「……レルムの村って、有名だったんだな」

 王都ゼラム。その中心にある庭園のベンチに腰を降ろし、マグナは屋台で購入したばかりのクレープを口に運ぶ。

「ここ数カ月のことらしいですけどね」

 マグナに続いて木陰のベンチに腰を降ろし、もクレープをかじる。甘いジャムと生クリームの味に、徒歩での旅程で溜まった疲れも癒された。
 が視線を落とすと、マグナの逆隣に座っているハサハも尻尾をゆらゆらと揺らしながらクレープにかぶりついている。和装のハサハと、洋風焼き菓子クレープという組み合わせは、アンバランスながらも可愛らしい。
 は微かに唇をほころばせて、『導きの庭園』という名の公園。その所々に植えられた緑へと視線を向け――――――先ほどの賑やかな男女2人組のことを思い出した。

 痴話喧嘩に裏拳が混ざりはじめた頃、二人の盛大な口喧嘩はマグナの決死の仲裁によって、ようやくの終息を迎えた。が、そこまでに要した時間は、むらがった野次馬の数と比例する。ようやく辺りの様子に気が付いた大男―――フォルテと名乗った―――は、ここでは落ち着いて話ができない。と大通りを抜け、再開発区へとマグナを案内した。
 そこでようやくケイナの誤解もとけ、改めて『レルムの村』の最新情報を聞きたがったフォルテとマグナが話をはじめ……その間に、ケイナが複雑そうな表情を見せたことに、は気が付いた。

 とはいえ、所詮は他人事だ。

 ケイナの複雑な心境に気がついたとしても、がどうこうしてやる事はできない。また、ケイナも出会ったばかりの旅人に、どうこうして欲しいなどとは思っていないだろう。

 結果として、は口を噤み、フォルテはケイナの表情に気付くこともなかった。

 召喚獣、記憶喪失、男女二人連れの旅。
 ケイナの心情を、はなんとなくだが推し量ることができた。

 ケイナと自分は、少しだけ似ている。

 寄る辺のない身に、唯一つの絶対的な存在をもつ。
 自分にとってのマグナ。
 ケイナにとってのフォルテ。
 記憶があっても家に帰れないと、記憶が戻れば家に帰れるかもしれないケイナ。そんな違いはあったが。
 ケイナは『過去』よりも、『今』が不安なのだ。
 記憶が戻ってしまったら、自分とフォルテとの関係はどうなってしまうのだろう――――――? と。

 やはり、それとなくフォルテに云っておいた方が、良かったのだろうか?
 記憶を取り戻すことは、お互いに望んでいる事ですか? と。

 その場では口を噤むことを選び、今になって後悔をしはじめた自分に、は僅かに眉をよせ、クレープに噛み付いた。
 所詮は他人事。
 関わる必要はないし、必要以上に関わってはいけない。
 そう、自分に言い聞かせるように。

「……それにしても、頭に来るな」

 何気なく聞こえたマグナの声に、はびくりっと肩を震わせた。
 そんなはずはないのだが。フォルテに対して口を噤んだことへの後悔を見すかされ、自分への叱責なのか? と反射的に受け止めかけ――――――マグナの隣でコクコクと揺れたハサハの黒髪に、マグナの言葉が何を差してのことかに思い至った。

 今でこそ、自分たちは庭園のベンチに腰をおろし、クレープを頬張ってはいるが。

 フォルテにレルムの話をした後、マグナは軽い自己紹介と、聖王国へと旅してきた理由を話した。
 その際に、フォルテから蒼の派閥の所在地を聞いている。
 にもかかわらず、蒼の派閥のすぐ近くにある導きの庭園でクレープを頬張りながらも、自分たちの人数は増えていない。
 旅の最初と同じ、マグナ、、ハサハの3人だ。
 新たに加わるかもしれなかったトリスの姿はない。
 マグナが念願の蒼の派閥を素通りし、まずはひと休み――――――とした訳でもない。
 庭園に来る前に、自分たちは一度蒼の派閥に寄っていた。

「でも、フォルテさんも『関係者以外が敷地内に入るのは難しい』って
 云っていましたし」

 蒼の派閥。
 その門番の態度を思いだし、もマグナにならって眉を寄せる。
 確かに、しつこく食い下がったマグナも悪かったかもしれないが。こともあろうか、派閥の門番はマグナに対し、暴力を振るおうとした。幸い、間にはいったハサハと、がマグナを引きずるようにしてその場を離れたため、実際に殴られるようなことはなかったが。

 フォルテ曰く。
 『召喚師集団というものは、部外者には厳しく、なんのコネもなく訊ねていっても、まず中には入れないだろう』

 まさに、その言葉通りの門前払いを受け、自分たちは休憩を兼ねての作戦会議。と、庭園へと足を運んだ。そこで見つけた屋台でクレープを購入し、糖分補給をしながら――――――現在に至る。

「あ〜んなガチガチの石頭連中に囲まれて、
 トリスまでガチガチの石頭になってたら、嫌だな……」

 マグナの記憶にあるトリスは、とにかく元気で愛らしい。
 日々の食事にも事欠く生活の中、兄のマグナが食べ物の工面に頭を悩ませている横で、トリスは水たまりで遊び、虫を捕まえては遊んでいた。
 そんなトリスが、白く冷たい建物の中で生活し、無表情に勉強をしている姿など、マグナには想像できない。どちらかと云えば、派閥のような施設に押し込められたとしても、自分のように勉強から逃げ出しては外を走り回っていたのではないか。そう考えるほうが、容易だった。
 たとえば、今自分が座っているベンチにも、トリスは座ったことがあるかもしれない。派閥での、退屈な勉強から抜け出して。

 逸れた思考に、門番への怒りも忘れてマグナは口元を緩める。
 それからすぐに顔を引き締めると、思考を最初に戻した。

「……どうしたら、派閥の中に入れるかな」

「やっぱり、事情を説明してお願いするしか……」

 眉を寄せるマグナに、は正論を提案する。
 ただし、この正論はすでに実行済みであり、また、玉砕もした後だ。

「それ、相手が聞く耳もってなかったら、しかたがないよ」
 
 確かに、自分でも有効だとは思えなかったが。
 マグナからの改めてのダメ出しに、はしゅんっと俯く。
 規則や風習は守るべし。
 いわゆる『優等生』として、周りと波風を立てないように生きてきたには、正論以外の方法は思い付かない。
 それでもなにか良い方法はないか? とクレープを食べる手を止め、考え始めたの隣で、自分のクレープを食べ終わったマグナがベンチから腰をあげる。

「ん〜、よしっ!」

 まるで気合いを入れるかのような元気ある声に、とハサハは瞬いてマグナを見上げる。
 少女二人の視線を受け、マグナは曇りない笑顔でこう宣わった。

「ちょっと忍び込んでくる」

 まるで、ちょっと散歩に出かけてくるよ。とでも云うような気軽さで。
 そう宣言したマグナに、は驚いてクレープを握りしめる。その横で、ハサハはすでに次ぎの行動に移っていた。

「忍び込むって……」

 もしかしなくても、犯罪。
 いかに『主人』とはいえ、さすがにこれは止めなくてはならない。

「あの、御主人さま。
 それはさすがに……見つかったら、怒られちゃいますし……」

 怒られる程度で済めば良いが。
 コクコクとハサハの頭の揺れるスピードが早くなったが、今はそれを気にかけている時間はない。
 はマグナを捕まえようと、手を伸ばすが……さり気なく逃げられてしまった。

「大丈夫だよ。見つかんなきゃいいんだし」

 確かに、見張りに見つからなければ、『侵入者』と認識されることもないが。
 それはあまりにも楽観的な考え方だ。

「……ハサハはと一緒に、ここで御留守番な」

「!」

「御主人さまっ!?」

 ハサハの食べる速度が上がった理由にようやく気が付き、は慌てて立ち上がる。
 マグナの中で、すでに派閥潜入は決定事項になっているようだ。
 マグナの決定に、一瞬だけクレープを食べるのを止めたハサハが、再び咀嚼を始める。速度はさらに早まった。ハサハはよりも早く、マグナの思惑を汲み取っていたらしい。マグナがなんと云おうとも、付いて行くつもりだ。

「あの、御主人さま……さすがに忍び込むのは……」

「見つからなければ、大丈夫だよ」

 いつもなら自分に安心を与えてくれるマグナの笑顔が、今日ばかりは不安だけを植え付ける。

「でも、御留守番って……」

 確かに、忍び込むのは悪いことであるが。
 それ以上に、がマグナを止めたい理由が、ひとつある。

 未知の世界リインバウム。

 さらに、住み慣れはじめたデグレアを出ての、旅の地ゼラム。
 短時間とはいえ、そこに自分ひとり―――ハサハは止めても、マグナに付いて行くだろう。間違いない―――置き去りにされるとなると……単純に、嫌だ。邪魔になろうと、犯罪者に落ちようとも、一人きりにされるぐらいなら、自分もマグナと一緒に侵入者になったほうが良い。
 ハサハと同じく、手にしたクレープを早く食べてしまおう、とが視線を落とすと、その足下にマグナの荷物が降ろされた。

「こんな重い荷物をもって、忍び込むなんてできないだろ?」

 つまり、御留守番=荷物番。
 身軽になれば、侵入がばれる危険も減る、と。

「荷物番を頼むよ」

「あぅ……」

 がクレープとマグナの顔を見比べている間に、マグナは一人で行動をすすめる。毛布や携帯食料の入った背負い袋をすべて足下に降ろすと、剣だけを腰に下げ、身軽になった腕を、まるで準備運動でもするかのように回した。

「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「あ、御主人さまっ!」

 走り去るマグナを反射的に追い掛けようと足を踏み出して、は足下に降ろされた荷物に足を取られる。マグナがの追跡を見越して足下に荷物を置いたのだとしたら、マグナは存外計算高く油断ならない。養父は莫迦だ、莫迦だと心配していたが、マグナの周りの者達が並以上に優秀なだけであり、その中で霞んではいるようだがマグナもまた優秀な一人だ。

「……おねえちゃん」

「え?」

 荷物に足をとられ、右往左往と足踏みをするの隣に、クレープを片手にハサハが立つ。
 はい、と手渡された柔らかな物体に、それがハサハのクレープだとが気付くより早く、ハサハは自分のリュックをの足下に降ろした。

「ちょっ……、ハサハちゃんまでっ!?」

 これでは本当に身動きが取れない。

「ハサハちゃーんっ!」

 クレープを押し付けると同時にマグナを追って走り出したハサハを、は精一杯の大声で呼ぶ。どんどんと小さくなるハサハの背中は、の声が聞こえているはずにも関わらず、止まる事はない。
 荷物の山からがようやく抜けだした頃には、先に走り去ったマグナの姿も、ハサハの小さな背中も、すでに庭園の外へと消えていた。

「ううぅ〜。ハサハちゃんの、うらぎりものぉ……」

 一行の荷物を全て預けられ、身動きの取れなくなったは庭園の入り口を睨みながら、自分のクレープをかじる。
 とりあえずは、この両手を塞ぐ憎くも愛しい焼き菓子を片付け、地面へと投げ出された荷物を一ケ所に集めることから始めなければ、と。






  

(2008.04.15UP)

気心が知れると、は案外甘えん坊。
ルヴァイド相手に怯えまくってましたけど、マグナには結構慣れてるので、こんな感じ。
でも、まだまだ決定には逆らえませんけどね。
あと、生真面目と、遊びたい盛りのハサハでは、マグナの行動に対する理解度にも差が……。