配達票に書かれた住所と目の前の建物を見比べ、はなんとも言えない苦笑いを浮かべる。
 目の前の建物は、先日マグナが門前払いをくらったばかりの『蒼の派閥』だ。
 訪問者としてのマグナは、しかし門を潜る事もできなかった。が、本日のは予期せぬ訪問者ではなく、派閥の敷地内にいる人物から注文を受けた商品の配達員である。裏口からとはいえ、門番にも見咎められる事無く、あっさりと敷地内へと通された。

 時折すれ違う人間を捕まえ、は目当ての人物の部屋を目指す。
 普通の屋敷であれば台所を預かる下働きの元に届ければ、屋敷の主人へと直接配達をしなくとも終了である。
 しかし、蒼の派閥はそうはいかない。
 蒼の派閥はあくまで組織としての施設であり、個人所有の屋敷ではない。日本の学生寮のように食堂があり、時間になればそこに集まることで栄養のバランスが取れた食事を提供される。なにか理由があって食堂へ行けない者には、各自の部屋まで食事が運ばれることもある。
 が、ケーキは嗜好品だ。
 嗜好品は個人の好みによる『出費』に他ならない。多くの才能ある若者を抱えこむ蒼の派閥とはいえ、個人の嗜好品にまで便宜を払ってはくれない。
 つまり、ケーキのような嗜好品が食べたければ、個人負担をしろ、と言う事だ。となれば、配達先は多くの派閥員が共有する食堂ではなく、個人の部屋へ、となる。

 長い廊下を教えられた通りに歩き、はようやく目当ての部屋の前へと辿り着く。チョコレート色の重厚な扉に付けられた金属のプレートで部屋の主人を確認し、はそっと扉をノックした。

「……入れ」

 すぐに聞こえて来た入室の許可に、は背筋を伸ばす。
 扉の向こうにいる相手は初対面の人物だが、自分は今『仕事』でここに来ている。相手は『知らない人物』ではない。『知る必要のない人物』であり、『お客さま』という意味で『知っている人物』だ。
 が初対面の人間だ、と身構える必要は、どこにもない。

「失礼します」

 扉を開くと、正面に壮年の男性が立っていた。その奥にもう一人誰かがいる事が判るが、窓から入ってくる逆光のため、にはそれがどんな人物なのか判らない。
 一歩部屋へと足を踏み入れると、その部屋だけ他よりも柔らかい絨毯が敷かれているのが判った。ふわふわとした足下に一瞬だけ気を取られ、は扉を閉めると部屋の住人達にぺこりと頭を下げた。

「毎度ご利用ありがとうございます。
 ケーキの配達に来ました」

 パッフェルに教わった通りの口上を述べ、は顔をあげる。
 部屋の中に入ってしまえば、窓からの逆光にも目が慣れた。
 壮年の男性の後ろ、というより、部屋を囲むように背の高い書棚がいくつも並んでおり、日の当たらない場所に食器棚とティーセットが用意されていた。光りをとりいれるように大きな窓があり、その正面に大きな執務机がある。その中央に机のサイズにあった大きな椅子があり、その上に――――――椅子のサイズとは不釣り合いなアッシュブロンドの少年が座っていた。

「……ケーキ?」

「え?」

 ほんの少しの間を置いてから聞こえた訝し気な男性の声に、は一瞬だけ届け先を間違えたかと不安になる。が、部屋をノックする前に何度もプレートを確認していたし、派閥の人間に目当ての人物の居場所を聞いてここまで来た。
 そこまで確認をして、自分が配達先を間違えたとは思えないのだが――――――?

 訝し気に眉をよせる男性に、は慌てて制服のポケットを漁る。中から取り出した配達票に住所と注文をした人物の名前を見つけだし、は自信なげに眉を寄せた。

「えっと、蒼の派閥の……エクス様、ですよね?
 ガトーショコラとオペラとザッハトルテを3つずつ御注文の」

 恐るおそるという風体でケーキの種類と注文者の名前を確認するの視線をうけ、壮年の男性は椅子に座ったままの少年へと視線を向けた。
 その視線を追ってが少年を見ると、と目の合った少年はにっこりと微笑む。

「エクスは僕だよ。
 いつもの配達のお姉さんと違うから、驚いちゃった」

 にこにこと笑う少年に、は自分の思い違いに気が付いた。
 つまり、配達先である『エクス様』は正面に立つ壮年の男性ではなく、その奥の執務机に座る少年だったのだ、と。そして、他は少年の言う通りなのだろう。飛び入りのアルバイトである自分の顔が記憶になく、少年の側を驚かせてしまっただけなのだ。
 配達先である『お客さま』に戸惑われた理由を知り、はホッと胸を撫で下ろす。自分が配達先を間違えたのではなくて良かった。

「……わたしは今日だけの、お手伝いなんです」

「今日だけ?」

「その……ちょっと、理由がありまして」

 エクスという少年は、見知らぬ相手にも物おじしない性格なのか、初めて見るはずのの顔を、好奇心で顔を輝かせて覗き込んでいる。その子犬のような雰囲気に、つい『主人から預かったお金を落としてしまい、それを弁償するために働いている』と口を滑らせそうになったが、は寸前で思いとどまった。
 今の自分は、仕事としてここに来ている。
 無駄話などする必要はない。

「あの、ご注文のケーキはどちらに置いたらよろしいでしょうか?」

 初めての配達であるので、勝手が判らない。
 いつも配達しているらしいパッフェルならば、少年の手を煩わせることなく配達を終了させるのだろうが。
 ケーキの詰まったバスケットを胸の前まで持ち上げ、そう訪ねるに、エクスは顎に手を当てて少し思案するように小首を傾げた。そうしていると、なんだか大人びた仕種をしているようで可愛らしい少年だ。

「う〜ん、そうだね……。
 ちょうどいいから、お茶の時間にしようか?」

 ちらりとエクスは壮年の男性に視線を向ける。
 男性はエクスの視線を受けると、了解とばかりに無言でティーセットが用意された食器棚へと向かった。
 男性と少年。
 主従が逆に見える二人に、は僅かに首を傾げるが、すぐに疑問を頭の隅へと追いやった。誰が誰に仕えていようとも、ケーキを配達するだけの自分には関係がない。
 3客のティーカップを用意する男性の横に、椅子から降りたエクスが並ぶ。
 椅子から降りたために判ったエクスの身長は、の胸あたりだ。
 お茶の用意をする男性が待ちきれないのか、エクスは食器棚からお皿を取り出して男性を手伝いはじめた。

「この上に置いてくれる?」

「はい」

 エクスは執務机の上に1枚1枚きれいに小皿を並べる。少しの乱れも気になるのか、まだ何も乗っていない皿であるのに何度も確認し、彼の基準からずれているお皿は細かく調整されてまっすぐに並べ直される。
 そんな一見無駄としか思えない仕種を、子どもらしくて可愛いな、と感じながらは皿の上にケーキを乗せた。

「それでは、わたしは……」

 無事ケーキの配達も終わったことだし、失礼します。そう退室したかったのだが、の言葉にエクスは不思議そうに首を傾げた。

「あれ? お姉さんはお茶に付き合ってくれないの?」

「え? だって、わたしは……」

 ただケーキを配達しに来ただけである。
 エクスの知り合いでもなければ、お茶に呼ばれるいわれもない。

「いつものお姉さんは、付き合ってくれるんだけどな。
 だから、ほら?」

 執務机に並べられた9個のケーキを指さし、示す。
 壮年の男性によって用意されているティーカップは3客。ケーキも9個と3で割り切れる数だ。男女の区別なく、2人で9個のケーキは多いだろうとは思ったが、1人3個と考えれば……それでも多い気はしたが、無理はない。

「いえ、でも……わたしはお仕事で……」

 は仕事で配達にきており、ケーキは商品だ。
 自分でお金を出して買ったケーキでならエクスのお茶に付き合っても良いが、売りに来たケーキを御馳走になるとなると、としてはなんだか気が引ける。
 やんわりとお茶の誘いを辞退しようとするの前に、すっと壮年の男性がティーカップを置いた。目の前に置かれた良い香りのする紅茶に、がエクスから男性へと視線を向けると、男性はにこりとも笑わない。無表情のまま黙々と人数分の紅茶を煎れる男性に、無言の圧力を感じたはこれ以上の抵抗を諦めた。

「あの、……御馳走になります」

 ほんのりと恥じらいながら誘いにのったに、エクスは機嫌良く笑う。

「うん。御馳走するから、何か面白い話しを聞かせてよ」

 来客用の椅子へとエクスにエスコートされながら、は首を傾げる。
 本当ならば、ケーキの配達に来ただけのはずなのだが、いいのだろうか、と。
 そもそも、自分が来る前。二人はこの部屋で何をしていたのだろう? とも思った。エクスが『ちょうどいいから、お茶の時間にしよう』と言った事を考えると、間違いなく二人は何かをしていたはずだ。
 配達のためと自分が声をかけたために、何か二人の仕事を中断させてしまったのではないか、とはだんだん心配になってきた。

「面白い話し、ですか?」

 これ以上、二人の邪魔をしても良いものか。
 早々にケーキと紅茶を御馳走になり、立ち去るべきではないのか。
 そう悩むの横に、エクスは腰を降ろした。

「うん、面白い話し。僕はこの通り……」

 ちらりと一瞬だけ対面に座る男性に視線を向け、エクスは再びに視線を戻す。

「普段は大人の人達にばかり囲まれて、あまり外の事を知らないんだ」

 僅かに唇を尖らせて拗ねて見せた少年に、は一瞬にして同情を寄せた。
 エクスという少年が蒼の派閥内でどのような立場にいるのかは判らないが、感覚からいって、エクスぐらいの年齢の少年であれば、大人達に囲まれて知識を詰め込まれるよりも、同年代の友人と外で元気に遊んでいるものだ。
 しかし、エクスにはそれができない。
 だからなのだろう。
 ケーキを配達に来たパッフェルは、いつもお茶に付き合ってくれる、とエクスは言う。
 つまり、何でも良いから外からの刺激に餓えており、派閥の中から出ない代わりに、外の人間――普段はパッフェルであり、今日に限っては――を捕まえ、ケーキとお茶を代償にして外の話しを聞きたがっているのだろう。
 エクスが人見知りをしないのも、おそらくはそのためだ。
 見知らぬ人間と恐れるよりも、派閥の外から来たという好奇心の方がまさる。

 せっかく外から来た人間を、逃してなる物かとちゃっかりの袖を捕まえているエクスに、は苦笑した。

「面白い話し、といいましても……
 わたしは旅人ですから、町の中の事は……」

 何も知らない。
 エクスの好奇心を満たしてやる事はできない自分に、は少しだけ申し訳なく思うのだが、エクスにはそんな事は気にならないようだった。

「お姉さん、ゼラムの外から来たの?
 どんなトコ? 一人旅? ゼラムへはやっぱり観光?
 それとも、何か目的あっての旅?」

 旅人であるというに、エクスは瑠璃色の瞳を輝かせる。
 がゼラムの人間ではないという事は、エクスにとって残念なことではなく、逆に魅力的な事であったらしい。
 確かに、旅人であっても、派閥に属さない一般人であっても、『外の人間』という括りでは、エクスにとって同じなのだろう。

 ますます逃がしてなる物か、と矢継ぎ早に質問を重ねるエクスに、は苦笑を浮かべたまま考える。
 よほど話し相手に餓えているのだろう。
 主人であるマグナのプライベートな話しはできないが、デグレアからゼラムまでの旅で見聞きした事ぐらいなら話しても問題ない。
 何が話して良いことで、何が話してはいけない事なのかを頭の中で整理しながら、はゆっくりと唇をひらいた。





  

(2010.03.15)
(2010.03.16UP)