寄り道としてが案内されたのは、旅人が多く集まる広場から離れた場所。
 まだ大人たちの仕事を手伝えない小さな子供たちが何人かで集まり、年長者がその子供達の面倒をみながら日が暮れるまで遊ぶ、ちょっとした広場だった。
 その中で遊んでいた1人の少女を、リューグが連れ出してくる。
 栗色の髪をおさげに編んだ、赤い服の人形を抱いた女の子。
 白い包帯を額に巻いていて、当て布のしたから覗く肌は額から頬にかけて青く変色していた。

 移動中に少しだけ聞いたが、先日酒場で酔って暴れた旅人に誤って殴られたらしい。

 紹介された少女の痛々しい頬に触れて、は目線を合わせるために腰を落とす。
 はじめてみる顔に少女は首を傾げ、リューグとの顔を見比べた。
 何が行われるのか。
 不安そうに眉を寄せる少女に、は安心させるように柔らかく微笑む。

「力を貸してね」

 ポケットから紫色のサモナイト石を取り出し、がそれを優しく撫でる。
 可憐な声音に囁かれ、白い指先に撫でられた紫の石はほのかに輝き、小さな門を作り出した。
 なかからひょっこりと顔を覗かせたのは、先ほども呼び出された小さな精霊。

「うわぁっ! 可愛いっ!」

 可愛い精霊の登場に、栗色の髪の少女が感極まったように人形を抱きしめる。
 目を大きく開いて精霊を見つめるが、頭にまかれた白い包帯が邪魔だった。包帯を取りさりたいと、少女は手をモゾモゾと動かして、その手をリューグに包まれる。

「馬鹿。まだ外すな」

「むぅ〜っ!」

 むっと頬を膨らませて少女がリューグを睨んだ。
 それに対してリューグも眉を寄せるが――――――その目はとても優しい光を宿している。
 は先ほどから何度かリューグの目をみたが、旅人である自分に対しては当然として、祖父を相手にも見せたことのない優しい視線。
 『村人』という馴染みに対するものなのか、『子供』に見せるものなのか……手のかかる妹の世話を焼く『兄』といった感じだろう。

 睨んではいても、迫力はない。

 2人のやり取りに小さな精霊は首を傾げるような仕草をして、それから少女の包帯に触れた。ちょこちょこと手をふり、光をまきちらす。
 眼前に飛んできた精霊を、少女は神妙な顔つきで見つめた。
 やがて包帯の上に念入りに光をまいていた精霊は、最後の仕上げとばかりに青く変色した少女の頬にキスをする。突然の祝福に少女は『きゃ』っと歓声を上げて、の元に戻る精霊を見送った。
 自分の元に戻ってきた精霊に、はにっこりと微笑んでお礼を言う。誇らしげに丸いお腹……胸をはる精霊を指で軽く小突いてから、霊界へと送還した。

 召喚と送還。
 『召喚術』というはじめてみる光景に、少女がきょとんと瞬いていると、リューグが包帯を外した。

 額から頬にかけて青く変色していた肌は、すでに本来の色を取り戻している。
 当て布を外しても、傷跡はなかった。

 綺麗な弧を描く額に、リューグはホッと息をはく。

 今はまだ幼いとはいえ、相手は女の子。
 額に傷など残っては、大人になった時に気にやむかもしれない。
 それを危惧して『聖女』にみせたかったのだが……生憎、現在では家族であっても中々あえない状況。
 傷口が自然にふさがってからでは遅いと思っていたが、タイミングよく似たような力をもった召喚師が村を訪れた。
 ものは試しと頼んだのが大正解。

 邪魔な包帯をはずされて、少女は自分の額にふれる。
 痛くない。
 それどころか、傷か消えている。
 それに気がついて、少女は顔を輝かせた。

「お姉ちゃん、ありがとうっ!」

 満面の笑顔で感謝され、はちょっとだけ恥ずかしそうに頬を染める。
 『もう、みんなの所にもどってもいい?』とリューグに伺いをたててから、少女はとリューグに手を振りながら、仲間たちの輪に戻っていった。
 その背中を見送り、リューグが複雑そうに眉をよせる。

「『傷を癒す』って意味じゃ、召喚術も『聖女の奇跡』も似たようなもんだな」

「肉体に受けた傷を癒す、ということだけだったら……
 確かにかわりませんね。でも……」

 言葉を区切り、は立ちあがる。
 リューグと同じように少女の背中を見つめながら、広場に集まる旅人から聞いた情報を思い出した。

「この村の聖女は……人の心を読み、
 その心の傷まで癒してしまうと聞きましたから……やっぱりすごいです」

 としては、素直な感想。
 聖女に対する賛美の言葉に、リューグは顔をそむけた。

「すごい、ね」

 子供達の輪から反らした視線に入ってきたのは、白い建物。
 最近たてられた、聖女のいる施設。
 家に帰る自由すらない『聖女』にとっては、今やその施設が『自分の家』のようなものだった。
 その『聖女の家』を、リューグは忌々しげに睨む。

「どうかしましたか?」

 急に黙ってしまったリューグには首をかしげ、見上げた。

「あ、もしかして……さっきの騒ぎでどこか怪我したとか……」

 だとしたら大変。すぐに傷を治します……と、どこかに怪我をしていないか、差し出された腕をリューグが払いのけるように掴んだ。

「関係ねぇーだろっ!」

 『聖女』を誉められたことが、面白くなかった。
 聖女と呼ばれる前の『彼女』を知っているだけに、なおさら。

 『聖女』のおかげで村に旅人が寄るようになり、そのおかげで村の収入が増えた。
 だが、聖女と呼ばれる少女の自由はまったくといって良いほどない。
 旅人を癒すのに忙しくて、村の子供の怪我を癒す時間すらないのだ。
 家族に元気な顔を見せることすらできない。

 『彼女』は子供が大好きで、よく小さい子供の世話をしていたのを知っている。
 その『彼女』が、聖女として時間を縛られているせいで、妹のように可愛がっていた少女の傷を癒せないなどと……気にしないはずはないのに。
 なのに、忌々しい白い建物から『彼女』を連れ出すことが、リューグにはできなかった。

 檻のような建物に居ることを、彼女自身が受け入れてしまったから。

 今でも覚えている。
 『癒しの力』について、村長が家に相談にきたときの少女の顔を。
 家族と会える時間が少なくなると聞いた時に見せた、榛(はしばみ)色の揺れる瞳。

 辛い時や苦しい時に無理をして笑う、その直前にみせる彼女の本音。

 腕を掴まれ、目を丸くして驚いているに、リューグは同じものを見た。

「……おまえっ、もしかしてっ!?」

 細い腕を引き寄せ、濃い茶色の瞳を覗きこむ。
 漆黒の髪とは対称的に肌の白い少女だったが、今は違う。それだけではない。
 青白いといったほうが近い顔色には、どう見ても疲れがにじみ出ている。

 無理をしている時の、『彼女』と同じ表情。

「馬鹿やろう! 疲れてるんなら、最初からそう言えっ!
 知ってたら俺だって、こんな寄り道……」

 リューグに怒鳴られて、はゆっくりと瞬く。
 向けられた表情と言葉は乱暴なものであったけれど、目は優しい。
 先ほどまで小さな女の子に向けていたものと変わらない。

 とうとう表にでてきた疲れに、リューグが気遣ってくれているのがわかった。

「でも、私にもできるかな? って思って……」

「他人の世話見て、自分が倒れてたら元もこもねぇだろが」

 ものは試しと、怪我をした少女に引き合わせはしたが。
 リューグは傷を癒す召喚術を強制はしていない。
 今にも倒れそうな青白い顔をして無理をする必要は、旅人である少女にはなかった。

「誰かのためとか、喜んでくれるならとか、そんなの……」

 馬鹿だ。と、リューグはから目を反らして呟く。

「『誰かの為』なんて、私は思っていません」

 『誰かのため』とか『喜んでくれるなら』なんて、考えて行動したことはない。
 子供が泣いていたら気になるし、慰めたいと思う。
 でもそれは……自然にわいてくる気持ちで、ほとんど衝動のようなものだ。
 いちいち考えて行動はしていない。
 同じように、怪我をしている子供がいて、自分にそれを癒せるすべがあるのなら……召喚術という『術』を手に入れた今なら、癒したいと思う。

 感謝されたいとか、そういう気持ちはない。

 ただ自分にできることがしたくなるのだ。
 『無理』をしているつもりはない。

 けれど。

「もしかしたら、私の為かもしれない……かな」

「はぁ?」

「私、旅をしていて盗賊に襲われても……
 ご主人様を守って戦うこともできません」

 護衛獣として武術を身に付けはしたが、実際にその力で誰かを傷つけたことはない。
 一応の武器として弓を与えられてはいるが、が弓を構えるよりも早く、マグナが大剣をふるい賊を退ける。
 召喚術よりも早く武術を習い出したというマグナの腕前は、時々召喚師であることを忘れてしまうほどにすぐれていた。『召喚師』であることが惜しくもある――――――1度だけルヴァイドがそうもらすのをは聞いたことがある。それに関しては、召喚術の師であるレイムもあまり良い顔をしていなかった。

「召喚術だって、やっと使えるようになったばかりで……」

 いかに知識と技術をみにつけようとも、所詮は初心者。
 魔法そのものが存在しない世界で育ったには、魔力の流れに対する咄嗟の対応ができない。
 『召喚術』自体はリィンバウムに来てからはじめたはずだったが、妖術という力を元から操る、同じ護衛獣ハサハにはかなわない。
 かなわないどころか……足手まといになることもあった。

「最近少し……落ち込んでたんです。
 『ああ、私は役立たずだな』って」

 武術ではマグナの足元にも及ばない。
 自分のほうが少しだけ早く召喚術を習い始めたのに、幼いハサハにあっと言う間に追い越された。

「だから、こんな私でも人の役にたてるんだって思えて……安心します」

 マグナやハサハに比べれば、ささやかな力ではあったけれど。
 実際に少女の傷を癒すのは、呼びだされた存在ではあったけれども。
 それでも、召喚獣を呼び出したのは自身。

 ちょっとしたことだったが、それがを元気づけてくれた。

「やっぱり……ただの『自己満足』ですね」

 小さくまとめて、苦笑を浮かべる。
 『そうしたいから、そうするだけ』とか言いながら、つきつめて考えてみれば……結局は自分が安心したかっただけのような気がしてきた。

 少しだけ恥ずかしそうに俯くの腕を解放して、リューグが顔を覗きこんだ。

「……てめぇの為、ってのはわかったがよ。
 青白い顔して……大丈夫なのか?」

「はい、ちょっと魔力……気合いみたいなものかな?
 それが切れちゃっただけですから。少し休めば回復します」

「そうか」

 覇気のない返事に、とりあえず納得したらしいリューグが大きく息をはく。そしてそのまま……その場に腰を下ろした。

 小さな子供たちが転げまわって遊ぶ、柔らかい下草の上に。

「……あの?」

 突然座りこんだリューグに、は首をかしげる。

「んだよ?」

「いえ、その……」

 ぎろりと睨まれて口篭もったに、リューグは軽く舌打ち。胡座を組み、膝に肘をついた姿勢で視線を子供たちの輪に向けた。

「……休めば、回復するんだろ?」

 目はあいかわらず子供たちに向けられてはいたが。

 まずはに休憩を。
 その心遣いがわかったので、も素直に腰を下ろした。

 柔らかい下草の上に座り、ほっと息をはく。
 ちらりと隣に座るリューグを見て、こっそり思う。

 リューグという少年は、口が悪く、態度も悪い。
 でも、勇気があって、力がある。
 それから素直ではないが――――――とても優しい。

 は自分の中のリューグに対する印象を、少しだけ改めためてから、目を閉じた。






 だまって隣に座った少女を、リューグは目だけを動かして盗み見た。

 やはり相当つかれていたのか、腰を下ろしたとたんにほっと息をはく。
 それからじっと目を閉じて、休んでいる。

 ふわりと風がの前髪を揺らした。

 可憐で儚げに見えるが、召喚術という不思議な力を操る少女。
 人を傷つけることも、癒すこともできる『召喚師』

 少しだけ、聖女と呼ばれる少女に似ている。
 美少女と呼んで間違いはない愛らしい容姿ではなく、その優しい心が。

 身じろぎもせず隣に座る少女の気配に、リューグは幼馴染の少女を思い出した。

 どんな経緯だったかは思い出せないが、祖父と喧嘩をして家を飛び出したリューグを彼女が探し出し、何を言うでもなく、ただ隣に座っていてくれた日を。

 あの小さな味方の存在には癒された。

 傷を癒す力などなくても、彼女は人を……リューグを癒す存在であった。
 
 今は会うことすら稀な、妹のような、姉のような――――――大切な家族。