王都ゼラムは大きく分けて8つの区画からなる。
聖王が住む王城、貴族が住む高級住宅街、商人や下級兵士が住む一般住宅街、人々の憩いの場となる導きの庭園、物流の要所ハルシェ湖、多くの観光客が立ち寄る劇場通り商店街、その胃袋を満たす繁華街、旧市街にある再開発区。には用のない場所だが、さらに細かく分ければ貧民街や色町もある。
それら全ての道は区画ごとに違う色の石を敷き詰めて分けられており、道に不案内な旅人にも優しい。
街の住人や旅人といった多種多様な人間が行き交い、色とりどりの商品が並ぶ商店街を歩きながら、はそっとため息をはいた。女の子であれば誰もが喜び、何時間でも眺めていそうな可愛らしい雑貨が堆く積まれた店もあったが、はそれにも気付かない。
ただアイボリー色の石がはめ込まれた路面に自分の影が落ち、機械的に前へ前へと踏み出される己の足を見下ろしていた。
(……追い出されちゃった)
召喚主であるマグナが悩んでいたようなので、気になって声をかけたのだが。
どうやら逆効果だったらしい。
悩みを打ち明けて欲しいなどと大それたことは思っていなかったが、世の中には他人に話して楽になる悩みも確かに存在する。マグナの悩みがそのどちらかは解らなかったが、現在マグナの思考を占めている悩みといえば、北か南。どちらへ向かうべきか。この一つだろう。そのぐらいならば、にも察することができる。できるが――――――問題なのは、察することが『できるだけ』なことだろう。
察することはできるが、マグナのために最良の選択肢を用意することも相談にのることも自分には力不足であるとは自覚している。
(でも、心配だなぁ……)
そっとため息を漏らし、は胸に抱いた紙袋をかかえ直す。
の知っているマグナという少年は、印象を一言でたとえるなら『弾丸』である。
善くも悪くも直情的で、『これ!』と決めた事に対してはとにかく突き進む。何ごとも考えに考えてから行動にうつり、毎回出遅れるとは真逆な存在だ。
その失敗を恐れない姿勢はある意味で尊敬に値するが、レイムやルヴァイドといったマグナの保護者的立場にいる人物からすれば、逆にそれが悩みの種らしい。デグレアから旅立つ際に、はレイムに一人呼び出されてこう言われた。
『できる限り足を引っ張り、暴走するであろうマグナの足を止めて欲しい』
――――――と。
長年育てたレイムが太鼓判を押す『暴走』とはどのような物か。想像するだけでも恐ろしい。とはいえ、幸いなことにはまだその事体に陥ってはいない。港町のファナンでは少々はしゃいで居たようにも見えたが、『暴走』とまでは言わないだろう。街道で何度か山賊にも襲われたが、相手が多勢であろうとマグナは召喚術で難無く退けて居た。
そのマグナが、こと妹の事となると途端に慎重になる。
北か南か。
真逆の方角への二つの選択肢に、結論が出せずにもう3日も悩んでいた。
選択を間違えれば妹との距離が大きく開いてしまうため、どうしても慎重にならざるをえないのは解るが、王都に留まって足踏みを続けていても意味はない。
そうは思うが、にはそれをマグナに伝えることもできない。
ことはマグナとトリス兄妹の問題であり、他人であるには口を挟む権利はないのだ。これ以上はないといえるほど明確な理由をもって、北か南かをマグナに提示できるのであれば、別であっただろうが。
人の通行を妨げぬよう道の脇に設置された案内板を確認し、は道具屋が多く並ぶ区画を曲がって食料品店が多く並ぶ区画へと向かう。
区画ごとを区切る小さな川は、生活用水が流れているのか薄汚れていた。王都に到着した日に見た観光客や人通りの多い大通りの川は綺麗に整備され、そこに流れている水も透きとおっていたが、やはり生活用水を流す川は別にあったらしい。
底の見えない薄汚れた川を横目に、は整備された路面と同じアイボリー色の橋へと足を向ける。
(……うん、下手の考え休むに似たり!
まずはお買い物をすませて早く宿に帰ろう)
その後は、ハサハを見習って今度は追い出されないように息を潜めるしかない。
マグナの思考を遮らず、それでいてマグナが行動する気になったらすぐにでも出発できるように準備だけは整えて。
そう決めたが顔を上げるのと、これまで見ていた視界に別の影が侵入してきたのは同時だった。
「「ひゃあ!?」」
予告なく加えられた腹部への強い衝撃に、は間の抜けた悲鳴をあげながら背後へと突き飛ばされる。石の敷き詰められた路上へとしたたかに尻を打ち付け、は眉を寄せた。
「いたた……、お姉さん大丈夫?」
「あ、はい。少し痛いけど……」
咄嗟の事で意識はできなかったが、体は自然に受け身を取ろうとしたらしい。しっかりと胸に抱いていた荷物はすべて路上へと投げ出され、マグナから預かった財布と共に転がっていた。財布から転がり出る硬貨をが目で追うと、そのうちの一つが白い星があしらわれた赤い靴にぶつかって止まった。
どうやら、自分にぶつかってきた人物―――声から察するに女の子だ―――の靴らしい。勢い良くぶつかってきた少女はとは違い、数歩後ずさっただけで衝撃を受け止めていた。その証拠に少女は尻餅をつくどころか、すでに自分が体当たりしてしまった相手の心配をし、こちらを覗き込んでいる気配がする。
は赤い靴をなぞるように少女を見上げた。
白い星のあしらわれた丈夫そうな赤い靴から、赤と白のストライプ模様のハイソックスが生えている。その上にはドクロマークの大きなポケットがいくつも付いた半ズボンを穿いており、上着は赤い半袖。その下にはハイソックスと同じく赤と白のストライプ模様の長そでを着ている。茶色の大きな鞄をたすきがけにかけて、やや色のくすんだ黄色の襟巻きをしているところを見ると、彼女も『旅人』だろう。
そして、ズボンと鞄に挟まれた『尻尾』から、目の前の少女が『召喚獣』であることが判った。
人類にはあり得ないブルーグレイの色をした髪に、同じ色をしたこちらもおよそ人間とはかけ離れた形状の耳と尻尾。年齢はさすがに判らなかったが、見た目だけならよりも少し年下といったところか。
短く刈り揃えられてはいるが、櫛など通さないのかボサボサとした印象をあたえる髪を揺らして少女がの顔を覗き込んでいた。
「ごめんね。ユエル、よそ見してたから」
「わたしの方こそ、ぼんやりしていて……」
差し出された少女―――ユエルでいいのだろう。一人称に自分の名前をつかっているところをみると、見た目通り中身もより年下と見て間違いはなさそうだった―――の手にが手を重ねると、思いのほか強い力で引っ張られた。
「大丈夫そうだね?」
「はい」
きょろきょろと立ち上がったを見つめ、ユエルは頬を緩める。年相応の可愛らしい微笑みにつられ、も頬を緩めそうになり――――――気が付いた。
「あっ!」
路上に投げ出された買ったばかりの包帯と消毒液に気がつき、遅れて財布からこぼれ落ちた硬貨を思い出す。
ユエルの足下に転がった物を含め、一体いくら路上に散らばってしまったのか。
「大変。ご主人様から預かったお金が……」
一度は立ち上がったものの、またすぐに姿勢を低くしたに、ユエルは首を傾げる。まずは一番手近な所を、とユエルの足下に転がった硬貨を拾い始めると、に続いてユエルが腰を降ろした。
「この丸いのを拾えばいいの?」
「あ、いいよ。急いでいるんでしょ?」
なにしろ、尻餅を付くほどの勢いでぶつかられた。見るからに召喚獣と判るユエルには、何か大急ぎで走る用事があるはずだ。手伝いを申し出てくれたユエルには悪いが、丁重に断るべきだろう。
が顔を上げてユエルに視線を移すと、ユエルは顔を上げずに答えた。
「ユエルは追いかけっこの途中。
鬼が全然ユエルに追い付いてこないから、手伝ったげる」
一度だけ顔を上げてユエルは背後を振り返る。
振り返った視界に、『鬼』の姿はまだ見えなかった。
「ぶつかっちゃったのはユエルのせいだし」
そう続けた獣人少女の好意に、は素直に甘えることにする。
ユエルの申し出は嬉しかったし、なによりもいつまでも路上にうずくまっていては他の歩行者の邪魔になってしまう。となれば、人手はあった方が良い。
「……ありがとう」
は短くお礼を言ってはみたが、ユエルからの返事はない。
すでにお金を拾い集める事に没頭してくれているようだった。
も遅れまい、と下を見る。
なによりもマグナから預かったお金だ。1バームたりと無駄にするわけにはいかない。
「ええっと……」
1、2、3と財布に残った硬貨と拾い集めた硬貨を数える。
財布に始めから入っていた金額と、買い物の値段。そして、現在財布の戻った硬貨の数は――――――
「……どうしよう。少し足りない」
何度数え直しても55バームほど足りない財布に、は改めて足下を見渡す。アイボリー色の橋の上に、これ以上の硬貨は見つからなかった。
「ご主人様から預かったお金なのに……」
機嫌を損ねて買い出しの名目で部屋から追い出された上に、預かった大切な旅費まで紛失してしまうとは。
なんたる失態。
はせめてこれ以上の紛失はすまい、と財布をきつく握りしめる。それからもう一度足下の橋を見渡した。橋の袂から袂までを見渡し、敷石と敷石の溝にでも挟まっていないか、と腰を落とす――――――も、やはり見つからない。
途方にくれたが眉をひそめると、それまでと同じように橋の上を探してくれていたユエルが橋の欄干を指さした。
「……川に落ちたのかもしれないよ」
ユエルの指を追い、は生活用水の流れる薄汚れた川を見下ろす。
街なかというだけあって管理はちゃんとされているらしく、粗大ゴミは見つからない。が、ヘドロと小さなゴミの堆積物はそこかしこに見えかくれしていた。黒っぽい水が流れており、川底は見えない。橋の上に立つぶんには匂いはしないが、橋を降りればおそらくは強烈な匂いが待っているだろう。
汚れた川を見下ろし、はさすがに躊躇う。
マグナから預かったお金が100%川の中に落ちたと言うのなら、抵抗はあるが探しにいかないわけには行かない。が、現在はまだ『可能性の一つ』だ。必ずしもそこに落とし物があるとは限らないのに、薄汚れた川に入るとなると、さすがに遠慮したい。
しばらくが葛藤していると、横で見ていたユエルがぴょんっと欄干の上に飛び乗った。
「ユエルが探してきてあげる!」
「え? あ、いいよ! 大丈夫!」
川の水、結構汚いみたいだし……と続け、はユエルから川に視線を戻す。
探しに入るには躊躇う川だが、自分の失敗を他人に押し付けるわけには行かない。ユエルの体当たりで落としてしまったお金だが、しっかりとポケットのしまっていなかった自分も悪い。
「でも、お姉さんのご主人様のなんでしょ?
無くしたままだとお姉さんが怒られちゃうよ」
心配気に眉を寄せたユエルに、は苦笑を浮かべる。
怒るマグナなど想像できないが、だからといってお金を落としたのは自分なのに、その責任の全てをユエルに押し付けることはできない。
「だったら、わたしが自分で探します。
ユエルちゃんは、鬼ごっこの……」
鬼ごっこの途中なんでしょう? ここはいいから、鬼ごっこに戻ってください。――――――そう言おうと思ったのだが。
が言い終わるより早く、ユエルは欄干から川の中へと飛び下りてしまった。
「あ!?」
反射的に手摺から身を乗り出しては川を見下ろす。
綺麗に川の中へと着地したユエルは、それがなんでもない事のように笑いながらを見上げていた。
「お姉さんはまだ道に落ちてるかもしれないから、そっちを探しててよ」
少しも躊躇わずに薄汚れた川へと降りたユエルに、は申し訳なくて眉をひそめる。
が、ユエルが入った事でわかった川の水深は、そんなに深くはない。せいぜいがユエルの膝下10センチといった所だ。とりあえずの危険はない。これならばユエルに任せてしまっても大丈夫だろう。
そう結論づけて、は改めて橋の上に腰を降ろす。
ユエルが川に入ってまで探してくれているのだ。
自分も気合いを入れ直してマグナのお金を探そう、と。
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(2009.12.22)
(2010.02.01UP)