無事、蒼の派閥の敷地内へと侵入をはたし、マグナは人に見咎められないように物陰を歩く。狭い裏庭の所々に植えられた低木に身を隠しながら移動し、建物の裏手へと辿り着いた。窓から自分の姿が見えないようにと壁に背をつけ、聞き耳をたてながらマグナは姿勢を低くして壁際を歩く。
(さて、どこから探そうかな……)
ほどよく手入れのされた裏庭を物陰から見渡し、マグナは考える。
才能がなければ扱えないとされている召喚術は、その使い手の数も少ない。需要と供給のバランスはまだまだ取れておらず、一人前の召喚師として認められた者は、まず職に困ることはない。どんな小さな町でも労働力を呼び出す者として歓迎されるし、町の外であっても―――外道と呼ばれる方法ではあるが―――金は稼げる。とはいえ、いかに稼ぐ召喚師とはいえ、屋敷を構えられるレベルの者は極一握りだ。マグナのような歳若い者であれは、当然外に屋敷を構えるよりも、派閥の施設内で生活を営んでいる可能性が高い。
孤児であるトリスならば、なおさら。
ということは、トリスがいるのは正門から入ってすぐにある外来用の建物ではなく、裏口近くの……今、マグナが背にしている建物の可能性が高い。
そして、情報を求めるのならば、人の集まる所――――――たとえば、食堂あたりだろうか。食べ物を口にいれている間の人間は、気も緩み、口も軽い。建物内部の情報を集めるのなら、これ以上の場所はないはずだ。
マグナは炊事のための水場を探し、壁沿いを移動する。
時々、窓辺に立ち止まっては、トリスの声が聞こえてこないかと耳をすませながら。
が、マグナの期待も空しく、時折聞こえてくる声はお世辞にも楽しそうだとは思えないものばかりだった。無機質に響く暗い声音、冷たい言葉。ここには本当に自分と同じような若者が住んでいるのか? と疑問に思い、マグナは一度だけ窓から中を覗いたが、暗く濁った微笑みを浮かべる青年の姿を見つけ、すぐに目をそらした。
歳は、自分とそうかわらなかったが。
死んだ魚のような目をして本に集中している姿は、とても同じ人間だとは思えなかった。
こんな空間の中で、トリスは暮している。
そう思うと、マグナは一刻も早くトリスを見つけだし、派閥の外へと連れ出したくなった。
「――――――……にも、困ったものだ」
不意に漏れ聞こえた『歳若い』というよりも『若すぎる』声に、マグナは足をとめる。
召喚師の才能をもった『見習い』が集められる施設とはいえ、さすがにこの声は若すぎないか? とマグナは眉を寄せ、何気なくその場で聞き耳を立てた。
「しかし、あの者にとっても、良いことかもしれません」
「……そうだね」
落ち着いた大人の声に、やや遅れて少年の声が静かに答える。
その声に、マグナは眉を寄せた。
気のせいかもしれないが、少年の声の方が、大人の声よりも偉そうに聞こえる。
が、聞き耳を立てていたところで聞こえてくるのは男の声ばかりで、探しているトリスの声ではない。男の声に用はない――――――と場所を変えようとしたマグナの耳に、足を止めざるを得ない名前が聞こえた。
「クレスメントの末裔とも何も知らされず、
世界を回ることは……彼女にとって、幸せなことかもしれない」
(!)
『クレスメント』という名前に、マグナは場所を移動させようとしていた足をとめる。
もっと良く中の会話が聞こえないものか、と窓際ぎりぎりに顔を寄せ、マグナは耳をすませた。
中からも外からも、互いの姿が見えないぎりぎりの境界線に立ち、マグナの全神経は耳へと集中される。この集中力が勉学にも活かされれば……そう嘆く養父の声が聞こえた気がした。
「旅立ったばかりですので、今ならまだ呼び戻せますが……
いかがいたしましょう?」
「……」
考え事をはじめたらしく、無言になった少年の声に、マグナも聞き耳をたてるのをやめ、思考する。
聞き取れた情報は『クレスメントの末裔と呼ばれる彼女』『世界を回る』『旅立ったばかり』の3点。つまりは――――――
(トリスが旅立った?
派閥にはもういないのか? いつ?)
少ない情報から導き出した答えに、マグナは眉を寄せる。
それから、他にも何か情報が得られないものか、とマグナは再び聞き耳を立てた。
抜け穴を通り、派閥の中へと入れたのは良かったのだが。
マグナにバレぬよう、と距離を取っていたことがハサハには災いした。
侵入しているという事実上、身を隠しながら移動するマグナの姿を、距離を取りながら尾行していたハサハは見事に見失ってしまい、現在に至る。
ハサハは泣きそうになりながらも眉を寄せ、辺りを見渡すと鼻をぴくぴくと動かす。大好きなマグナの匂いを探し、枯れ葉や低木に僅かについた匂いを見つけ、のろのろとマグナの後を追いかけ――――――不意に、背後から声が聞こえた。
「おや? 見かけない子じゃな」
聞き慣れない声に驚き、ハサハは驚いて背筋を伸ばす。反射的に膨らんだ尻尾をピンと立てて、ハサハはゆっくりと背後を振り返った。
「驚かせてしまったようじゃな。大丈夫か?」
人のよさそうな微笑みを浮かべ、そう詫びる白髪の老人に、ハサハはコクコクと頷く。不意に聞こえた声に驚きはしたが、それ以上のことはなにもない。
「……お嬢ちゃん一人かな?
主人は誰じゃ? 迷子になっちゃったのかな?」
優しそうな微笑みを浮かべた老人ではあるが、自分もまたマグナと同じく侵入者だ。施設内の人間に見つかってしまったとはいえ、正直に全てを話すわけにはいかない。
とくに、主人であるマグナのことは。
ハサハはきゅっと唇を閉ざすと、耳をふせ、老人を見上げた。
「鬼妖界の子だね。
今、シルターンの護衛獣が呼び出せるレベルの見習いというと……」
答えぬ自分のかわりに、施設内の人物から『主人』を探し始めた老人に、ハサハは一歩後ずさる。
このままでは、自分とマグナが侵入者だとばれるのも、時間の問題だ。
なんとか目の前の老人をまいて、一刻も早くマグナと合流しなければならない。
考え始めた老人から目をそらさず、ハサハはまた一歩後ずさる。
思考の海に沈み、ふっと自分からそらされた老人の視線に、ハサハは好機とばかりに背中を向けた。このままマグナの元へ――――――と一歩足を踏み出したところで、ハサハの小さな肩は老人の手に掴まってしまう。
「っ!?」
「そんなに慌てなくてもいいじゃろう。
少し、おじいちゃんとお話しするとしようか」
柔らかい声音ではあるが、有無を言わせぬ迫力をもった声でもある。
ハサハは振り返らぬままにブンブンと首を振ると、一瞬でも肩から手が離れたら逃げ出してやる、と足に力を込めた。
「……お兄ちゃん、探してるから」
だから、ハサハは忙しいの。
おじいちゃんの話し相手はできないの。
そう続けようと思ったのだが、続いた老人の声に、ハサハの尻尾は垂れることになった。
「そうか。お嬢ちゃんの召喚主は、男の子か」
「あっ……」
うっかり漏らしてしまったマグナの情報に、ハサハは慌てて老人を見上げる。
柔和な微笑みを浮かべた老人と目が合い、ハサハは『これ以上は何も話さないぞ』と口を押さえ、耳を伏せて身を堅くした。
紅い目を見開いた後、すぐに口を噤んだ少女に、老人――――――ラウルは笑みを深めた。
見覚えのない召喚獣の少女は、主人思いの誠実な子だ、と。
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(2008.04.17UP)