誰にも言えないけれど。

 誰にも言わないけれど。

 本当は少しだけ、不安だった。



 赤い世界の中で、マグナは『ああ、夢を見ているんだ』と自覚した。

 それからあたりを見渡す。
 今たっている場所にマグナが住んでいたのは……ずっと昔のこと。
 昔とは違う目線に、一瞬だけ眉をひそめたが。
 見覚えのある建物、古びた看板、知った顔の仲間達。
 それらを一つひとつ視界におさめてから、自分の手のひらを見た。

 いつのまにか握られている、赤い石。

 妹のトリスに手渡されたサモナイト石に、マグナは『今』が『いつ』なのかを悟る。
 慌てて顔をあげると、同じ目線に幼いトリスの顔があった。
 
「きれいだね、マグナお兄ちゃん」

 そう言って微笑むトリス。
 マグナは手の中のサモナイト石に目を落とす。

 きらきらと怪しく輝く赤い石。

 マグナはこの先に起こることを知っていた。
 知っているからこそ、マグナは『それ』を制御しようと試みる。
 あのころ、何も知らずに赤い石を握った自分とは違う。
 『今』のマグナには、魔力を制御する術があるし、知識がある。

 心は懸命に魔力の共鳴を抑えようとしているが、なかなか上手くいってはくれない。
 『夢』だからだろうか。
 それとも、自分もまた幼い少年に戻っているからだろうか。

 制御することを諦めて石を投げ捨てようとするが、それもかなわない。
 どういった仕掛けか、赤い石はぴったりとマグナの手にくっついていた。
 では、せめてトリスをまきこまないように……できるだけ遠くに行こうと思うが、足が動かない。

『…………っ!』

 逆にトリスに逃げるように叫んだが、声がでなかった。

 次第に強く輝きをます赤い光に、マグナは手の中の石と妹の顔を見比べる。
 焦燥感だけがマグナの心を蝕んだ。
 夢の中ですら、トリスを守ることができない自分に苛立ち、マグナは唇を噛む。

 ひときわ赤い閃光があふれた時……

 マグナの記憶にあるとおり、トリスの顔は光の中に消えた。






 赤く染まった世界にたち、空を見上げる。
 赤黒い雲の間に見え隠れする、黒い影。
 『アレ』を呼び出そうとしてしまったのか、とマグナは妙にさめた思考で立ち尽くしていた。

 見なれた建物も見えない。
 妹はもちろん、まわりに仲間達――――――生き物の気配は感じなかった。

 いつのまにか目線が高くなっていたので、『今』の自分に戻っていることがわかる。
 この赤い世界のどこかに、トリスと自分がいるはずだった。
 そう間をおかずに、空を追おう影は自分の世界に帰るのだろう。
 それからしばらくすれば、養父が幼いマグナを見つけ出すはずだ。

「……結局、またいつもと同じ」

 ぽつりと呟く。

 子どものころから、何度も繰り返し見る『夢』
 同じ場面を何度もくりかえし、夢の中ですらトリスを守ることが出来ない自分。

「トリスは……」

 ――――――俺を恨んでいるんだろうか。
 口の中で、そう呟いた。

 召喚術の暴走事故のあと、それを引き起こした犯人として蒼の派閥に送られた妹。
 トリスは見ていた。
 召喚術を暴走させたのが、兄であるマグナだと。

「それとも、もう俺のことなんか……忘れているかな?」

 離れて暮らすことになってから、随分と経つ。
 自分に罪を押しつけ、のん気に惰眠を貪っている兄のことなど思い出すこともなく、『今』を生きているかもしれない。

「デグレアを出る前に、手紙でもだせばよかったかな……」

 『生きている』と知ったあとで、手紙を出したことはない。
 いきなりのことで何を書けばいいかわからなかったし、それよりもまず体が動いた。
 あの時は養父を含め、たくさんの知人に迷惑をかけたと思う。
 すっかり忘れていたが、あの騒ぎのあと養父直轄の召喚師の姿を見かけた覚えがない。――――――まだベッドから起き上がれないのだろうか。

 ぼんやりとそれはじめた思考に、榛(はしばみ)色の瞳が揺れる。

「……アメル」

 森の中でであった榛色の少女を思い出す。
 誰にも言えなかった不安。

 『トリスに逢いにいっても、良いのだろうか』という迷いを、神秘の力で見つけ出してくれた少女。
 柔らかく微笑んで、背中を押してくれた……どこか懐かしい眼差しを持った『聖女』。

「きっと妹さんも待っていますよ」

 あの一言には救われた。
 彼女にとっては、何気ない一言であっても。

 マグナにとっては、何よりも勇気のわく言葉だった。