ハサハを宿に残し、マグナは繁華街の大通りを横切る。
 宿の部屋から見た色は、間違いなく知人の物だと確信していた。

 王都の繁華街だけに観光客や冒険者などの人通りも多く、時々目当ての頭を見失いそうになりながらマグナは人込をかき分ける。マグナの知る人物は成長期にある彼よりは長身であったが、抜きん出て背が高いわけではない。大小様々な人種が集まる人込みにまぎれてしまえば、雑作もなく見失ってしまう程だった。
 時々人の波に行く手を遮られながら、マグナは小走りに目当ての色を追う。相手は追いかけているマグナの存在など知らず、普通に歩いているだけのはずなのに、なかなか追いつけない。それどころか一際人の多い十字路で目当ての人物を見失ってしまい、マグナは一度立ち止まり、その場でぐるりと辺りを見渡した。
 キラリと一瞬だけ太陽の光を反射して輝いた銀色を視界の端に捕え、マグナはそちらへと顔を向ける。幸運な事に、長い銀髪を背中へ流した後ろ姿を再び発見することができた。目当ての人物は、人通りの少ない路地へと足を向けている。

「と……」

 マグナは手を大きく振り上げ、反射的に口から漏れそうになった言葉を飲み込む。
 そういえば、聖王国の中では『そう』呼んではいけない、と注意されていた。
 目当ての人物がおよそ観光客向けではない歓楽街――いわゆる色街――に入る前に呼び止めたかったのだが、マグナはそれを諦める。進む方向にある界隈には抵抗があったが、用があるのはそこにあるだろう華やかな店ではない。
 マグナが用事があるのは、彼のほんの少し先を歩く見慣れた銀髪と初めて見る長衣を纏った――――――養父だ。

「……レイムさんっ!」

 呼び慣れない養父の名前に、呼び掛ける目的から発せられるものでありながら、マグナの声は自然と小さくなる。
 10年以上そばで育てられて来たが、養父を名前で呼んだ記憶などほとんどない。もちろん、最初から『養父さん』と呼んでいたわけではないが、今さら改めて名前で呼ぶというのにも奇妙な気恥ずかしさがあった。

「待ってよ、レイムさんっ!」

 今度は少しだけ意識して、大声を出す。
 手が届く距離とはいわないが、声ぐらいは届くはずの前方を歩く銀髪の男は、マグナの声など聞こえていないかのようにスタスタと迷いなく歩を進めていた。
 縮まりそうでなかなか縮まらない距離に焦れ、角を曲がって姿を隠した養父に、マグナは言い付けを忘れ、つい何時もの呼び掛けを口にする。

「養父さんっ!」

 養父が姿を消した角へと差し掛かり、軽く走っていたままのスピードで角を曲がり――――――



 ガツンッ! と強い衝撃を額に受けた。






 目の前に火花が散る程の衝撃を受け、マグナはその場にしゃがみ込む。
 何か、堅くて太い物に顔面からぶつかってしまった。前方不注意であろう。養父の後ろ姿に気を取られ、周囲への注意が散漫になっていた。ここが街中である事を考えれば、案内板か何かだろうか。石頭には自信があるが、さすがにコブぐらいはできたかもしれない。
 衝撃を受けた額をさすりながらマグナは腰をあげる。まだ視界はクラクラするが、道ばたで座り込んでいるワケにもいかない。マグナは忙しく瞬きを繰り返した。早く正常な感覚を取り戻したい。
 何度か瞬きをする間に、グラグラと揺れていたマグナの視界もはっきりとしてきた。
 最初に認識できた物は、薄紫色の長衣。旅人や一般市民が身に纏うような『衣服』とは違う、一見して旅芸人と判る見栄えを意識した『衣装』。
 次に、白い肌と細い鎖骨。
 それから見慣れた長い銀髪が視界に入り、最後に『何か堅くて太い物』を胸に抱き、それを労るように撫でる男性の物としては細すぎる腕が見えた。

「と、養父さ……」

 反射的に漏れた声に、『何か堅くて太い物』が視界から消える。
 次に、再び額へと強い衝撃を受け、マグナは自分が不注意で『案内板』にぶつかったのではなかったのだと悟った。

「……まったく。聖王国では『父』と呼ぶなと言っておいたでしょう」

 マグナの感想としては『何か堅くて太い物』である竪琴を撫でながら、銀髪の男は苦笑を浮かべる。額を押さえてうずくまる養子を見下ろしながら、銀髪の男――レイム――はそっとため息を漏らした。







  

(2010.03.13)
(2010.03.16UP)