「んん〜」
家の横にある畑に立ち、マグナがじっと地面を睨み付ける。
それから、いつもハサハがするように、ギリギリ尻を地面につけず、顔だけを地面に近付ける奇妙な姿勢。
しばしその姿勢でいたかと思うと……何を思ったのかおもむろに立ち上がる。そのまま靴を脱ぎ――――――
「ご、ご主人さま!?」
洗濯籠を片付け、アグラバインの仕事を手伝おうと畑に出てきたを驚かせた。
「あ、。お疲れ」
裸足で畑に立ち、マグナがを振り返る。
にこにこと、いつもの笑顔をむけて。
「……あの?」
何と言ったらいいものか。
マグナの顔と足下を見比べて、が困ったような笑顔を返した。
「あ、や……ちょっと、やってみたくって」
確かに、いきなり裸足になって地面にたち、笑いかけられれば……誰でも対応に困るだろう。
そういった意味で、の反応はただしい。
だが、そんなことで躊躇うマグナの好奇心ではない。
思い立ったら即行動。
素足に土の感触。
「ん〜、冷たい。柔らかい。あったかい」
足で土をかき、自分の足を埋める。
微妙に矛盾する己の感想に首をひねるが、他に今の気持ちをあらわす言葉をマグナは知らない。
水分を含んだ土が『冷たい』
ふんわりと足を包む土が『柔らかい』
実りを育む土が『温かい』
雪と氷に被われたデグレアではできなかった体験に、マグナの頬は自然と緩む。そのまま足踏みを始めるほどに、感動していた。
「ハサハちゃんは、何をしているの?」
は素足のまま土を掘り返して遊び始めたマグナから目を反らし、いつもならマグナの真似をはじめるハサハを見る。
同様、アグラバインの孫娘が幼い頃に着ていた服を借りているハサハは、マグナから少し離れたところで座り込んで――――――地面の一点を見つめていた。
「……ハサハちゃん?」
じっと動かないハサハに、は首を傾げながら近付く。
「……ズ」
「え?」
ぽつりと呟かれた言葉に、は首を傾げる。
よく聞こえなかった。
がすぐ後ろまで近付いたところで、ようやくハサハは振り向いた。
短い漆黒の髪を揺らして、小さく首を傾げながら。
「ミミズ」
今度は土の上を指差し、視線を足下に戻しながらハッキリとした声で。
ハサハの視線と、指差す先を目で追い――――――地面から出され、切なくうごめくピンク色の生き物に、は顔を引きつらせた。
ミミズに害はない。
少なくとも、触らなければ。
ゴキブリのように飛ぶこともないし、放っておけば勝手に地面の中に帰っていく。
それはわかっている。
が、なんとも言えない……この嫌悪感はなんなのか。
可愛いとは思えないし、触りたいとも思わない。
そのミミズに対して、ハサハはいったい何をしているのか。
地面から掘り出されていることを考えれば、犯人はハサハだろう。
普通、ミミズが自ら地面から出てくるとは考え難い。
「……ミミズさんで、遊んでいたの?」
恐る恐るといった感じに震えるの言葉に、ハサハはこくりと―――ミミズを見つめたまま―――頷いた。
子どもというものは、小さな生き物が大好きなのだ。
今でこそ虫を触ることにためらいを覚えるが、も昔は平気で触っていた記憶がある。
ハサハにとって、目の前にいるミミズがそういった興味の対象になっているのだろう……と思い至ったところで、ふと思う。
ハサハは人間の姿をしているが『妖狐』。
『狐』である。
狐といえば、山に住んでいる。
それから雑食で――――――肉食だったか?
とにかくミミズはこの場合、間違いなく『肉』だ。
「……ハサハちゃん、まさかとは思うけど……」
言葉を濁すに、ハサハは顔だけを向けて振り返る。
そのつぶらな瞳に見上げられ、は戸惑った。
いくら正体が狐とはいえ、人の姿をしているハサハしか知らないには想像できない。むしろ、想像したくもない。
ふと横切った思考に、の頬が引きつる。
「ごめん、なんでもないの」
眉を寄せて困ったような微笑みを浮かべるを、ハサハは不思議そうに首をかしげて見上げていた。それからまた視線を足下のミミズに落とす。
じっとミミズを見つめ、またに顔を向け……しばらくその仕種をくり返したあと。
ハサハはぽつりと呟いた。
「おねえちゃんの作るご飯のほうが、おいしいよ」
「御飯のほう『が』!?
『が』ってことは、まさか……やっぱり……?」
失礼ながら、人の姿をしたハサハがミミズを食べるのを想像してしまい、は唇を引き結ぶ。
背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「にんげんになれるようになったころから、食べてないよ。
にんげんは、ミミズを食べないから」
「そ……そうなの」
「……おいしいのにね」っと呟いて、ハサハはミミズを指で突つき始めた。
ほっと息を吐いたは、直後に聞こえたハサハの言葉に小さく決意する。
(……ご主人様には、黙っていよう)
『傷は舐めておけば治る』と言ったマグナに対し、ハサハが実行したのはつい先日のこと。
(今夜からは、嫌がっても……心を鬼にして歯磨きをさせなきゃ)
人ではないハサハに、歯を磨くという習慣はない。
最初はマグナの真似をしようと歯磨きに自ら挑んだが……大人用の歯磨き粉は苦かった。
それにこりたのだろう。
それでは子供用のものは? と勧めてみたが……フルーツ味のついた歯磨き粉でもハサハは嫌がった。
人工的な味はお気に召さなかったらしい。
デグレアにいたころはキュラーなり、レイムなりに見張られ、しぶしぶと歯を磨いていたが……旅にでてからはそうもいかない。
白い三角の耳を伏せ、赤い瞳に涙を浮かべてマグナの背中に隠れられた日には……誰が歯磨きを強制できようか。
すくなくとも、マグナとにはできない。
二人とも、とかくハサハには甘かった。
その自覚はある。
自覚はあるが……これはハサハのためでもある。
マグナがハサハに助け舟を出そうとも、今夜からは……と決意を新たに、はマグナに振り返った。
相変わらず、足を畑の土に埋めて遊んでいる。
「もやってみなよ。結構気持ちいいから」
「……そうですか?」
一点の曇りもない笑顔を向けられて、は逡巡した。
マグナは実に楽しそうである。
楽しいからこそ、にも勧めるのだろう。
だが、いかに楽しそうであっても、は裸足で遊ぶような年齢ではない。
視線を落として、足下の土を見る。
自然と思い出した言葉は『旅の恥はかきすて』。
微妙に使い方を間違えている気がしないでもないが。
偶然ながら、川に落ちて服を借りたので、今は脱ぎにくいタイツをはいてはいない。
裸足にもなりやすい。
「そうですね……」
ぽつりと呟いて、借り物の靴を脱ぐ。
乾いた白い土の上に足を下ろし軽く掘ると、すぐに水分を含んだ黒い土が顔を覗かせた。表面の土は乾いてパサパサ、中はしっとり。マグナの言う通り、確かに冷たいが、温かくも感じるから不思議だった。
そのままマグナにならって土に足を埋めれば……自然と頬が弛んだ。
「わっ。ひんやりして、気持ちいい」
「な? 楽しいだろ?」
「はいっ!」
満面の笑顔を向けてくるマグナに、も笑顔で答える。
前 戻 次