「助かりました。ありがとうございます」

 目の前に立つ小柄な青年に深々と頭を下げ、はホッ息を吐く。
 少々強引で、とても穏便とは言えない方法ではあったが、イオスのおかげで一日だけとはいえ仕事先であるケーキ屋の評判は守られ、また自身もしつこい若者から解放された。
 ただ一つ気になる事があるとしたら、イオスが若者の恨みを買ってしまったかもしれない事だろうか。とはいえ、軍人であるイオスが、昼日中からナンパになど精を出している若者相手に、たとえ闇討ちであったとしても遅れを取るとは思えない。の心配など、杞憂に終わることだろう。

 が頭をあげるのを待って、イオスはすっと目を細める。
 いつもであれば一緒にいるはずのマグナが隣にいない事が気になった。

「マグナのやつはどうした?
 何故、おまえが一人でこんなトコをうろついているんだ?」

 僅かに不機嫌さの覗くイオスの声音に、は恥ずかしくなる。
 きっと、自分一人で付きまとって来た男を追い払えなかった事に対し、呆れられているのだろうと思った。

「その、わたしは……ご主人様に、買い物を任されて……」

「……そんな格好で、か?」

 『そんな格好』とイオスに称された制服を思いだし、は頬を赤く染める。
 店の奥で着替え、鏡で確認をした時は、薄いピンク色のスカートと、白いレースのエプロン。それと揃いのヘッドドレスが可愛らしく、他の事など気にならなかったのだが。おかしな男に付きまとわれ、胸のおっきな子と称されたパッフェルと並べて評価された今となっては、スカート丈が短すぎる気や、胸元が開き過ぎている気がしてくるので、不思議だ。
 制服事体は可愛らしく、着ることにも何の抵抗もなかったのだが。
 実際に人間が着た場合に生じる意外に蠱惑的なデザインを、今のは身を持って知っている。

「いえ、この格好は……その……」

 イオスの視線が気になって、はスカートの裾を摘み、太ももを隠すように下へとひっぱる。もちろん、そんな事をしても何の意味もなかったが。

「ご主人様から預かったお金を、少し落としてしまって……
 それで、その……親切な人にお仕事を紹介してもらいまして……」

 決して、が今現在着ている制服は、マグナの趣味でも、の趣味でもない。落としたお金を弁償するためにしている職場の制服だ、と言外に告げる。その過程でマグナ本人には言い難い自分の失態まで暴露してしまい、はスカート丈とはまた違う所で恥ずかしくなってしまった。
 赤く上気した頬を誤魔化すようにが苦笑いを浮かべると、と目のあったイオスが不意に目を逸らす。

(……?)

 些細な仕種ではあったが、イオスの行動に違和感を覚え、は小さく首を傾げる。
 目を逸らす必要があるとしたら、が自分の失態から、である。
 イオスがから目を逸らす必要など、何もないはずだ。

「……あの、イオスさんは……どうしてゼラムに?」

 目を逸らしたイオスがなんとなく居心地悪く、はスカート丈から話題を変えるように話しを振る。

 ――――――が、これは地雷だった。






「おまえには関係ないっ!」

 綺麗に整えられた眉を釣り上げ、ピシャリと言い放つイオスに睨まれ、は驚いて身を竦ませる。突然の大声に、大通りにいる通行人の何人かがとイオスを振り返った。
 意図せず周囲の視線を集めてしまったイオスは、目の前で小さく震えると、チクチクと刺さる好奇に満ちた周囲の視線に気が付くと、声をひそめる。

「あ、いや……、今のは……」

「す、すみません。変なこと聞いちゃったみたいで……」

 なにやらイオスの地雷を踏んだらしい。
 何が原因で怒られたのかは判らないが、自分が悪いことだけは判った。
 はドクドクと脈打つ心臓を押さえ付けるように空のバスケットを抱き、イオスの目を見つめていた視線を喉元まで下げる。怒鳴られてしまった手前、イオスの目を見つめて話しをする事は躊躇われた。

「いや」

「あ、あの。わたしお仕事の途中ですので、そろそろ戻りますね」

 イオスの顔を直視することが出来ず、は頬を引きつらせながら微笑む。
 何が原因かは判らないが、気分を害してしまった事が申し訳ない。
 こうなれば、これ以上イオスの機嫌を損ねる前に離れる事こそが、にできるイオスへの最上の詫びとなるだろう。

「それじゃあ、助けてくれてありがとうございました」

 ぺこりともう一度イオスに頭を下げて、は逃げるように――実際に逃げ出しているのだが――イオスに背を向けた。






  

(2010.03.15)
(2010.03.16UP)