「お兄ちゃん!」
汗ばんだ体を綺麗に拭き終わり、マグナがタオルを簡単に洗う。
脱いだ服を肩にかけて、『さて家に戻ろうか』っとマグナとリューグが互いに顔を見合わせたところに、女の子の声が聞こえた。
マグナには聞き覚えのない声。
だがリューグには、声の主が誰かわかったらしい。
次に自分の身に起こることもわかっているのだろう。
油断なく声の主に振り返り――――――腹部に突撃を受けた。
突然の襲撃にバランスを崩すかと思ったが、マグナの予想に反してリューグが動じることはない。
どこか疲れたような顔をして、ぶつかって来たモノを……リューグの腰ほどまである背丈の子供を受け止めていた。
「リューグ、遊ぼうぜっ!」
ぱっとかけた白い歯を見せて笑う、瞳は茶色。
髪は短く、男の子。
最初に声をかけてきた女の子ではない。
「い・や・だ」
相手が子供とはいえ、男であるのならば遠慮はいらない。
リューグは自分の腰に腕を回す少年の首根っこを掴み、引き剥がしにかかる……と、その腕に別の力が加わった。
「兄ちゃん、あそぼうよ〜」
「うをっ?」
リューグの片腕に、最初の少年よりも少し年下の少年が己の全体重をかけて妨害に入る。簡単に引き下がる気はないらしい。
これでは、先に片腕をなんとかしなければならない。
リューグが腕にぶら下がった子供を引き離そうと手を伸ばすと、その腕に別の小さな腕が絡まった。
「あ・そ・ぼ・〜、あそぼうよ〜」
両手と腰にまとわりつかれ、さすがのリューグも身動きが取れない。
小さな子供一人ひとりの力は確かに微弱だ。が、生憎……子供というものは『加減する』ということを知らない。
よくも悪くも、常に全力投球で挑んで来る。
小さな驚異とも言える少年たちをぶら下げて、倒れないリューグは流石といったところか。
遠巻きに事態を見守っていたマグナには、その状態が長くは続かないことがわかった。
最初にリューグに声をかけた、人形を抱いた少女が他の子供たちに負けじとリューグに走り寄る。
そして……そのままの勢いでリューグの背中に飛びついた。
「お兄ちゃん、あそぼ!」
「げっ!?」
合計4人の子供を纏い、ぐらりっとバランスを崩したリューグに対し、子供達の反応は驚くほど早い。
トドメをさした少女はさっと体を離し、両手にぶら下がっていた子供もそれに続く。腰に抱き着いていた子供もそれに習い、リューグから離れようとして……身軽になったリューグが体制を立て直そうとする邪魔をした。
豪快な水しぶきをあげて、リューグはあがったばかりの川に落ちる。
咄嗟に子供を庇ったために体制がひっくりかえり、リューグが少年の下にいることを誉めるべきだろうか。
「冷てぇ……」
むっと眉を寄せて呟くリューグに、庇われた子供はきょとんっと瞬いてから、大きな声で笑い出した。
「あははっ。リューグ、かっこわるい〜」
「そぉ〜か。かっこわるいか」
「それなら……」っと呟きながら、しりもちをついている姿勢のリューグを跨いで上にいる少年の足首を水中で掴む。
「おまえもかっこわるくなれっ!」
「うわっ!?」
勢いよくリューグに足を持ち上げられ、少年はひっくりかえる。
リューグが下にいるため、頭を打つ事はなかったが……しっかりとずぶ濡れになった。
悲鳴をあげる間もなく水に引き込まれた少年が泣き出すのではないかと、マグナは心配したが……それは無用に終わる。
水から顔をだした少年は、まだ笑っていた。
それどころか、水に引き込まれる難を逃れた子供たちがリューグにひっぱられたがれ、水辺に集まるので逆にリューグが岸に上がれない。
リューグの方もすでに子供たちを引き剥がすことを諦めたのか、一人ひとりのリクエストに付きあい、川の中へ子供たちを引っぱりこみはじめた。
「結局遊んでやるんだ。
……優しいね、リューグ『お兄ちゃん』?」
ねだられるままに子供たちを何度も川に引っ張り込み、飽きた子供達が思い思いに水遊びを始めたタイミングをまって、マグナがリューグに手を差し出す。なんだかんだといって子供の相手をしてやるリューグに、吹き出しそうになる頬を引き締めながら。
そこにマグナがいたことを思い出し、リューグとしては少々バツが悪い。誤魔化すように……差し出されたマグナの腕を掴んだ。
「おまえとも遊んでやろうか?」
にやりとリューグは不敵に微笑む。
その表情の変化に気付いたマグナが腰をひいたが、間にあわない。
マグナは『自ら進んで』リューグに捕まっていた。
「や、遠慮しとくよ」
「遠慮……するなっ!」
ぐっと力を込めて、リューグがマグナを川の中に引き込む。
剣では負けたが、純粋な力比べではリューグに分があった。
「うわわっ!?」
奇妙な悲鳴に続き、盛大な水しぶきが上あがる。
子供を投げ込んでいたため、最初に体を拭いた場所よりも深い場所に移動はしていたが、マグナは子供よりも重い。
水底に頭をぶつけそうになり、頭を庇って少し背中を打った。
「冷たっ!」
全身から水をしたたらせ、すぐに立ち上がったマグナが抗議の声をあげるが、マグナをずぶ濡れにした張本人はどこ吹く風。大声で笑い、御満悦といったところか。
「どうだ? 結構楽しいだろ?」
「確かに楽しいけど……これじゃ、びしょ濡れだよ」
子供と混ざって水遊びをするのは確かに楽しい。
デグレアでは出来なかったことだったし、ゆったりとした水の中は安心する。
が、その代償も大きい。
濡れたズボンは足に絡み付き、歩きにくいし、気持ち悪い。
ついでに言うのなら、旅の途中であるマグナは荷物を極力減らすため、替えのズボンを持ってはいない。
とほほ、とため息をつきながら、マグナは髪をかきあげた。
「ガキどもは気にしてないがな」
「うぅ〜」
にっと笑い、リューグが子供たちを見渡す。
ろくに整備されていない道で毎日遊ぶ子供達は、当然……自分達の服が汚れることを気にしない。森の中をかけまわることを前提においた彼等の服はみな丈夫で、汚れが目立たない色をしている。
リューグと並んで子供達を見渡し、マグナは視線を感じることに気がついた。
ちくちくと刺さる、微妙な視線。
振り返ると、白い耳が木の影からこちらの様子を伺っていた。
「え〜っと……ハサハ?」
ぴくっと耳が動き、木の影に隠れる。
なんだか出てきにくいらしいハサハに、マグナは苦笑を浮かべた。
呼びにきてくれたハサハに気付かず、遊んでいたらしい。
これは不味いところを見つかってしまったか……っと頬を掻く。
どうしたものかとリューグに視線を向ければ、また子供に呼ばれたようだった。子供の集まっている場所に移動して、手をつかんでぐるぐると回転し、適当なところで遠くに投げる。乱暴に扱っているようにみえるが、リューグに投げられた子供達はみな笑っていた。
そして視線をハサハに戻す。
ぴくぴくっと動く、ハサハの白い耳。
良く見ると、子供たちが笑う声に合わせて揺れているようだった。
「……ハサハ、おいで」
呼ばれて、白い耳がピンっとたつ。
こっそりと黒い髪を揺らして、ハサハが木の影から顔を覗かせた。
逡巡するように子供たちとマグナの顔を見比べて、意を決した様に唇をひき結ぶ。
ぱっと木陰から飛び出して、小走りにマグナに近付き……川に飛び込もうとしたところを、マグナに抱きとめられた。
「ハサハ!?」
なんとなく一緒に遊びたいのかな、とは思ったが、まさか突然飛び込もうとするとは思わなかった。
慌てて抱きとめたマグナに、ハサハは眉を寄せてマグナを見上げる。
「ハサハは飛び込んじゃダメだよ。着物が濡れるだろう?」
濡れたマグナに抱きとめられ、その体についた水分を少々着物が吸ってはいるが。そのぐらいならば問題はない。
地面に下ろされたハサハは眉を寄せたまま、尻尾を奇妙なリズムで振っている。
どうやら御機嫌ななめらしい。
「おにいちゃんも、びしょびしょ」
「俺はリューグに落とされたから。
ハサハまでびしょ濡れになったら……に怒られるぞ?」
出された名前に、ハサハの尻尾が止まった。
普段は優しいだが、度がすぎる悪戯をした時は怒る。
柔らかい容姿を持ったが感情にまかせて怒っても、恐くはない。見るものによっては、それを魅力に感じることもあるほどに。
が。
それを突き抜けた時に見せる……の静かな怒り方は、レイムのそれに勝るとも劣らない。マグナ相手には一歩もひかないイオスとゼルフィルドが、これで頭を下げてあやまっているのを、ハサハは一度だけみたこともある。
むぅと眉を寄せたままではあるが、一応は諦めたらしい。
マグナはほっと息をはいた。
そこにリューグの追撃が加わる。
「いいじゃねぇか。
この村じゃ、服が汚れるからって遊ばねぇガキはいねぇぞ」
「そりゃ、リューグはいいかもしれないけど……」
ハサハの着物は村の子供たちの服とは違う。
着物は生地が厚いので乾きにくい。
汚れが目立たない色をしていることはしているが……シルターンの着物は、リインバウムでは珍しいものだし、荷物が増えるので、着替えもない。
「じゃあ、きものぬぐ」
「へ?」
一度は諦めたハサハの予想外の言葉に、マグナが瞬く。
ハサハは言うが早いか、マグナがその意味を理解し、とめる前に着物の帯をほどき始めた。
「……ハサハ?」
「きものぬれなければ、おねえちゃん怒らないよね?
これで、いい?」
あっという間に着物を脱いで、ハサハが白い襦袢姿になる。
が起き出して来るまで、マグナとリューグの手合わせを見学していた時の格好だった。
ハサハの早業に対し黙ったままのマグナに、『お許しが出た』と受け取り、ハサハが水の中に飛び込む。
そしてマグナの横を素通りし、リューグに手を伸ばした。
「リューグおにいちゃん、ハサハもぐるぐるして」
それがお目当てだったらしい。
リューグにしっかりと懐いたハサハに、マグナは盛大なため息をはき、脱ぎ散らかされた着物を見下ろした。
確かに、着物が濡れなければが怒ることはない。
が、今度は別の問題があった。
(俺、着付けなんてできないんだけど……)
ちょっと遠くを見るマグナは、いつもに着付けてもらっているハサハが、自分で着付けられることを知らなかった。
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