「……お困りですか?」

「えっ!?」

 背後から知らない女性の声に話しかけられ、はびくりと肩を震わせた。
 慌てて背後を振り返ると、声をかけて来た人物と目があう。
 話し掛けた人物も、予想以上に驚いたに驚いたのか、目を丸く見開いていた。

「あは。驚かしちゃいましたね、すみません」

 と目があうと、女性はにっこりと人懐っこい微笑みを浮かべる。
 その微笑みに覚えがあるような気がして、は微かに眉をひそめた。

「あ、あの……」

 どこかで会ったことがある。
 不思議とそんな気持ちになる女性だった。

「? 私の顔に、何か付いてますか?」

「いえ、そうじゃなくて……」

 赤に近い栗色の髪と、同じ色をした瞳をくりくりと輝かせ、女性はを促す。なんとも言えない人好きする笑顔と、女性の持つ雰囲気にあった明るいオレンジのミニスカート。女性である事を誇示するかのように実った胸と、それを飾る白いレースのエプロン。エプロンと揃いのヘッドドレスで髪を止め、大きなバスケットを持った女性。
 友人・知人という間柄ではないはずだが、確かに見覚えのある女性だった。

「……もしかして、クレープ屋さんですか?」

 先日、導きの庭園で話し掛けて来た女性店員と目の前の女性の特徴が一致し、は首をかしげる。
 以前ルヴァイドに注意を受けたため、可能な限り自分とマグナが関わりをもった人間の顔を覚えるよう気をつけてはいるが、元から自分に自信が持てない性質のは、どうしても自分の感覚に確信を持てない。
 しかし、自信なげに呟かれたの言葉に、女性は人懐っこい微笑みを営業スマイルに変えて応えてくれた。

「あれ? お客さまですか?」

 『クレープ屋さん』という呼び掛けに対し、『お客さま』と女性は応えてくれた。
 ということは、やはり女性は『クレープ屋さん』なのだろう。『お客さまですか?』と疑問系で返してくるのは、が『クレープ屋さん』と認識している事に対し、女性にとってのは『いつ相手にしたかも判らない多数のお客のうちの誰か』であるからだ。女性がを個人として記憶していなくとも、不思議はない。

「少し前に、公園の屋台で……あれ?」

 女性が誰であったかを思い出し、は再び首を傾げる。
 女性がクレープ屋である事はわかった。
 が、クレープ屋というには――――――本日の女性には違和感がある。
 今いる場所が路面であり、クレープの屋台がないからだろうか? と首を傾げていると、女性もの疑問に気が付いたのか、大きなバスケットをに示すように持ち上げた。

「今日の私はですね、ケーキ屋さんなんですよ」

「え? ええっ?」

 軽く片目を閉じ、蠱惑的な笑みを浮かべて女性はバスケットの蓋を持ち上げる。が誘われるようにバスケットの中を覗き込むと、大きなバスケットの中には色とりどりのフルーツが飾られたタルトや繊細な生地が幾重にも折り重なったミルフィーユ、薄い桃色のババロアやシンプルなショートケーキ等。甘いものが大好きな、乙女の夢の世界が詰め込まれていた。

「ね?」

「はい。……お疲れ様です」

 ホコリが入らないよう、が中身を確認するとすぐにバスケットの蓋を締めた女性が微笑む。女性の微笑みにもつられて微笑むと、自然と労りの言葉が零れでた。

「いえいえ、これも潤いある老後のためですから」

 若く見える女性だが。
 今から老後のためにクレープ屋とケーキ屋を兼務しているのか、とは驚いて瞬く。女性が自分よりも年上なのは確かだろうが、そこまで焦る必要はないように感じられた。

「……それで、お客さま? 何かお困りでしたか?」

「え? ああ、……はい」

 明るい雰囲気の女性に圧倒され、つい先程までの失態を忘れていたは眉をよせる。
 そういえば、女性がケーキ屋であろうと、クレープ屋であろうと、今の自分には関係がない。女性はお客に声をかけて来たのではなく、なにか困っているようだ、と親切でに声をかけてくれたのだ。

「実は、預かっていたお金を落としてしまいまして……」

 経緯を説明し、ちゃんとマグナに詫びる。
 そうこれからの行動は決め、これ以上の探索を諦めたは、クレープ屋の女性に正直に話した。別段、隠しておく必要もない。

「これからご主人様にお詫び……」

「それは大変ですっ!」

「え?」

 目を丸く見開き、力強くバスケットの取っ手を握りしめ、女性は息巻いた。
 が肩を落としていた理由を知り、親切心に火が付いたらしい。

 少なくとも、にはそう見えた。

「どこにですか? すぐに拾いませんと!
 ああ、もちろん拾い主には何%かのお礼を……」

 さっそくスカートと同じ色の袖を捲り、今にも路上に這いつくばりそうな勢いの女性に、は慌てて言葉を続ける。

「いえ、その……もう、諦めた所です」

「ええっ!? ダメですよぉ! お金はエルゴの周りもの!
 1バームを笑う者は、1バームに泣くんですっ!!
 お金を落としたのなら、落とした時より多くなるまで探しませんと!」

 老後のため、と若くして仕事を掛け持ちしている女性は、落としたお金を諦めたを捲し立てる。
 とて、本当ならば諦めたくはない。
 が落としたお金はマグナの物であり、の物ではないのだから。

「いえ、さっきまで1人探すのを手伝ってくれた子がいたんです。
 けど、その子が川に入ってまで探してくれたんですが、全部はみつからなくて……」

 すでに散々探した後で、これ以上の捜索は無駄である、と泣くなく諦めた後だ。
 新たに仕事中の女性を巻き込んだところで、落としたお金が見つかるとは到底思えない。

「でも、ご主人様からお預かりしていたお金なので、
 どうお詫びしたらいいのかと……」

「……つまり、お金を手っ取り早く稼ぎたいんですね?」

 川にまで入って探した、というの言葉に落ち着きを取り戻し、女性は上着の袖を直す。ほんの一瞬とはいえ、軽く皺の付いた袖を指で伸ばしながら、女性はの言葉の先を読んだ。

「そう……なんでしょうか?」

 としては謝る事ばかりを考えていたが、弁償できるのならば、当然そちらの方が良い。とはいえ、は元から人見知りをする自分の性格を知っている。初めての土地で、一人で飛び込みの仕事を見つけられる根性が自分にあるとは思えない。
 およそ現実的とは思えない女性の言葉にが戸惑いを浮かべると、女性はの体を頭の先からつま先まで見下ろし、観察を始めた。

「……お客さま」

「あ、です」

 いつまでも『お客さま』と呼ばれるのはおかしい。
 今日の女性との出会いは客と店員としてではなく、道端で途方にくれていた者と、親切心から声をかけた者だ。
 が女性に名乗りをあげると、やや遅れて女性も『パッフェル』という名前を教えてくれた。

さんなら、大丈夫です。
 合格ラインばりばりです!」

「……はい?」

 なにやら上から下まで自分を観察した後、にっこりと妖しく微笑んだパッフェルには不穏な物を感じる。
 反射的に半歩下がると、逃がすまいとパッフェルの手がの肩を捕まえた。

「私が一つ、良いバイトを御紹介させていただきます」

「あの……なんだか、笑顔が怖いんですが……?」

 親切心から声をかけてくれたであろうパッフェルに対して、こういう物言いは失礼にあたるとは思うが。
 なんとなく張り付けられた微笑みに恐怖を覚え、の声は小さく消える。

「いえいえ、妖しいお仕事ではありませんので、御安心ください」

 手っ取り早くお金が稼げる仕事=妖しい仕事と理解し、警戒されてしまったか、とパッフェルはすぐに言葉を追加した。確かに、のように可愛らしい顔だちの娘であればいくらでも『夜の街』で稼げるだろうが、さすがに出会ったばかりの素人娘を売り飛ばすような真似はしない。

「ちょっと可愛い制服を着て、
 可愛いバスケットに可愛いケーキと夢と希望をつめて、
 ちょっと……ゼラム中のお宅までケーキを配達するだけのお仕事です」

 可愛い制服、と自分の白いエプロンの裾を摘んで示すパッフェルに、は自分の思い違いに気が付いた。それと同時に、パッフェルの笑顔の意味もなんとなく理解する。
 つまり、可愛らしい制服は魅力的だが、柔らかく崩れやすいケーキをバスケットに詰めて、広い王都中を配達に回る仕事は、意外に大変な仕事なのだろう。

「でも、配達なんて大切なお仕事、飛び入りのアルバイトなんて……」

「それがですね。今日はこの通り……」

 警戒をとき、仕事に興味を持ち始めているに、パッフェルはバスケットを胸の高さまで持ち上げて示す。
 ゆったりと揺れるバスケットの中には、先ほどに見せた通り、まだかなりの数のケーキが詰まっていた。

「いつもなら午前中に配達が終わって、午後は郵便屋さんをしているんですが、
 今日に限ってありがたいことにケーキの御注文がたっぷりありまして。
 丁度、誰か私の替わりに午後からの配達をしてくれないかなーと」

 元から替わりを探していた。
 いうなれば、の存在は自分にとって渡りに船! と続けるパッフェルに、は郵便屋でも働いているのか、と別の事で驚きながら苦笑を浮かべる。

「時給はたったの750バーム……ですが、
 なんと配達のお仕事はこれに追加で100バーム色が付きます。
 ね、お得でしょ?」

 可愛らしくウインクをしながらそう続けるパッフェルに、は苦笑を微笑みにかえた。
 お得かどうかは、リィンバウムの就労経験のないには判らない。
 ただ、パッフェルの提示する給金が、落としてしまったお金を十分に弁償できる額であることは判った。

「……決まりですね?」

 苦笑を笑みに変えたに、パッフェルは確信して手を取る。
 に、それを拒む理由はなかった。






  

(2010.03.13)
(2010.03.16UP)