通行人からの好奇の視線は少々どころかかなり気になるが、そうも言ってはいられない。
 は路上に張り付くような勢いで腰を降ろし、橋の上を隅から隅まで落としてしまった硬貨を探した。緩やかな曲線を描く橋の中央付近でユエルの体当たりを受けたため、曲線から転がって橋の袂にまで転がっているのではないだろうか? と袂周辺を半径10メートルまで探したが、結局硬貨は1枚も見つからない。
 川の中にまで入ってくれたユエルには悪いが、そろそろ捜索は諦めた方がいいだろう。あまり帰りが遅くなってもマグナを心配させるだけであったし、ユエルも鬼ごっこの途中だったはずだ。

(正直に話せば、ご主人様ならきっと許してくれる……よね?)

 マグナがこの場にいないため示しようのない誠意ではあったが、路上に腰を降ろしての長時間の硬貨捜索。ユエルほどではないが、自分とて十分に探したはずだ。そう結論づけて、は腰をあげて立ち上がる。長時間曲げられていたために微かに痛む腰を撫でながら、はユエルに捜索中止を提案しようと橋の袂へと足を向けた。






「……ユエル、ちゃん?」

 覗き込んだ川の中に、ユエルは居た。
 ただのように腰を曲げて下を見ているのではなく、川の中でまっすぐに立ち自分の掌をじっと見つめている。

「ユエルちゃん」

 もう一度名前を呼んではみるが、ユエルはの呼び掛けに気付かない。
 は橋の袂から川岸へと降り、微動だにしないユエルを見つめた。

「ユエルちゃんっ!」

「えっ!?」

 が首を傾げながら少し大きな声を出して名を呼ぶと、ユエルはびくりと肩を震わせる。そのままその場で2・3度瞬くと、ようやく自分が呼ばれていることに気が付いたらしい。ゆっくりと顔を巡らせてを見ると、自分が探し物の途中であった事を思い出したのか、何かを持つ掌を握りしめてからユエルはばつが悪そうに口を開いた。

「あ、えっと……オカネ、見つかった?」

「ううん。川にまで入ってくれたユエルちゃんには悪いけど、
 ご主人様には素直に話して謝ることにします」

「……そう。あんまり、怒られないといいね」

 ぎゅっと掌を握りしめて声を落としたユエルに、は申し訳なく思う。
 もう少し早く自分が諦めていれば、ユエルが川の中に入ることもなかったはずだ。
 怒られるのはのはずなのだが、自分まで肩を落としているユエルには首を傾げる。「お金見つかった?」と聞いてくるぐらいだから、ユエルが手にしているものはお金ではないはずだが、別の何かを川の中で拾ったらしいことは判った。大切そうに握りしめているところを見ると、ユエルにとっては興味を惹くものであったのだろう。

「……それは?」

「え!? あ、これね? これは……」

 と掌を見比べてから、ユエルは唇を真一文に引き結んだ。
 落とし物は落とし主に返さなければならない。が、が探しているものは硬貨であって、ユエルが今手にしている物ではない。
 つまり、ユエルがに掌の物を『返す』必要はない。

「これは、……拾ったの」

 川岸のに歩み寄り、ユエルは掌を開く。
 がユエルの掌を覗き込むと、そこには緑色の石がついた金のペンダントが乗っていた。

「ペンダント?」

 少々ヘドロ臭いが、細い金の鎖と金の台座。その中央に収まった、見慣れた緑の――――――

「……この石、サモナイト石?」

「え?」

 一般家庭に生まれた学生であるは宝石はおろか、本物の金の装飾品など持ってはいない。身近な物ではなかったため、金と金メッキの見分けはにはできなかった。が、相手がサモナイト石となれば話は別だ。サモナイト石はリィンバウムで初めて見た物だが、身を守る方法の一種として本物のサモナイト石を所有している。宝石の本物と偽物の違いは判らなくとも、サモナイト石の本物だけを見極めることはできた。

「召喚師が召喚する時に使う石です。
 ……ということは、落とした人は召喚師?」

 瞬くユエルに簡単に説明し、は首を傾げた。
 普通に考えて、召喚術の道具を道ばたに放置しておくのは不味い。良識ある召喚師が拾えばしかるべき機関へと届けられ、正しく扱われるかもしれない。が、仮に目の前の石が誓約済みの石であれば――――――誰にでも扱える危険物だ。才能のない人間ならば召喚獣を呼び出すことはできないが、召喚術の派閥に見い出される事無く野放しになっている才能ある者の手に渡れば暴発させてしまう危険がある。
 すっかり気に入っているように見えるユエルには悪いが、やはり落とし物は落とし物としてしかるべき場所へ届けるべきだろう。

「い、いらなくなって捨てたのかもしれないよ!?」

 思案するの視線から隠すように、ユエルは金のペンダントを握りしめた。

「それは、さすがに……」

 ないと思う。
 召喚師が要らなくなったからといって、サモナイト石を捨てることは。
 誓約済みのサモナイト石は誰にでも扱える危険物であったし、召喚師にとっては貴重な物なので宝石としての価値はなくとも換金することもできるはずだ。まして、ユエルが手にしているサモナイト石はペンダントとして加工されている。サモナイト石とは違う意味での価値もあるはずだ。

「……やっぱり、落とし主を探すか、どこかに届けた方が……」

 すでにユエルがペンダントを気に入ってしまっていることは判るが、だからといって危険物を危険物と知らせずに放置もできない。
 落とし物の扱いとしては至極真っ当な案を提示し、がユエルからペンダントを受け取ろうと手を差し出す。奪い取ることは出来ない。ただ、短い付き合いではあるが、まっすぐで優しい気性をしているとわかる獣人の少女なら、落とし主の事も考えられるはずだ。ペンダントの落とし主が探しているかもしれないと考えれば、ユエルならきっと自分からペンダントを手放すだろう。

「……ユエルちゃん」

 川の中に立ったままペンダントとの顔を見比べるユエルを促す。
 一緒に行こう、と。

 名を呼ばれたユエルは、とペンダントを見比べ――――――






「ユエルが拾ったんだから、これはもうユエルの物なんだっ!」

 キッと顔を上げ、ユエルはを睨み付ける。
 そのまま威嚇をするように一度吠えると、ユエルはペンダントを握りしめて身を翻した。

「ユエルちゃん?」

 一瞬前まで大人しかった獣人少女の突然の豹変に瞬き、はその場に固まる。すぐにユエルを追い掛けようと足を一歩前へと踏み出し――――――そこは一度はためらった川の中。すでに濡れているユエルは気にせず川の中を進むが、は濡れる事を躊躇い行動が遅れた。ややあってから橋を渡ればいいのだと気が付いたが、が橋を渡り反対側へと辿り着いた時にはユエルはすでに川から上がり、狭い路地へと飛び込んでいた。

「ユエルちゃんっ!」

 はユエルの飛び込んだ路地を覗き込んでみたが、すでにユエルの姿は見えない。
 子どもや野良猫なら走り抜けられそうな狭い路地は、の視界を見事に遮っていた。の体でも通り抜けられないことはないが、走ってユエルを追い掛けるのはどう考えても無理だ。

「……何か、悪い事言ったのかな……?」

 自分としては、落とし物をしかるべき場所へと届けよう、と言っただけのつもりなのだが。
 ユエルはそれを拒否し、牙を向いて走り去ってしまった。
 それも、濡れたままの姿で。

 世話になったユエルとの別れが、半ば喧嘩別れのような形になってしまったことは残念であったが。あの身の軽さでは、狭い路地になど逃げ込まれなくとも追いつける気がしない。
 本当ならば宿へと連れ帰り、風呂で汚れを落とし体を温めて欲しかったのだが。
 逃げられてしまっては、お礼も言えなかった。

(……とりあえず)

 ユエルの消えた路地を見つめ、は気持ちを切り替えるためにため息をはく。
 にとっての当面の問題は、回収できていないマグナのお金である。
 素直に謝るのは良い。
 おそらくマグナも許してはくれるだろう。
 が、自分が失敗をおかしたという事実は消えない。

 部屋を追い出された上に、任された買い物でも失敗か、とは肩を落として深いため息をはいた。

 ――――――と、不意に。
 本当に不意に。

「……お困りですか?」

 そう背後から知らない声に話しかけられた。






  

(2010.01.08)
(2010.02.01UP)