しばらく村の入り口とは逆方向に進んだあと、旅人が一番多く集まっている広場に出た。
 の腕を掴んだまま、リューグが早足に広場を横切る。

 少々腕が痛い。
 足は歩きづめで疲れている。が腕を引っ張られるよりは、多少無理をしてでも速度を合わせて歩く方が楽だろう。リューグの歩調に合わせて腕を引っ張られていたら、足も腕も痛めてしまう。

「……あのっ!」

 意を決して、は少し機嫌の悪そうなリューグの背中に声をかけた。

「……んだよ?」

 歩く速度はゆるめずに、リューグが視線だけをに向ける。
 自分から声をかけたとはいえ、なんだか不機嫌そうなリューグには口篭もった。
 マグナとのデグレアでの生活で多少なれたとはいえ、やはり異性は苦手である。とくにリューグのような、相手をひるませる迫力を持った異性が苦手だった。

 勇気があって、力もある。が、少しだけ怖くて、どちらかといえば近付きたくないタイプ。

 これがのリューグに対する印象である。

「あの、腕を……そろそろ離してください」

「腕?」

 困惑しながらもそれだけを伝えてくるに、リューグは眉を寄せてしばし思考。やっと腕を掴んでいたことを思い出したのか、まじまじと自分の手――――――が掴んでいるの腕を見つめ、慌てて腕を解放した。

 ぎゅっと掴まれていた腕が解放されて、はほっと息をはき、腕を胸元に引き寄せる。
 ちょっとだけしびれていた。
 こっそりと腕をさするを見て、リューグは顔をそむける。

「い、痛いんなら、もっと早く言えっ!」

「はい、すみませんっ!」

 自分より目線の高い、リューグの強い瞳は確かに怖かったが。
 言い方はキツイが、心配してくれているのがわかった。
 わかったので――――――

「謝る必要なんてねぇだろう」

「はひっ! すみま……」

 言いかけて、慌てて口をとじる。
 『謝るな』と怒鳴られたばかりである。
 ではこの場合、なんと言ったら良いものか。
 リューグの言うとおり自分が謝るのはおかしいが、『ありがとう』というのもおかしい。

 返事に窮してだまったに、リューグは軽く舌打ちし、再び顔をそむけた。

「おまえの主人がいるのは……村の入り口だったよな」

「はい。でも……少し森に入ったみたいですけど」

 急に話題を変えられて、戸惑いながらもは付け足す。
 たしか、別れるさいに、マグナはハサハをつれて森の方に歩いていった。

「森? なんでまた」

 いぶかしみながら眉を寄せるリューグに、は広場の人ごみを振りかえる。

 村の自警団が整列させているとはいえ、旅人の数は10や20では収まらない。一応『広場』とは感じるが、 元々が小さな村。その広さもたかが知れている。自警団員と並んでいる旅人だけで、広場には溢れそうなほどの人数がいた。実際、列に並びきれない旅人は、整理札をもらい、休憩所やら酒場で時間を潰しているぐらいだ。
 すでに『溢れている』と言った方が、正しいのかもしれない。

 の視線を追うように、リューグもまた人ごみに目を向けた。

「人ごみに酔ったみたいです」

 マグナの育った雪国では、そうそう『人ごみ』などというものは見かけない。
 『元老院議会』という支配者階級の者が治めるあの国に、『祭り』などという国民の娯楽は皆無といってよい。多くの国民はせいぜい新年を迎える日に、家族でご馳走を食べる程度だ。マグナのような身分ある要人の養子であっても、それはあまり変わらない。『贅沢は敵だ』とまではいかなくとも、豪華な晩餐とは縁遠い。

 当然、人ごみに慣れる機会などない。

 くわえてマグナも自身も、元から人ごみが苦手だった。

 少々疲れた顔でそれでも微笑む少女に、リューグは少しだけ歩く速度をゆるめた。

「おまえの主人とやらも、やっぱり召喚師なのか?」

「はい」

「やっぱ、おまえみたいに……怪我とか簡単に治せるのか?」

「簡単ではないですけど……
 ご主人様は、私なんかよりずっと高位の存在を呼び出せますから……すごいですよ。
 でも、さすがに骨折を治したりはできないみたいですけど」

 怪我や体調不良を癒す召喚術は確かにある。
 天使や幻獣の操る神秘の力を借りれば、ふさがるのに何日もかかる傷口を一瞬で治してしまうことができた。
 が、それは万能ではない。
 人間の使役され、強制的に呼び出された天使や幻獣の力は、本来の世界で振るわれるものよりもずっと小さい。
 深い傷口を塞ぐのにはそれなりに時間がかかるし、病気を治すことはできない。骨折などは回復を助けることはできるが、骨の癒合はやはり人間の自然治癒力に頼るしかない。
 そして同じ天使を呼び出すにしても、召喚師として未熟なが呼ぶより、経験も魔力もあるマグナの方が、天使そのものの実力を発揮させることができる。

「でも、簡単な傷なら治せるんだな?」

 リューグの言葉の中にある、遠まわしな『探り』に、はようやく気がついた。

 リューグは、召喚術で治せる傷の程度を聞いている。
 怪我でも病気でも治してしまえる『聖女』がいる村なのに、何故そんなことを旅の召喚師に聞く必要があるのだろうか。
 疑問には思うが、はとりあえずそれを無視した。

「……どなたか、治したいんですか?」

 遠まわしに聞いていたつもりが、直球に用件を聞かれ、リューグは瞬く。

 この少女はぼんやりとしていて、うっかり酔っ払いに絡まれたりするが、そのくせ暴力に立ち向かう度胸と、それらを退けることが可能な召喚術という力を有している。
 さっきもアグラバインとのやり取りの中、しっかりリューグの名前を聞き取っていた。
 清楚で可憐な容姿に誤魔化されそうになるが、なかなかしっかりしていて油断はできない。

 リューグは逡巡したのち、ものは試しと口を開いた。