(もう少し、大きな声で話してくれないかな……)
白い壁にぴったりと耳をつけ、マグナは全神経をそこに集中させた。
相変わらず部屋の中での会話は続けられていたが、なかなか正確には聞き取れない。歳若い少年の声はかん高く、多少は聞き取りやすいのだが――――――残念ながら最初の印象通り、年上と思われる男性よりも、少年の身分の方が高いらしかった。ほぼ報告に対する相づちを返すだけといった少年の声には、たいした情報は含まれていない。どうやら、マグナの知りたい情報は年上の男性の方が持っているらしかった。姿が見えないために年齢までは判らなかったが、低く落ち着きのある声は壁にはばまれ、マグナの耳へは僅かしか届かない。
――――――と。
「……っ!?」
不意に腰へと何者かに体当たりをされ、マグナは口から漏れそうになった悲鳴を飲み込んだ。
体当たりをしてきた者の勢いに、前のめりに倒れそうになったが、これも堪える。そんなことをしてしまえば壁の向こうの人間に、自分が盗み聞きをしていたことがばれてしまう。
なんとか堪えた悲鳴と態勢に、マグナは深いため息を吐くと、自分に抱き着いてきた者の正体を確かめた。
視線を落とすと、腰にしっかりと回された小さな白い腕がある。
その腕を被う紺色の袖に見覚えがあり――――――ここにはいないはずの少女に、マグナは眉を潜めた。
「……ハサハ?」
いきなり抱き着いて着た者の正体を見て、マグナは一応の確認をとる。
ぎゅううぅぅと腰に抱き着かれているため、振り返っても少女の顔は見えない。が、紺色の着物も、白い肌も、ついでに頭のてっぺんから生えている白い三角の耳も、マグナの知っている少女の特徴以外の何者でもない。
何者でもなかったが――――――ハサハはこの場にはいないはずである。
マグナは声を潜めると、こくこくと懸命に頷く少女の頭に手をおき、髪をすく。
「どうしたんだ? と庭園で待ってるはずじゃあ……」
まさか、に何かあったのか? そうマグナが眉を寄せると、ハサハの後ろから足音が聞こえる。マグナがそれに気が付き、身を隠そうとハサハを抱き上げると――――――移動をする前に、足音の主に追い付かれてしまった。
「その子は、きみの召喚獣かな?」
「え?」
穏やかな微笑みを浮かべた老人に、マグナは一瞬だけポカーンと瞬いたあと、すぐに愛想笑いを浮かべた。
派閥敷地内へと無断で侵入し、かつ盗み聞きしている所を、現行犯で見つかってしまった。
こうなれば、あとは全力で逃げるか、目の前の老人を気絶させて逃げるか。
さもなくば、笑って誤魔化すか。
考えるよりも先に『笑って誤魔化す』を選んだマグナに、老人も苦笑を浮かべた。
「さて……派閥では見かけない顔じゃな。
派閥の制服でもないようじゃし……」
しげしげと老人に上から下までを観察され、マグナは居心地が悪い。
背筋を流れ落ちる冷や汗に、マグナがハサハを抱き直すと、腕の中で少女は小さく呟いた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい。
ハサハ、見つかっちゃった……」
この一言で、何が起こったのかは理解できた。
との留守番を命じた後、ハサハは勝手に付いてきてしまったのだろう、と。そして派閥へと忍び込み、関係者に見つかり、逃げているつもりで逆に自分の所へと関係者を案内してしまった。
そんなところか。
というよりも、他の理由が思い浮かばない。
もう少ししっかりとハサハにはの傍にいるように、と云い含めておくべきだった。そう後悔もしたが、後悔というものは、いつでも先に立ってはくれない。
すんっと鼻をすするハサハの頭を撫でてから、マグナは老人に視線を戻した。
「侵入者であれば、衛兵に伝えねばならぬが……」
語尾に含まれた軽い脅しに、マグナは唇を引き締める。
侵入している身では、何がどうなろうとも、自分が100%悪い。
マグナはハサハを抱き上げたまま、老人に向き合い、正直に用件を話した。
「妹を探しに来たんだけど、正面からは入れてくれなかったので、
忍び込みました。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げたマグナに、老人は苦笑を浮かべる。
莫迦正直な物言いに、少年が嘘を付いていないことがわかった。
「……派閥の性質上、余所者を受け入れ難いのは仕方がないじゃろう。
だからといって、忍び込むのは感心しないがね」
「……すみません」
しゅんっと俯いたマグナに、老人を笑みを深める。正直者への褒美と―――侵入者に褒美というのも、おかしな話しであったが―――少年の求める答えに、答えてやる気になった。
「それで、妹というのは?」
「え?」
侵入していた事を咎められ、見つかってしまったからには追い出されるのだろう。マグナはそう覚悟していたのだが……違うらしい。
瞬いたマグナに、目の前の老人は唇に指をあて、片目をつぶった。
どうやら、侵入したことに対しては不問に、あるいは『今は』問わないことにしてくれたらしい。
柔和な微笑みを浮かべた老人に、マグナは表情を緩めた。
「わしはこれでも、ここの師範代でな。
派閥の見習いの顔と名前は、みんな覚えておる。
おまえさんの妹についても、少しは……」
表情を和らげたマグナに、老人は瞬く。
紫がかった黒髪と、やわらかな表情を浮かべた少年の顔に、微かに見覚えがある気がした。
良く似た面ざしの、少女。
目の前の少年と同じ色の髪を持ち、同じ色の瞳をした――――――
「俺はマグナ・クレスメント。
ずっと前に、聖王国の北の町に住んでいました。
そこで召喚術の暴発を引き起こしちゃって……
妹が、その犯人と間違えられて、蒼の派閥に入れられたって聞いてきました。
それで、妹が生きているのなら――――――」
「……妹の名は?」
震えを帯びた老人の声に、マグナは微かに眉を寄せる。
老人の雰囲気が変わった。
ほんの少し前までは、まるで世間話をしているかのような気軽さを持っていたのだが――――――今は違う。
マグナの発する言葉の一言ひとことを、決して聞き漏らすまいと緊張しているのが判った。
老人の異変を敏感に感じ取り、マグナの首にしがみつくハサハの腕にも力が加わる。怯えるハサハをなだめるようにマグナが背を叩くと、ハサハは僅かに頷いた。
「……妹の名前は、トリスです。
トリス・クレスメント」
「クレスメント……トリスの、兄……じゃと?
それが本当なら……」
震える老人の言葉を最後まで聞かず、マグナはハサハを抱き直す。その仕種に従ってハサハは態勢を直すと、マグナの襟の下に腕を差し込んだ。
「あの、俺もう行きます。
ここにはもう、トリスはいないみたいだし」
先ほど漏れ聞こえた会話から、それだけは確実に判っていた。
これ以上老人と会話を続けても、自分の身に危険が及ぶことはあっても、得になる情報はえられない。
マグナが一歩後ずさると、老人は声を荒げた。
「待ちなさいっ!」
「スライムポット!!」
襟の隠しからハサハが取り出した緑色のサモナイト石を使い、マグナは召喚獣を喚び出す。
石と似た緑色に半透明な体をもつ召喚獣は、マグナの横を通り過ぎ、今まさにマグナを追い掛けようと足を踏み出した老人の足へとまとわりついた。
マグナの呼び出した召喚獣に、殺傷能力はない。
ただ、一定時間対象者の行動を制限するだけだ。
が、今のマグナにはそれで十分だった。
マグナはハサハを抱いたまま身を翻すと、侵入する前に目を付けた木へと走り出す。
窓の外の騒ぎに気がつき、追尾を命じる男の声と、少年の声に背を向けて。
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(2008.04.18UP)
マグナって、少年か、青年か。
17才……だった気がするけど、17=高校生だと思うと『少年』。
でも、キャライラストとか、ゲーム本編後半の頼れるリーダーっぷりを見ると、青年とも思えなくもないかもしれなくもない。
そんなわけで、うちでは今の所『少年』表記。
ところで、ラウル師範って確か、典型的な『老人語』でしたよね?
難しい……
※老人語
漫画やゲームに出てくる『老人キャラ』が使う言語。
現実にこんな話し方をする老人はまずいない。