少年少女の旅人たちは、明日こそ出立すると言い、早々にベッドに潜り込んだ。
 少女の方は酒を取り出した宿主に『肴を作りましょうか?』と言い出したが、明日は早いのだろう、とアグラバインが丁重に断ったので……今頃は彼女も、その主も、夢の世界の住人であるはず。

 明かりを落とした居間の中。

 夕食時の騒動が嘘のように片付けられたテーブルにつき、アグラバインは盃を傾けながら、棚に並べられた木彫りの人形に目を向ける。
 家に訪れた妖狐の少女が、熱心に見つめていた木彫りの人形。
 職人の巧みさはないが、掘った人物の真心のこもった、『世界で唯一つ』の作品たち。
 魚をくわえた獣、野うさぎ、天使等。一見しただけでは統一性のないモチーフに見えるが、それらすべてには一つだけ共通点がある。

「……上手くなったものだ」

 棚にむけた視線を自分の手の中にある不格好な木彫り――――――制作者曰く『お芋』だという物体に向け、アグラバインは小さく微笑んだ。

 思えば、今アグラバインの手の中にある作品が、彼の……リューグの初作品である。

 貧しい村の木こりであるアグラバインの稼ぎは、それほど多くはない。
 そこに孫が3人。
 当然、食べていくだけてやっとである。
 リューグ達は小遣いなどという物には縁がなく、またあったとしても貧しい村では女の子が喜ぶようなしゃれた物が売っている訳でもない。慎ましやかな村での暮らしの中、家族の1人である少女への、ささやかな誕生日プレゼントとして……彼等を引き取った最初の年にリューグが作ったものだった。
 以来、毎年一体ずつ増えていく人形。
 年を重ねるごとに上達していることが見て取れる。
 魚をくわえた獣は、行商人が売っていた人形をまねたもの。
 野うさぎは、飼っていたうさぎが死んだ年に作られた。
 天使は……昨年、孫娘が癒しの力に目覚めたころに描いた絵を元に掘られたもの。……それが霊界サプレスに暮らす『天使』の姿を象ったものということを、リューグが知っているはずもなかったが。

 最近、食事の後にリューグが部屋へとこもるのは、夜警にそなえた仮眠のせいばかりではないだろう。

 兄や妹に見つからぬよう……今年のプレゼントを掘っているに違いない。
 聖女として家を出て以来、対面することすら稀な少女の『誕生日』とした日は来月である。
 夜警の交代の時間だと村に降りていったが……その手には小さな布包みがあった。おそらくは、それが今年のプレゼントであろう。兄と部屋を共用で使っている手前、部屋の中には隠しておけない。
 木彫りの人形を送るのは毎年のことであるのに、未だに照れがあるのだろう。

 口と態度が悪く、誤解を受ける性格であるが……素直な心根の持ち主。

 彼はアグラバインの恩人である父親の性格を色濃く受け継いでいた。
 それが嬉しく、また誇らしくもある。

 空になった盃に、酒を足そうと手を伸ばすと、静かに玄関の扉が開かれる音がした。
 家の中にいる老人……アグラバインはすでに眠っているのだろう、と気をつかった静かな足音。
 歳に似合わぬ落ち着きをもった足音は廊下を真直ぐに歩き、居間のドアの前で止まる。
 できるだけ音を立てないようにドアを開いたところで、少年の声が聞こえた。

「……珍しいですね。
 おじいさんが一人でお酒を飲んでいるなんて」

 少しだけ目を見開き、リューグ――――――と同じ顔をした少年が瞬く。それから、かつてはリューグ以上のわんぱく小僧であった少年が、足音に似合った穏やかな微笑みを浮かべた。
 双児であるリューグと同じ顔であるのに、この差はどこでついたのだろうか。

「ロッカか。おかえり」

「あ……ただいま。おじいさん」

 帰宅の挨拶よりも珍しがることを優先したロッカに、アグラバインは苦笑をもらした。

 確かに、アグラバインが一人で酒を飲むことは珍しい。
 酒は好きというよりも、酒豪と呼べるレベルであろう。
 が、アグラバインが飲酒をすることは滅多にない。
 あるとすれば収穫祭や祝い事、稀にきこり仲間と飲むぐらいであろうか。
 毎日のように晩酌をする習慣はない。
 そんな余分な金があるのなら、酒代に消えるよりも――――――いつか孫娘が嫁に行く時の為に、とアグラバインが密かに金を溜めていることを、ロッカは知っていた。

「夕飯が取ってある。暖めてやろう」

 自警団の仕事で最近では寝るためだけに帰ってくる孫を気づかい、アグラバインが盃を置く。立ち上がろうとテーブルに手を付くと、やんわりと止められた。

「もう子どもじゃないんですから、食事を温めるぐらい自分でできますよ。
 おじいさんは座っていてください」

「……そうか?」

「そうですよ」

 苦笑を浮かべる孫に、アグラバインは少しだけ寂しく思う。
 こうやって、彼等は少しずつ自立していくのだ。

 喜ばしいことだが、やはり少しだけ寂しい。
 そう思う資格は、彼にはないのだが――――――アグラバインは苦笑を浮かべた。

「そういえば、今日は遠くからだけど、アメルを見れたよ。
 一昨日は少し疲れているみたいに見えたけど……今日はなんだか嬉しそうだった。
 昨日、なにか良いことがあったのかな」

 台所に移動したロッカが、カタカタと音を鳴らしながら料理を温める準備をする。
 その音を聞きながら、アグラバインは昨日聞いた話を思い出した。

 孫娘にとっての『良いこと』に心当たりがある。

 宿を貸している少年が、森の中で少女にあったと言っていた。
 彼女は森の中を歩くことを好む。
 守られているようで安心すると言って、聖女として祭り上げられる前は時々木こりの仕事について来ることがあった。

「やっぱりリューグと時間をずらすと、衝突が少ないから楽だよ。
 あいつも、僕が見張っていない方が気が楽だろうし。
 でも見張っていないと今朝みたいにすぐ騒ぎを起こすから……あれ?」

 かぱっと蓋をあける音と共に、台所でロッカの動きが止まる気配がした。
 アグラバインは何かおかしな物でもあったか……と考え、思い出す。

「今夜は宿を貸している娘が作ったんじゃよ」

「まだ……居たんですか?」

 ロッカの声が驚いて上がる。
 それからすぐに声をひそめた。
 アグラバインは起きていたが、旅人達は眠っている。
 そのことに気を使ったのだ。

「それが、連れの少年とリューグがすっかり打ち解けてな。
 剣の腕も中々たつようで……リューグが負けておった」

「えっ!?」

 アグラバインの言葉に驚き、ロッカが鍋の蓋を落とす。
 床に落ちる前に受け止めようと、慌てて落下する蓋を追うが……思った以上に動揺していたらしい。鍋の蓋は盛大な音を立てて、床に転がった。

 基本的に、リューグは余所者が嫌いである。
 そのリューグが……昨夜もそうだが、今夜も泊まることになった旅人を追い出さなかったことがロッカには不思議だった。
 にもかかわらず。
 2人に武術を教えたアグラバインを除けば、村で一番強いリューグが負けるなどと。

「そんなに強いんですが。
 ……僕も手合わせしてほしいな」

 蓋を拾いあげながら呟くロッカに、アグラバインは盃に酒を注ぎながら苦笑をもらす。
 ロッカとリューグ。
 一見正反対の性格に見えても、やはり双児。
 本質だけを見れば、2人は顔だけではなく、性格までも似ていた。

「やめておいてやれ。
 妹を探しての旅らしいからの。
 これ以上出立がおくれては、可哀想じゃろ」

「あ、そうですね」

 泊まっている旅人とは実際に顔をあわせていないが、おおまかな事情は聞いている。
 生き別れた妹が王都で生きていると知ったこと、これから逢いにいくこと、道を間違えてレルム村に来てしまったこと……とくに『妹』という部分が、ロッカとリューグの関心を引いた。互いに大切な妹をもつ兄として。

「今回は諦めます」

 少しだけ残念そうな声で答え、ロッカは料理を温め始めた。






「……何か、いいことでもあったんですか?」

「ん?」

 温めた料理を器に盛り付け、アグラバインと同じテーブルに付きロッカが首をひねる。
 帰って来て最初に思った疑問。
 酒を飲みながら微かに微笑みを浮かべる祖父の顔に、それを思い出した。

「だって、おじいさんが一人でお酒を飲んでいるなんて」

「良いこと、か。……そうじゃな、良いことがあったのかもしれん」

 くいっと盃を傾け、思い出すのは昼間の少女の言葉。

『ルヴァイドさんと似てるんだ』

 デグレアから来た少女は、リューグと主である少年の手合わせをみて、そう称した。

『ルヴァイド』という名前には覚えがある。
 振り返ることも許されない、自ら捨てた過去に住む少年。
 自ら剣を取り、剣術を指南したこともある……父親譲りの紫紺の髪と瞳の少年。父親から譲り受けたのは色だけではない。まっすぐな心、己を貫く強い意志の輝き。国を捨てたために、その成長を見届けられなかったことが少しだけ残念ではあったが……かつての少年に剣をならったと言うマグナの剣筋を見れば解る。
 彼の少年は迷いなく、まっすぐに成長したのだろう。
 今頃は父親と肩をならべ、祖国のために剣を捧げているのではなかろうか。

 そう思い馳せると、アグラバインの口元は自然にほころんだ。

 今夜は盃を傾ける。
 肴など、必要はない。
 思いかけずもたらされた親友の息子――――――その成長ぶり。

 それが何より旨い、今夜の肴となった。






 嬉しそうに微笑みつつも、その理由を教えてくれる気はなさそうだと諦め、ロッカは料理を口に運ぶ。

「あ、美味しい」

 口に広がる暖かな味。
 男がレシピ通りに作った料理とは違う、女の子独自の工夫された料理の味。

 味付けが、少し妹の料理に似ている気がした。