「……誰?」
訝し気な少女の声に、は振り返って事情を説明し、早々に自分の体に抱き着いている緑の召喚獣を引き取って欲しいのだが――――――少しでも動けば、頬にグレゴリウスの脂ぎった表皮が触れる。長く膝に乗られているのも嫌だが、頬にべっとりとした油が触れるもの嫌だ。
となれば、にとれる行動はひとつしかない。
膠着したままに少女が自分の体の前―――この際、背後でも側面でも良い―――に近付いてくるのを待って、グレゴリウスを引き剥がしてもらうだけだ。
どこまでも情けない対処法だ、との自覚はあるが、にはそれ以上の方法が思い浮かばない。
は可能なかぎり召喚獣と逆の方向へと首を傾げ、少女が自分の状況に気が付いてくれるのを待った。
「……グレゴリウスが失礼したみたいね。
いいわ。クレープぐらい、弁償してあげるわよ」
「……っ!?」
が求めていることは、別のことであったが。
召喚獣の口元についた生クリームと、ベンチの上に吐き出された包み紙に、少女はここで何が起こったか、それだけは理解したらしい。
そんな事よりも、この気味の悪い召喚獣を引き取ってください。そう口を開きたかったのだが、の咽は恐怖に引きつる。僅かな息だけが唇から漏れだし、そうこうしているうちに救いの女神になるはずであった少女の足音は遠のいた。
ぱたぱたと足音を立てて走り去る少女に、の胸に張り付いていたグレゴリウスは膝の上へと降りる。それだけでも、今のにしてみれば勿怪の幸いといったところか。
ほっと胸を撫で下ろすと、は背後を振り返った。
走り去った少女の身長は、自分よりも少し低い。
肩の位置で外向きに跳ねた黒髪に、ミントグリーンのリボン。黒に近い青色の大きな襟がついた白い上着は、名も無き世界のセーラー服を連想させた。襟と同色のズボンに、萌黄色のショールを翻して走る姿は、蝶のように華やかな足はこびだった。
とても、膝の上に陣取った気味の悪い召喚獣の主人とは思えない。
唯一それらしい箇所といえば、召喚獣と同じく少女が緑色を愛用しているらしい所だろうか。セーラー服を連想させる色合いがそうさせるのかもしれないが、には少女の着る白と青の服が『制服』に見えてしかたが無い。ということは、制服以外の場所は、少女の好みによるものなのだろう、と。
先ほどマグナがクレープを購入した屋台の前に立ち、少女と店員が会話を始める。
二人の行動を少しだけ見つめたあと、は視線を自分の膝へと落とした。
……相変わらず、気味の悪い緑色の物体が、そこにいた。
少しでも自分の体から遠ざけられないものだろうか? と、はスカートの裾を摘んで膝の方へと引っ張ってみるが、まるまると太った召喚獣は、見た目通り重い。ぴくりとも動かない緑色の体に、が小さくため息を吐くと、目の前に色とりどりのクレープが差し出された。
「はい、クレープ。
何味がいいのかわかんなかったから、適当に買ってきたわよ。
さすがに、そこまでは文句云わないでね」
両手いっぱいにクレープを持った少女は、いつの間にかのいるベンチへと戻ってきており、顔をあげたと目が合うと、にっこりと笑う。
丸顔の可愛い笑顔に、はしばし召喚獣の気味悪さも忘れて見とれた。が、ややあってから、少女の両手いっぱいに持たれたクレープの山に気が付き、目を丸くする。
いくらなんでも、買い過ぎだ。
が1つ―――無理をすれば2つは食べられるかもしれないが―――少女が2つ食べたとしても、まだ片手には余る量のクレープがあった。ざっと数えて10個はあるだろうか? まるで花束のように甘い香りを放つクレープの山に、はようやく声らしい声を漏らした。
「あ、いえ……クレープは、その……」
胸焼けのしそうな甘い芳香に、は苦笑を浮かべる。
と、少女は目を丸く見開いて瞬いた後、断り無くの隣へと腰を降ろした。
「なんだ、ちゃんとしゃべれるんじゃない。
全然しゃべらないんだもの。お人形かと思ったわ」
確かに、あまり意見を返すことのないは、お人形とからかわれることもあったが。
初対面の相手に突然そう切り返されて、は内心で―――表に出せないところが、余計に『お人形』と呼ばれる要因になっているのだが―――眉を寄せた。
「で、どれがいい?
左手端から、『ナウパのチョコソース』『抹茶メンタイ金時』
『ジンギスカンキャラメル』に、『カレー味のバニラっぽいソース』
『べちょべちょポテチ風味白子ソース』。
右手端から『苺っぽい色のナニか』、『練乳っぽい色のナニか』、
『ウニとキャビアとフォアグラっぽい味のナニか』、
『一見シチューに見えるソース』、『そして禁断の扉へ……』の
全10種、好きなの選んでいいわよ」
「……普通なのは、ないんですか?」
内心で感じている不愉快さを表情に出すことなく、は少女に答える。
少女に対する反発心が、膝の上の召喚獣の無気味さを遠ざけた。
僅かに下がったの声のトーンに気付かず、少女は笑う。
「普通のクレープなんて食べたって、面白くないじゃない」
あっけらかんっと笑いながら少女は、少女曰く『面白そう』なクレープを1つ選び、の前に差し出した。
「はい」
「あ、ありがとうございます……って、そうじゃなくて」
差し出されたクレープをつい反射的に受け取ってしまい、それよりも膝の上の召喚獣をなんとかしてくれ、と口を開きかけ――――――
「ん?」
「あ、あの……」
邪気のない少女の首を傾げる仕種に、は口を閉ざした。
口が少々悪いようだが、少女に悪気はかけらも無い。
ただ単純に、思ったことをすぐに口に出しているだけなのだろう。
それがの心を『多少』傷つけるだけで。
「……いえ、頂きます」
「うん」
少女の笑顔にでかかった文句を飲み込み、は手渡されたクレープを見下ろす。
香りは甘いが、見た目は毒々しい。
さきほど少女が並べた名前から察するに、香りはともかく味に対しては期待しないほうが良いだろう。
は意を決してクレープを睨むが、なかなか噛み付く勇気が湧いてこなかった――――――と不意に再び膝の上で召喚獣が飛び上がり、の手にもったクレープに噛み付いた。
「ひっ!!」
ぱっくんちょ、と包み紙ごと飲み込む召喚獣に、の隣に座った少女が柳眉を逆立てる。
「こら! グレゴリウスっ!! お行儀が悪い!」
少女の一喝に、の膝の上の召喚獣は、びくりっと震えてから、長い尻尾を丸めた。どうやら、少女に一喝されて反省をしているらしい。
身を小さくした召喚獣が反省しているらしい、と認めると、少女は微笑んで自分の膝をたたいた。
「おいで、グレゴリウス」
「ぎょぴょぴょ」
少女に誘われ、ぴょんっとその膝に移った召喚獣に、は深いため息をはく。
これでようやく、無気味は召喚獣から解放された、と。
ぱっくんちょ。
ぱく、ぱっくんちょ、と少女の手から行儀良くクレープを食べる召喚獣に、の心の中で小さな変化がうまれる。
鼻を摘みたくなるような体臭も、グロテスクな外見も、最初の印象から何一つ変わってはいないのだが。
可愛らしい少女の膝の上で、行儀良くクレープをねだる丸いボディの召喚獣は、見ようによっては可愛らしくもある。
あくまでも、自分の膝の上ではやられたくなかったが。
「……見慣れてくると、案外可愛い気も……」
ぼそりと漏れたの言葉に、隣の少女は一瞬だけ瞬くと、これまた見事な笑顔を浮かべた。
「でしょ? でしょ?!」
自分の召喚獣への賛美に、少女は笑顔を輝かせての手を取り、感激をそのまま表現するかのように振り回した。
「グレゴリウスったら、こんなに可愛いのに……みんな気持ち悪いって云うのよ?
パパ以外でグレゴリウスのこと可愛いって云ってくれたのって、
あなたが初めて!」
にこにこと笑う少女につられ、も微笑む。
確かに、仕種だけみれは可愛らしいのだが……おそらくは『みんな』の云うことの方が正しい。少女がグレゴリウスと呼び、可愛がっている召喚獣は、お世辞にも外見が『可愛い』とは云えなかった。少女の美的感覚がおかしいのか、盲目的に自分の召喚獣を愛しているのか……たぶん、少女の表情をみるかぎりは両方だろう。
『可愛い』と自分の意見に同調したに、少女は満面の笑顔を浮かべていた。
「あ、あたし『フレイ』。
こう見えても、蒼の派閥の召喚師……見習いよ。
あなたは?」
「わたしは『』です。今は……」
召喚獣として主人に呼ばれ、護衛獣として旅をしています。
そう続けようとして、は瞬く。
今、少女―――フレイ―――の口から、何か重要な単語が聞こえた。
「……蒼の派閥?」
「うん」
今まさに、マグナが忍び込んでいるはずの施設関係者が、の目の前にいる。それも、なにやらささやかな言葉の行き違いから、自分に対して好印象を抱いてくれているような状態で。
にこにこと満面の笑顔を振りまくフレイに、は珍しくも積極的に口を開いた。
「あ、あの、あの……蒼の派閥ってことは、
トリスさんって知りませんか?」
「……トリスって、あの成り上がりの?」
僅かに声のトーンが下がったフレイに、は眉を寄せる。
一瞬前までの満面の笑顔は影を潜めさせたフレイに、は戸惑った。
「あ、あの……『成り上がり』っていうのは?」
何か、聞いてはいけないことだったのだろうか? と眉を寄せたに、フレイの表情はすぐに明るさを取り戻す。
「そっか。『成り上がり』って召喚師以外には、あんま知られてないのね。
あのね、正式な召喚師の家系に生まれた以外の召喚師には家名もなくて、
『成り上がり』って呼ばれているの。
あたしのパパは『成り上がり』だったけど、ママが家名ある召喚師で……
パパが婿養子にはいったから、あたしは一応立派な家名ある召喚師ってわけ」
わかった? と首を傾げるフレイに、はゆっくりと頷く。
召喚師の少ないデグレアの『召喚術』に関する知識は、レイムが持つものが最新であり、派閥のような施設こそなかったが、デグレアの召喚師見習いはほぼ全員レイムの元を訪れる。
マグナを育て上げたレイムに育てられた召喚師達は、自身を『成り上がり』や『家名ある召喚師』等と区切りはしない。
聖王国にはそんな差別があるのか、とデグレアでは決して知ることの無かった『召喚師』の一面に、は眉を潜めた。
フレイの云う言葉はつまり、がもっとも苦手とするものだ。
胃の辺りを渦巻く感情に、は視線を落とした。
そんなの様子には気付かず、フレイは自分の知っている『トリス』を思い浮かべながら口を開く。
「の云うのが『成り上がり』のトリスだったら、少しだけ知ってるよ。
あんまり近付いたことないけど」
「近付いたことが、ない?」
「パパとあんま仲の良くない師範についてるから。
まあ、理由はそれだけじゃないけど」
声を潜めたに、まだ聞きたいのか? とフレイは首を傾げる。
「なんていうか、暗い子なのよ。
とにかく、こっちまでジメジメしてきそうで、近付きたくないの。
それに、いっつもネスティ・バスクの後ろにくっついてるし。
あ、ネスティってのは、トリスの兄弟子ね。
トリスに負けず劣らず、こっちもジメジメしてて、
暗い雰囲気が移りそうで嫌だったなぁ……」
「そのネスティさんも、『成り上がり』だったんですか?」
「ん〜、どうだろ? 昔っから派閥にはいたらいしけど。
今はラウル師範の家名をついだから、一応は
正式な召喚師の家系に組み込まれているのかな?」
8個めのクレープがグレゴリウスの口の中へと落とされた後、フレイはようやく俯いたに気が付いた。
「……あ〜、最後の1個」
俯いたに、フレイはわざと声を高めてクレープをひらひらと差し出す。
「はい、あげる」
「え?」
ぽんっと膝の上に置かれたクレープに、は瞬いてフレイを見上げる。
驚いたと目が合うと、フレイは悪戯っぽく微笑み、ウインクをした。
「だって、ってトロいから。またグレゴリウスに取られたでしょ」
「ううっ……」
そういえば、クレープを受け取って早々に、のクレープはグレゴリウスの胃袋へと姿を消している。
「フレイさんだって、食べてない」
「フレイ、ね」
「え?」
「フ・レ・イ」
何度か『フレイ』と云い直す少女に、は瞬いてから頬を紅く染めた。
それから、意を決して唇を開く。
「……フ、フレイ」
歳の近い少女を、呼び捨てにするのは初めてのことだった。
大抵の場合は『さん』付けや、名字を呼ぶ。リインバウムに来てからは、そもそも歳の近い少女と知り合ってもいなかった。
初対面かつ、同じ年頃の少女を呼び捨てるなど、にとっては初めての経験であり――――――必要以上に照れてしまう。
頬を紅く染めながらも素直に飛び捨てたに、フレイは満面の笑顔を復活させた。
――――――今日は、気分が良い。
鼻歌混じりに召喚獣を背を撫でながら、フレイは足を振る。
同年代の少女になど、呼び捨てを許したことは無かった。
父親の仕事のこともあるが、同年代の者は、決して自分に対して親し気な笑顔を向けはしない。
父親が『成り上がり』と影口を叩かれていることもあるが、それ以上に――――――派閥の見習いたちは、フレイの才能を恐れ、妬んでいた。見習いでありながら高位召喚術を操る力と、知識を。
けれど、出会ったばかりの少女は違う。
自分の生まれも、力も知らず、普通に接し、笑いかけてくれる。
知らないからこそ、なのかもしれないが。
フレイにはそれがたまらなく嬉しくかった。
「じゃあ、はんぶんこしよう。
残念ながら、どこまでも普通なナウパのチョコソースしか残ってないけど」
「普通、なんですか?」
首を傾げるに、フレイは笑う。
「うん。これ以上なく普通」
ナウパの実など、クレープのメニューとしては、人気ナンバー1ではなかろうか。フレイの知る限り、どこのクレープ屋で買おうとも、必ず存在するメニューだ。
「……あれだけチャレンジャーなメニューを選んでおいて、
どうしてそれだけ普通……なの?」
敬語になりそうだった口調を戻し、は首を傾げる。
フレイがさきほど読み上げたメニューは、お世辞にも美味しそうとは云えないものばかりだった。そんな中に紛れ込んだ、唯一つの『普通』なメニューとは。
「……だって、どうせ食べるなら、美味しいもの食べたいし?」
悪びれる様子もなく笑うフレイに、は苦笑を浮かべた。
つまり、口に運ぶのに勇気のいるメニューは、最初からとグレゴリウス用であり、自分の食べるものだけは普通のメニューを選んでいた、と。そういう事らしい。
さすがに少し文句を云いたい気分になったが、は口を閉ざす。
まあ、いいか。
自分にそう思わせてしまったフレイの魅力に、苦笑を浮かべたまま。
「ところでさ、はこんなトコで何してたの?」
クレープを半分に千切りながら、フレイは首を傾げる。
トリスの事を聞かれたため、自己紹介が途中のままになっていた。
「人を待っていたの。
旅の途中だから、わたしは荷物番」
足下の荷物を示し、は笑う。
マグナとハサハに置いて行かれ、一人っきりだといじけていた気分は、すでにどこか遠くへと吹き飛んでいた。
「……ってことは、はゼラムの外からきたのか」
「はい?」
「そして、今は人待ちで隙をしている、と」
と半分にわけたクレープをかじりながら、フレイは首を傾げる。考え事をしているというのに、フレイの食べるスピードは早かった。グレゴリウスよろしく、パクパクとクレープを咽の奥に放り込み、最後の一口を食べ終わると同時にお行儀悪くも、指先をぺろりと舐める。
「いいわ。
待ち人が来るまで、あたしが話し相手になってあげる」
がようやく最初の一口を口に運んだころ、フレイは満面の笑顔でそう提案してくれた。
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(2008.04.17UP)
たぶん、最初で最後の名前付きオリキャラ。
家名はグレイメン。
パパは金髪おでこで獣属性のあの人です。
名前が『フレイ』なのも、パパさんの名前が『フ』で始まるからです。
深い意味はありません。
顔は、お父さんに似なくて良かったね、ってことで。
……あれ? 獣属性じゃなかったかな……? とか思ってみた。
まあ、そのうち確認しよう。