今夜の自分は、どうかしている。
 先程までは柄にもなく浮かれ、街灯の光りから生まれた自分の影を踏んで遊び歩いていたりもしたが。

 それと今の状況は、かけ離れすぎていた。

 浮かれてすぎて正体を失ったのではなく、暗闇に怯えて冷静さを失っている。
 そう自分でも理解できた。
 が、理解できたところで本来の冷静さは戻ってきてはくれない。

 フレイは街灯どころか、月明かりすら差し込まない路地裏を、ただひたすらに走っていた。
 すぐ真後ろには自分の護衛獣の足音。
 その更に後ろには、一定の距離を保ってついてくる琴の音。

 そう、琴の音だ。

 もう『勘違い』では済まされない。

 琴の音は確実に自分を追いかけ、時に自分の進む道の前へと現れては、フレイの進行を阻む。フレイは人通りの多い方、多い方へと道を選んで走っていたつもりだったが。気がつけば、琴の音を避け、人通りの少ない道を選んで走らされていた。
 いつの間にか走らされていた路地には、人陰はおろか猫の子一匹みかけない。
 道に転がるゴミに時々足を取られながら、路地をひた走っていると――――――不意に視界が開けた。
 狭い路地という圧迫感から解放され、細い月明かりが世界を照らす。
 月明かりの下、視界に広がった風景に、フレイは瞬いた。

「……嘘」

 僅かな月明かりを反射して輝く水面に、自分がハルシェ湖畔まで来てしまったと知る。
 闇に怯え、冷静さを欠いてしまっているとは思ったが、まさかここまで感覚が鈍っているとは思わなかかった。
 ハルシェ湖畔といえば、高級住宅街とは逆方向だ。確かに人通りは多いかもしれないが、それは昼間の話で、夜の港となると人通りなど皆無といって良い。船乗りたちは盛り場へと繰り出し、昼のうちに積み荷の降ろされた船に、荷物番はいない。
 暗い湖に浮かぶ黒い船影が揺らめき、人気のない港をより一層無気味な場所としてフレイに印象づけた。
 路地を抜けたことで広がった視界に、1本の街灯を見つけ、フレイはホっとため息を漏らす。たった1本の街灯に、自分がここまで心休まる日がくるとは思わなかった。
 ノロノロと街灯の元へと歩きながら、フレイは乱れた呼吸を整える。
 暑苦しいと思うのは、走ったからだろうか。
 それとも、きすい湖とはいえ、僅かに塩分を含んだ風のせいだろうか。

 明るい街灯の下に辿り着くと、フレイはようやく人心地ついた。
 灯のせいか、つい先程までの不安が嘘のようにかき消える。
 耳を澄ましてみても、もう琴の音は聞こえない。
 あの音はやはり、自分の不安が産み出した幻聴だったのだ。
 そう思い始め、大きく胸を降ろしたフレイの耳に、琴の音とは違う『音』が聞こえた。

「……お嬢さん」

 不意に聞こえた穏やかな声音に、フレイは瞬く。
 明るい灯火に、不安と恐怖は払拭されたが……声の主のもつ穏やかさに言い様のない違和感を覚えた。
 フレイは恐る恐る声の聞こえた方向へと顔を向けるが、声の主の姿は見えない。
 自分が光の中にいて、相手が光の外にいるからだ。
 声の主の姿が見えない仕組みは理解できたが――――――姿の見えない相手に、一度はさった不安が沸きおこる。
 フレイは早鐘を打つ胸を押さえるように胸に手を起き、顎を引く。
 恐る恐ると、しかししっかりと声の聞こえた方向を見据えて、足に力をこめた。

「あ、あの……」

「こんな時間に、女性の1人歩きは危険ですよ?」

 穏やかな口調で、声の主はフレイに近付いてくる。
 一歩、また一歩と距離を詰めてくる足が、街灯の光の中へと姿を現わした。

「聖王のお膝元とはいえ、王都の治安はお世辞にも良いとは言えません。
 それも、夜の港となれば……なおさらです」

 躊躇うことなく光の中へと侵入し、姿を見せた声の主に―――とはいえ、まだ足もとまでしか見えなかった―――フレイの緊張は緩む。
 声の主の至極尤もらしい言葉に、少しずつ現実味が戻ってきた。
 暗闇に怯え、誰かに追われているような気がしたのは、やはり自分の気のせいだったのではないか。そう核心し、フレイは――――――

「よろしければ、人通りの多い場所まで……」

 光の中に現れた声の主の足、腰と順に見上げ、気がついた。
 声の主は、脇にたて琴を抱えている。
 たて琴といえば、つい先程までその音を聞いていた。
 フレイの感覚を狂わし、人通りの少ない路地へと追い込んだ音だ。

「おっと!」

 フレイがたて琴の存在に気がつき一歩後ずさったのと、足下の護衛獣が声の主に襲い掛かったのは同時だった。
 丸い緑の身体が鞠のように弾み、声の主を襲う――――――が、護衛獣の牙が声の主に届くことはなかった。護衛獣の身体は、声の主に届く前にその軌道を変えて脇へと叩き付けられる。地面に叩き付けられた丸い身体は、弾むことなくその場に『縫い付け』られた。深緑色の丸い背中から生えた長く黒い柄に、フレイは何が起きたのか理解できず、また一歩後ずさり――――――背中に何かが触れた。

 残念ながら、街灯ではない。

 街灯は、フレイのすぐ横で明るい光を灯している。
 では、一体なにが……と見上げると、黒い槍を持った青白い顔の女性―――のような姿をしているが『違う』。召喚師なので、女性のまとっているマナで解った。『彼女』は霊界サプレスの『悪魔』だ―――が背後に立っていた。

「危ない、危ない」

 言葉ほど緊迫感のない声音で、たて琴をもった男は立ち止まる。
 光の中に全身を入れていないため、男の顔は見えない。
 が、そのシルエットは確認することができた。
 すらりと背の高い細みの身体をした男は、フレイから僅かに顔を背け、地面に横たわった護衛獣を見下ろしている。

 今夜、自分の身になにが起こっているのか。
 それはまだ理解できなかったが、一つだけ確かなことがある。

「グレ……っ!」

 地面に縫い付けられた護衛獣の名を呼び、抱き上げようとしたフレイの肩を、背後に立つ悪魔が捕らえた。その手を振り払おうとフレイが振り返ると、たて琴を持った男の背後に新たに2体の悪魔が姿を現わす。そのうち1体の手には、槍が握られてはいなかった。
 つまり、自分の護衛獣を貫いたのは、男の背後にいる悪魔だ。


――――――最近、召喚師が行方不明になる事件が起こっていますので、
 お屋敷までお送りいたします――――――


 不意に、派閥を出るさいに聞いた門番の言葉が思い出される。
 あの時は、ただただ兵士が鬱陶しいと話を聞き流していたが――――――『これ』が『それ』かとフレイが理解した時には、時すでに遅かった。

 3体の悪魔に周りを囲まれて、フレイは薄く唇を噛み締める。

 僅かに血の味がしたが、フレイがそれを気にする間はなかった。






  

(2008.06.09UP)

名前変換もないオリキャラに『フレイ』という名前を付けたのは、実はこのためだったりします。
ちょっとした役割を与えてあるからこその名付け。
黒の旅団員には、たとえ台詞があっても、名前はつけませんが。
あと、ゲーム本編でギブミモがお仕事してても、結果しか触れられていないから? 過程を入れてみた、ってところです。