咽の奥から競り上がってくる物を、は無意識に咽を掴むことで堪える。胃の中の物を全て吐き出してしまえば多少楽になれるのかもしれなかったが、例えそうだとしてもこの場で戻すことだけはしたくない。
というよりも、すでに一秒たりともこの場に留まること事体が嫌だった。
「!」
切迫した響きで自分の名を呼ぶマグナに、は必死に意識を傾ける。声の方向へと顔を向けたいのだが、体が言う事を聞いてくれない。それでもなんとか顔をマグナの方へと向けた。視線はなかなか家族の遺体から離れてくれなかったが、マグナが近付いてくるのを感じるとようやく呪縛が解けた気がする。
意識が目の前の遺体からマグナに移った事で抑えられた嘔吐感に、はホッと息を吐く。
随分久しぶりに呼吸をした気がした。
あまりの惨状に、知らぬ間に息を止めていたらしい。
一度ゆっくりと瞬き、視線を自分を心配してくれているマグナに向けて――――――
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(2011.07.16)
(2011.07.21UP)