夜空にぽっかりと浮かんだ月を見上げ、フレイは1人―――正確には、1人と1匹―――夜道を歩く。
夜道といっても、さほど暗くはない。
王都ゼラムは所々に街灯が整備されていたし、自分が住んでいる区画はいわゆる高級住宅街だ。そこにいたるまでの道に設置された街灯の数は、一般住宅街の比ではない。昼間のように明るいとまではいかないが、少女が1人で歩いていても危険は感じなかったし、実際に憲兵も巡回しているので事件も少ない。せいぜいが留守の屋敷を狙った空き巣が出るぐらいだろうか。繁華街やその裏路地を歩くことに比べれは、驚くほどに危険は少ない。
但し、高級住宅街は。
住宅街へと続く道は、必ずしも街灯が完備されているとは云いがたい。
フレイが今歩いている道も、その一つだ。
街灯の光りが届かない暗闇がいくつも点在する道路を、フレイは1人と1匹で歩く。
道路脇に立つ街灯に照らされた自分達の影を踏みながら、ステップを踏むような軽い足取りで。
今夜はとても、気分が良い。
見上げた月が細く欠けた形をしていても、少しも残念に思わないほどに。
自然に綻ぶ頬を引き締めることなく、フレイは月を見上げたままくるりと回る。
周りに人陰はない。
多少うかれた少女が1人道ばたで踊っていたとしても、奇異の目を向けられる心配はなかった。
自分の真似をして御機嫌な仕種でクルクルと回る護衛獣を見下ろし、フレイはつい先ほど聞いた話を思いだす。
蒼の派閥本部から出るさいに、門番にかけられた言葉を。
『――――――最近、召喚師が行方不明になる事件が起こっていますので、
お屋敷までお送りいたします』
家名をもった召喚師は、時に貴族と同等の扱いを受ける。
フレイに対し、門番が護衛を言い出したのも、そのためだ。これが一介の召喚師、ましてや成り上がりであれば、そうはいかない。加えて、フレイの父親は派閥の幹部の1人だ。娘の護衛に兵士の一人や二人、どこからでも調達してくるだろう。父の娘への溺愛っぷりには、自信がある。父なら間違いなく、娘のために依怙贔屓という名の『融通』を利かせるだろう。
門番の言葉と、父の愛に―――時々鬱陶しいと感じるのは、年頃の娘としては仕方がないことだろう―――フレイは肩を竦める。
自分に護衛など、いらない。
人間の護衛などより、遥かに頼りになる護衛獣が自分にはいる。
それに、今夜はとにかく気分が良い。
こんな夜に、無骨な兵士など連れて歩きたくはなかった。
「……また、会えるといいな」
気分の良い原因を思い出し、フレイは再び月を見上げる。
昼間出会った『』という少女を思い出し、微笑んだ。
思えば、召喚師ではない同年代の少女と話たことは、初めてだったかもしれない。
彼女が旅人であったことも、気軽く話せた理由だろう。
フレイは物心ついてからすぐに同年代の召喚師見習い―――ライバル達―――に周りを固められ、それ以外に交流を持つ相手もほとんどが派閥関係者だったりと数が限られている。
父の権力にすり寄ってくる大人達。
召喚師としてのフレイの才能に、嫉妬と羨望の視線を向けてくる派閥の見習い達。
それらのどれとも違うとの出会いは、とても新鮮で心弾むものだった。
「……お人好しそうだったし、ちょっとの嘘ぐらい、許してくれるよね?」
を思い浮かべ、続いてでてきた少年の姿に、フレイは眉を潜める。
少年を『御主人さま』と呼ぶの手前、『男の子が苦手』とつい嘘をついてしまったが――――――それは正しくはない。フレイは異性を苦手に思ったことはないし、腕力以外で自分が劣っているとも思わない。
フレイが苦手なのは、自分の能力に自信をもった『そこそこ優秀』な召喚師だ。
それも、同年代とくれば最悪といっていい。
彼等は実力もないくせにフレイの才能に嫉妬し、謂れなのない挑戦状を突き付けてくることが多々ある。もちろん、それら全ての挑戦者には、それなりの『お返し』をしてきたが。
力ある者には、同じく力ある者が判る。
マグナと呼ばれたの主人は、力ある召喚師だ。
己の力に自信があるものは、質が悪い。
身の程をわきまえず、またフレイの迷惑も考えず、『挑戦』という名を借りた『嫌がらせ』を仕掛けてくる。
同じ派閥内とはいえ、フレイも随分手こずらされてきた。そんな環境に育ったので、フレイは同じ召喚師とはいえ、『召喚師』が苦手―――はっきり云ってしまえば嫌い―――だ。
それが異性である必要はない。
「……グレゴリウス?」
不意に足下から聞こえてきたうなり声に、フレイは足を止め、足下の護衛獣に視線を落とす。深緑色の元から丸い身体をさらに膨らませて、グレゴリウスは道の先を―――街灯のあたらぬ闇を―――睨んでいた。
聞いたこともないような低いうなり声を発する護衛獣に、フレイはようやく異変を感じとる。
護衛獣の視線を追って闇に目を向けてみるが、フレイの瞳には何も映らなかった。
が、確かに何かいる。
威圧感と云うのだろうか――――――? 闇の中から感じる異様な気配に、フレイは無意識に一歩後ずさった。フレイの行動に、護衛獣は闇と主人の間に立つ。
小さな身体ながら、主人を守っているらしい。
闇を威嚇するように身体を膨らませた護衛獣の背中を見つめるフレイの耳に、微かな音色が聞こえた。遠くから聞こえるような、近くから聞こえるような不思議な旋律に不安を煽られ、フレイはもう一歩後ずさる。
それが引き金となった。
遠く、近く響く旋律に、フレイはくるりと闇に背を向ける。
たった今歩いてきたばかりの薄暗い道が、光り溢れる道に思えた。少なくとも、歩いてきたばかりの道に、『変な気配』はなかったはずだ。
「……おいで、グレゴリウス」
異様な気配がする。
気のせいかもしれない。
気のせいであって欲しい。
が、どこからか聞こえてくる旋律―――おそらくは、たて琴の旋律だ―――がフレイの不安を煽り、足を前へと進ませてはくれない。そして、前へと進めないのであれば、あとはもと来た道を戻るしかない。
そう判断し、フレイは歩いてきたばかりの道へと走りだす。
少なくとも、今夜はこの道を歩けない。
遠回りになるが、人通りの多い大通りを抜け城前広場へと出て、それから現在いる道よりさらに明るい街灯に満たされた道を通って屋敷に帰ろう。
自分の足音に続く護衛獣の小さな足音を聞きながら、フレイは全速力で夜道を戻った。
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(2008.06.09UP)
フレイは召喚師として優秀な部類。
父親は成り上がりだけどね。