視界の隅でゆらゆらと揺れる白い三角の耳に、マグナの意識は天井の星座から身近な存在へと引き戻される。
 妹を追いかけて北へ向かうか、南へ向かうかともう3日ほど考えていたが、どうにも自分は考え事をするには向かない性格をしていた。
 部屋から追い出されまいと息を潜めて絨毯の上に正座し、部屋に置かれた観葉植物と同化するがごとく大人しい妖狐の少女はいつにまにか寝入っている。こくりこくりと船を漕ぐ白い耳に気を引かれ、思考を中断させられたマグナは視線を落としてハサハを見つめた。切りそろえられた黒い髪が、ハサハがこくりと船を漕ぐ度に揺れている。

(……にも、悪い事したなぁ)

 自分の邪魔をしまいと懸命に息さえ潜めていたハサハに、もうひとりの少女の姿を重ね、マグナはひとり反省した。
 付き合いはまだまだ短いが、の性格は知っている。
 融通がきかないほどに莫迦正直で真面目なのこと。気を使って自分に声をかける事すら、かなりの勇気が必要だったはずだ。それなのに自分は用事を押し付け、体よくを部屋から追い出した。聡いが『自分が追い出された』という事に気が付いていないはずはない。きっと今頃自分に比があるのだと落ち込んでいるだろう。

(あとでフォローしとかないとな……)

 とはいえ、静かに考えたかったのも事実。
 北と南。
 この選択の差は大きい。
 庭園で出会ったクレープ屋は『旅に出るなら普通は南』と助言してくれたが、故郷のある北へ向かわないという保証はない。自分ですら、トリスと無事に再会できたなら一度訪れてみたい場所である。遠いデグレアで育ったマグナとは違い、聖王国で育ったトリスには行って行けない距離ではないはずだ。

(……どっちに行こうかなぁ)

 視線をハサハから、思考をから戻して、マグナは再び天井を見上げる。
 本当に、自分は考えるという行為に向いていない。早速天井の染みを星に見立て、何か星座は作れない物かと横道に逸れ始めたマグナの思考に、視界の隅でハサハの白い耳が勢い良く跳ねた。

「?」

 ハサハはいったい何に反応したのだろうか。
 興味を引かれたマグナは寝転んでいたソファーから体を起こす。
 これまでにない反応を見せたハサハはといえば、先程まで息を潜めていたことなど忘れたように勢い良く立ち上がり、窓辺へと走り寄った。そのまま踏み台を利用して出窓によじ登り、窓を開けようと鍵に手を伸ばす。しばらくカタカタと鍵を弄っていたが、なかなか外れない鍵に諦めてガラスへと顔を押し付けた。

「……ハサハ?」

 ハサハの突然の反応にマグナは眉をひそめながら窓辺へと近付く。ハサハが開けることを諦めた鍵を外し、ハサハが張り付いたままの窓を開くと、窓から顔を出したハサハは身を乗り出して眼下の路上を見渡した。外れとはいえ、ここは繁華街の一端。人通りは意外に多い。
 きょろきょろと忙しく巡らされるハサハの頭に、ハサハが何かを探している事は判ったが、マグナにはそれが何かが判らない。ちょこちょこと忙しく動く白い耳に、ハサハが獣としての聴覚で何かを捕えたのだと言う事を知る。
 眼下の路上を端から端へと見下ろしてようやく目当ての物を見つけたのか、ハサハはマグナを振り返ると路上のある一点を指さした。

「お兄ちゃん!」

「?」

 路上を指さすハサハに、マグナは改めて窓の外へと視線を向ける。先ほどは何も見つけることができなかったが、今度はハサハが指さしてくれているのですぐに『ソレ』を見つけることができた。

「あっ!?」

 眼下の道を歩く見慣れた色に、マグナは慌てて踵を返す。
 そのままの勢いで取る物も取り敢えず、宿の1室を飛び出した。






 階段をかけ降り、マグナは宿の軒先きへと飛び出す。
 部屋から見えた色を探して首を巡らせると、丁度角を曲がる姿を見つける。
 すぐに追い掛けようと一歩足を踏み出すと、遅れて部屋から飛び出てきたハサハがマグナの腰に体当たりをした。

「……お兄ちゃん!」

 ムッと眉をひそめたハサハに、マグナの意識は引き戻される。
 彼を先に見つけたのはハサハだが、突然放りだして追いかけられては、置いていかれる身にはたまらないだろう。幼い見た目に反して聡明なハサハであれば、マグナが飛び出す理由ぐらいすぐに理解するだろうが、だからといって何も告げずに置いていくのはいただけない。
 それに、には買い物を頼んで追い出している。
 『買い物から帰ってきたら、宿の部屋には誰もいませんでした』などという状況を、が冷静に受け止められるはずがない。

「……ハサハは部屋で留守番」

「いや」

 への伝言の役割を兼ねて、残って欲しい。
 そう提案してみたのだが、ハサハには短く、そしてきっぱりと拒否されてしまった。

が戻ってきた時、誰もいないと寂しいだろ?」

 寂しいと言うよりむしろ、要らぬ事を考えて勝手にひとりで落ち込んでいるかもしれない。
 これはハサハも想像できたのか、今度は逡巡して即答はされなかった。

「ひとりで留守番、できるな?」

「…………」

 眉をひそめて心底不満があると目で訴えながらも、ハサハは不承不承頷いた。

「よし、いい子だ」

 こくりと頷くハサハの頭をマグナは軽く撫でる。一瞬だけぴくりと動いた白い尻尾は、早くもハサハの機嫌が直り始めている事を伝えていた。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 そう言って背を向けて走りはじめたマグナに、ハサハは小さく手を振る。
 替わりのいない役目を命じられたので、先日のように後からこっそりと追いかけはしない。そのかわり、角を曲がって見えなくなるまでハサハはマグナを見送った。






  

(2009.12.22)
(2010.02.01UP)