「へえ……。家のすぐ近くに、こんな所があったんだ」

 大小さまざまな石が並ぶ水辺にたち、マグナはあたりを見渡した。

 アグラバイン宅から少し歩いた場所にある、小さな川。
 四方を森に囲まれていて、心地よい木陰と風の通る場所。

 先に靴と服を脱ぎ水の中に入ったリューグを見る限り、水深はマグナの膝あたり。
 あまり深くはない。

「ガキどもの遊び場。夏になるとうるせーのなんの……」

「でも、リューグもその一人だったんだろ?」

 夏場を思い出して、心底うんざり。そんな表情をして見せるリューグに、マグナが笑う。
 リューグとの付き合いはたった1日。
 正確にいえば、24時間にも満たない。
 それでも、彼が率先して仲間たちと遊びまわっていただろうことは……容易に想像できた。

「まあな。遊ぶには丁度いい深さだったし、腹が減れば……足下見てみろよ」

 にっと楽しそうに笑うリューグに促されて、マグナが足下……水の中を覗き込む。

 透き通る水の中。
 銀色の体に日の光をキラキラと反射させて、気持ち良さそうに泳ぐ影がひとつ。

「あ、魚だ!」

「罠を仕掛けて捕まえんだよ。ただ焼くだけだけどよ、……結構いけるぜ」

 子供のように歓声をあげるマグナに、リューグは気分がいい。
 デグレアといえば城下町。
 その『街』に住む者でさえ、レルムの自然に歓声をあげる。
 それが少しだけ誇らしく、嬉しかった。

「へぇ……」

 リューグの言葉に生返事をかえし、マグナは魚から目を離さない。
 じっと真剣に水面を見つめるマグナ目は、村の小さな子供たちと変わらない。ゆえにマグナが次にとるだろう行動が、リューグには簡単に想像できた。

 水の中の魚を見つめたまま、マグナは袖をまくる。

 不意に手を伸ばし、魚を捕まえようとしたマグナの予想通りの行動に、たまらずリューグは笑い出した。
 捕まるわけがない、と。
 どんなにのんびりと魚が泳いでいるように見えようとも、水の中は彼等の領域。
 素手の人間に、捕まえられるはずがない。

「笑うなよ! 魚が逃げるだろ」

「テメェみたいな街育ちに、素手でつかまる間抜けな魚がいるわけねぇだろ」

 豪快に笑われたマグナが眉を寄せ、リューグに抗議した。
 それすらも予想していたリューグは、ますます面白くなり、笑いが止まらない。ついには腹を押さえ出したリューグに、マグナはむきになって水面を睨み付けた。

 すいっと目の前を横切る、憎いあいつ。

 当然、魚に罪はない。
 罪はないが――――――マグナは水しぶきをあげて、川の中に手を入れた。

 ほとんどムキになって魚を捕まえようといているマグナをしり目に、リューグはタオルを水に濡らす。
 マグナが川魚に夢中になり、忘れそうになっていたが……自分達は昼食の前に汗を流そうと水辺に来た。
 その当初の目的を果たすため、リューグはタオルで体を拭きはじめる。






 何度か魚に逃げられたあと、マグナはそっと魚に手を伸ばした。
 そしてまた逃げられる。
 勢いよく追い掛けてもだめ。
 慎重に近付いてもだめ。
 さて、どうしたものか――――――っと曲げ続けていた腰を伸ばし、空を見上げた。

 木々の天井にぽっかりと穴が開いた青空。
 緩やかに流れる清らかな水と、そこに生きる魚たち。
 髪と木々の葉を揺らす風。

 雪におおわれたデグレアとは、全く異なる姿をみせる『自然』。

 魚は捕まらないが、結構……いや、かなり楽しい。
 自然にゆるむ頬を自覚しながら、マグナは靴を脱ぎ、ズボンの裾をおる。裾の短いリューグはそのまま水に入ったが、マグナのズボンではそうはいかない。たっぷりと膝の上まで折りあげてから、マグナは足を水の中に下ろす。

「……冷たい。でも、気持ちいい」

 しんっと水の冷たさが足にしみこむ。
 歩き疲れは暖かいベッドでたっぷり眠り、しっかりと取れていたはずだったが……この川の冷たさはまた一段と違う。すっきりとした清涼感と冷たさが、体の芯にたまった疲労までも攫ってくれるようで……とにかく気持ちがいい。
 あとでとハサハにも勧めて見よう、そう決めてマグナはこっそりと笑った。

「おい、早くしろよ」

 今にも水を蹴り、遊び始めそうな雰囲気のマグナに、リューグが釘を差す。
 昨夜の見回りのせいもあるが、帰宅そうそうマグナと体を動かしたせいで、空腹の頂点にある。
 早いところ汗を流して、昼食にありつきたい。

「ああ、ごめんごめん。でも、楽しくって」

 靴を脱いで川に足をつける。
 それだけのことに、どうしてそこまで感動できるのか。
 そうできることが当たり前。豊かな自然に囲まれて育ったリューグには理解できない。
 そんなものか? と首を傾げて試しに水を蹴ってみる。

 たしかに、幼いころはそうして兄と遊んだ覚えがあった。
 最初は遊び半分。やがて互いにムキになり、止めに入った少女をずぶ濡れにして、怒らせた。並んで謝る2人を、泣きながら川に突き落とした妹分。3人揃ってずぶ濡れになったあと、顔を見合わせて笑いあった夏の日。

「デグレアじゃあ、こんな事できなかったから」

「一年中雪が積もってんだっけ?」

「うん。川もあることはあるんだけど……みんな凍ってる。
 あ、でも……凍った湖に穴を開けて釣りをする、って人がいたかな」

 幼いころに聞いた『デグレアの生活』。
 養父が話してくれた、様々な職業の中に、それを生業にしている者がいたはずだ。
 あの頃はデグレアの寒さになれていなくて、館から出ることすら躊躇っていたから、物好きがいるものだ……とのんきにも思った気がする。
 さすがにあの頃より少しは成長したマグナには、元老院の決定が全てを決めるデグレアで、その人が好きでその職についている訳ではないと解るが。

 それから、もっと過去を思い出す。

 まだ養父に引き取られる前。
 面影すら覚えていない母が死に、お金のない兄妹2人きりで街角を徘徊した日々。
 今マグナがそうしているように、水たまりで水を蹴って遊んでいた妹。
 勢いよく足を振り上げ、バランスを崩して泥まみれで泣き出したトリス。
 泣き止まない妹に困り果てて、頭を撫でて慰めた。
 遠い想い出。






 ぼんやりと遠くを見始めたマグナに気付き、リューグが体を拭き終わったタオルを洗う。
 たっぷりと水を吸った事を確認し、勢い良く――――――

「〜〜〜〜〜っつぅ!」

 バシッと盛大な音をたてて、リューグの手にあったタオルがマグナの顔面を襲う。
 とても良い音が響いた。
 そのかいあってか、すっかり回想モードに入っていたマグナを現実に戻す事にリューグは成功をおさめる。

「どうでもいいけどよ、さっさとしろよ」

 鼻を押さえたままマグナが頷くのを確認し、リューグは川からあがった。
 脱ぎ散らかした服に手を伸ばし……そのまま着てしまっては、せっかく汗を流した意味がない、と気がつく。
 どうやら上半身裸のまま家に戻ることになったようだ。

 マグナが川からあがるまで暇になり、リューグは何気なくマグナを振り返った。
 体を拭こうと服を脱ぐ背中。
 ぜい肉はないが、無駄な筋肉もない。
 むしろ、自分よりも痩せているのではないか――――――っと思い当たり、リューグは顔を背けた。
 つまり自分は、筋力的にも勝る相手に負けたのだ。
 それも自称『召喚師』に。

「おまえ、召喚師ってわりに……いい体してるよな。
 召喚師ってのは、本ばっか読んでんだろ?
 みんなひょろひょろかと思ってたら……おまえみたいなのも居んだな」

「へ?」

 きょとんと瞬き、マグナがリューグを見つめる。
 それからマグナの知る『召喚師』の姿を思い浮かべた。

 まず一番身近な『召喚師』――――――養父。

 彼は一応リューグの条件にあう。
 城勤めの合間に、本と召喚術の研究に明け暮れる毎日。
 元からかは知らないが、当然日に焼ける機会もなく、色白ですらりとしている体。
 ただし、普段はローブに隠れているが、養父もかなりの筋肉を隠しているはずだ。幼いとはいえ、それなりの体重をもつ自分を片手で抱き上げていたことを覚えている。

 それではキュラーはどうだろうか。

 養父の秘書のような仕事をこなすかたわらで、顔に似合わぬ料理の腕を披露してくれた人物。彼自身すばらしい召喚術の使い手であるのに、勤勉にも本をよく読んでいた。肌の色が白くて……すらりと背が高い。
 案外筋肉もあるのではないだろうか。
 マグナが退屈な復習を脱走した時に、無理矢理部屋に連れ戻された時の腕力はただ者ではなかった気がする。

 そして最後にガレアノを思い浮かべた。
 よく召喚術の練習に付き合ってくれた人物で、養父直轄の部下。
 彼も色白だが……剣術の訓練にも付き合ってくれたことを思えば、けっして貧弱ではないはずだ。

 それにしても、揃いもそろって皆色白だ。

 そう結論を出したところで、マグナは脱線かけた思考を戻す。
 マグナの知る『召喚師』は、リューグの条件には微妙にあてはまらない。

「……普通、だと思うよ?」

「今の『間』はなんだ?」

「や、だから……本当に普通じゃないかな」

 少なくとも、マグナの周りの召喚師は『ひょろひょろ』ではない。
 濡らしたタオルで体を拭きながら、旅にでてからそう時間は経っていないが、懐かしい養父たちの顔を思い出す。
 トリスとはまた違った意味で、家族のような人たち。

「それに、本ばかり読んでるわけじゃないよ。
 俺なんか、本広げたら5分で眠っちゃう自信あるし」

 にっと笑うマグナに、リューグは呆れる。

「……それでよく召喚師なんてケッタイなもんになれたな」

「俺の養父さん、教えるのが仕事みたいなものだから。
 俺にあった教え方を探してくれたんだよ。
 まあ、習うより慣れろ、って人だった気もするけど」

 召喚術を習いはじめた最初のうちは理論や法則、方程式などを叩き込まれはしたが。
 元々、マグナの頭は詰め込むことには向いていなかったらしい。
 覚える側から教えたことを忘れているマグナに、忍耐強い養父もついにはキレた。

 理屈よりも先に技術を。

 養父はマグナの中の大きすぎる魔力を制御させることから、操ることから教え直すことにした。
 この方法はマグナにあっていたらしい。
 一応の知識を詰め込まれた後の実践。
 実際に魔力を扱えてみれば、理解できなかった理屈が勝手について来た。

 結果、今のマグナがある。

 一般的な召喚師には及びもつかない、全ての属性を操る高位の召喚師として。
 偉大すぎる師を持つゆえに、奢ることなく素直に才能を伸ばして。

「悪戯をした時は、召喚術でお仕置きされたなぁ」と漏らすと、さすがのリューグも「げっ」と呟いて眉を寄せた。
 マグナには、それが何となく楽しい。

「剣の方も似たようなものかな…?
 ほら、俺って思いついたら即行動ってタイプだから。
 よく失敗するし、突っ走るんだよ。
 小さい時はそれで飛び出した先ではぐれに襲われて、逃げてる間に雪道で迷子になったり……よくやってた」

 今でこそ笑い話としてはなせるが、養父や廻りの人間にしてみれば、たまったものではなかっただろう。何しろ目を離せば『トリスを探しに行く!』とか『町に帰りたい!』と言っては、館を飛び出したのだから。
 一番記憶に新しい暴走としては、トリスがゼラムにいると聞いた時だろうか。
 あの時は、ガレアノに随分と迷惑をかけた気がする。
 飛び出した自分を止めに来てくれたので、思わず全力でふりきってしまったが――――――彼は今頃、ベッドから起き出す事ができているのだろうか。

 そういえば、とハサハを紹介すらしていなかった気がする。
 そもそも、その存在を今思い出した。

 無事トリスと再会を果たし、デグレアに戻る時には……何かお土産を買っていこう。

 マグナはこっそりと心の中でガレアノに詫び、ゼラムに向かう途中で寄ったファナンの土産屋に思いはせる。
 ハサハがの手を握ったまま、楽しそうに覗いていた……串やきの美味しい店。

「おまえ……よく生きてこれたな」

 呆れを通り越して閉口する。
 内心で気苦労の耐えなかっただろう養父に、リューグは同情をしたりもした。

 マグナにも微妙な表情を作るリューグの内心が解る。
 苦笑を浮かべ、曖昧に笑った。

「だから、せめて自分の身を守れるようにって……剣は兄さんに仕込まれた。
 召喚術を唱えるよりも、剣の方が早い時もあるからって」

「おまえの剣はデグレア仕込みか」

 体を拭き終わり、マグナはタオルを簡単に洗う。
 水から上がろうとリューグに近付き、マグナが足をとめる。

「リューグは剣、誰に教わったんだい?」

 元々の筋がいいのもあるだろうが、 リューグは辺境の自衛団にしては、強い。
 手合わせをしてわかったが、独学と言うには無理のある『型』。
 リューグにはしっかりと剣を学んだ者が師としてついているはずだ。

「俺か? 俺は馬鹿兄貴と一緒に……」