酒臭い吐息と、肩に回された腕。
 そして新たに加わった腕を掴む手に、は泣きそうになりながらも足に力を入れる。
 そこから1歩も動かないぞ、という決意も努力も虚しく、男2人の腕力の前にあっさりと引きずられてしまうのだが。

「何やってんだ、この酔っ払いがっ!」

 突然横から聞こえてきた声に、黒髪の男に掴まれた腕が開放された。

 解放された……というよりは、相手が殴り飛ばされたといったほうが正しい。
 声の主が相手を殴りつけたときに一瞬そちらに引っ張られたが、最初に絡んできた赤毛の男の手はいまだの肩にしっかりと回されている。

 できれば、その腕からも解放されたい。

 救いを求めてが振りかえるよりも先に、声の主が赤毛の酔っ払いの手を払い、を引き寄せた。そのまま自分の背中に庇うように、酔っ払いとの間に立つ。

 まだ少年だった。

 歳は、やマグナとそうかわらない。
 後ろ髪は普通の茶色。
 でも前髪は違う。染めているのか、元からなのかはわからないが……鮮やかな赤い髪に、1房だけはねている奇妙な髪型。
 もしかしたら、リィンバウムでは普通の髪型なのかもしれないが。
 異世界より召喚されてきた存在であるの目には、奇妙なものとして映った。
 
「酒場でくだまいてんのは、テメェらの勝手だがよ。
 人様に迷惑かけんのはいただけねぇなっ!」

 背中に庇われ、は少年の横顔を盗み見る。
 助けてもらっておいて申し訳ないが、殴り飛ばした相手を見下ろす精悍な横顔からは少々怖い印象を受けた。
 少年がイライラついているのも、そういった印象を与える要因になっているのだろう。

 怖い――――――が、勇気のある人だ、とは思った。

 普通なら、酔っ払いなどという人種に絡まれている人間を助けに入る者などいない。
 いまだって自分達を遠巻きに見つめていた野次馬は何人もいるのに、助けに入ってくれたのは目の前の少年だけだった。少年よりも体格の良い者も、頑強な筋肉を誇る冒険者もいるというのに。
 それから、気がついた。
 少年の服装は、広場でみかけた自警団と同じ物である。
 つまり少年は自警団員であり、自分の職務をまっとうしている、ということだ。正義感から手助けにはいった訳ではない。とはいえ、それでも勇気のある行動だと心強く思う。

「俺達がいつ、誰に迷惑かけたんだよ」

 少年に殴り飛ばされた黒髪の男が、頬を撫でながら立ちあがる。
 すぐに殴り返してこなかったのは、少年の服装に気がついたからだろうか。
 手を払われた赤毛の男が、両手を広げて肩をすくめた。

「そうそう。俺達が気分良く酒を飲んでいたら、
 宿がみつからず困っている少女が1人!」

「だから『お酌をしてくれたら俺達の部屋に泊めてやろう』ってことで
 商談が成立して、これから楽しく飲みなおすところだったんだよ?」

「ほらほ〜ら? 誰にも迷惑をかけていない!」

「人助け、人助け。助け合いの精神とは、かくも美しきものかな」

 などと勝手な理屈を並べ立てる男2人。

「おもいっきり嫌がってただろうっ!」

 酒のせいで頭が回っていないらしい2人に、リューグが事実を簡潔につきつけてやった。
 しかし、よっぱらいに正論が通じるはずもなく。

「『嫌だ』なんて一言もいってないぜ?」

 ぬけぬけと胸を張り、酔っぱらいは自分達の主張を通そうとする。

 ――――――本当に、酔っ払いというものは性質が悪い。

 面倒だが、たまには兄の言うように『話し合い』なる物をしてみようと思った自分が馬鹿だった。
 いつものように問答無用で伸してしまえば、こんな無駄な問答はしなくてもすむ。
 酔っ払いの暴走を止めたことよりも、その『過程』について後で兄と口論になるのはわかりきっていたが――――――話しの通じない相手と、いつまでも睨み合っているつもりはない。

 早いところ終わらせようと腹を決めて、リューグは拳を握りしめた。
 そこに、ポツリと一言。

「……嫌、です」

 ついさっき聞いたばかりの少女の声。
 すぐ後ろにいたからこそ聞こえた、小さな声だったが。

「嫌です、嫌です、嫌ですっ!」

 一言いったら気が楽になった。
 そのままの勢いで、は何度も「嫌です」と繰り返す。
 言葉にするたびに大きくなる声と、自分を庇い立つ少年の背中に勇気づけられて、先ほどまでの不安が掻き消えていくのが自分でもわかる。

「「「…………」」」

 むっと眉を寄せて「嫌です」と繰り返す少女に、リューグと2人の男は一瞬呆けた。

「…………嫌だって、言ってるぞ」

 絡まれて困惑していた本人の、はっきりとした拒絶の言葉。
 これほどの証拠があるはずもなく。
 また、大人しそうに見えた少女の、意外に元気な発言に、リューグは愉快な気分になった。

 リューグはにやりと笑い、酔っ払いに向き直る。
 その笑みを受けて、どう受け取ったのか――――――

「お、おめぇが言わせたんだろうっ!」

 などと、酔っ払い達はの『拒絶』を無効にしようと騒ぎはじめた。

「俺は関係ねーだろっ!」

「まあ、いいや。
 お兄ちゃんを軽くのして……お姉ちゃんと飲みなおしだ」

「どういう理屈だ、おいっ!?」

 気分良く酒をのみ、見目のよい娘をひっかけて、あわよくば……といった所に水をさされた。
 当然、本人たちにしてみれば面白くないことだった。
 村に滞在している手前、村の自警団と揉め事を起こすのは得策ではないと穏便にすませようとしたが、こうも邪魔をされては気がすまない。

 幸い、自分達が気分良く酒を飲む邪魔をするのは自警団員1人。

 野次馬はいるが、こういった手前は決して輪の中には入ってこない。
 加えて、自分達は数でも勝っている。
 アルコールのおかげで気分も高揚していて――――――冷静な判断などつかなかった。

「……ちっ! これだから酔っ払いってのは……」

 リューグがかまえるよりも早く。
 酔っ払い2人は、目の前の少年に殴りかかった。