見上げれば、雲一つない青い空。

 見渡せば、人影の見えない大平原。



「まったく……あんたのせいよ。
 またこんな人気の無い道を進むハメになったのは」

 腰までの背丈がある草を掻き分けて、黒髪の女性が先を歩く大男を睨む。
 さりげなく彼女のために道を作りながら進む大男は、その視線を感じて肩をすくめた。

「んなこと言ってもよ……あれはケイナ、
 おまえだって黙っていられなかっただろ」

「先に掴みかかってたのは、どこの誰だった?」と指摘されれば、黒髪の女性――――――ケイナも口をつぐむしかない。

「それはそうだけど……」

 ケイナはなおもぶつぶつと言葉をつむぐ、が声は小さい。
 確かに、現在獣道を進むことになった一因には自分も関係しているのだ。

「それにしても……あんたと組んでから、ずっとこんな感じよね。
 あんた、私と組むまで……いつもこんな旅を続けていたの?」

 目の前を行く大男と組んで旅をするようになってから、くつろげる時間というものは無かったに等しい。
 立ち寄る村や町で、必ずと言っていいほど騒動に巻き込まれ続けた。

 実は獣道どころか、夜道を歩くことも大分慣れた。

 夜目が利くようになった、といえば聞こえはいいが……ようは慣れてしまうほどに『夜逃げ』を繰り返したということだ。

「いんや? おまえさんと組んでからだ。
 トラブルに巻き込まれるようになったのは。
 なんせ、おまえはトラブルを呼ぶからな……」

 やれやれっとため息をつく相棒に、ケイナは憮然と目を寄せ、それからこっそりと……感謝する。

 実際、彼と出会っていなければ、自分がどうなっていたかはわからない。

 自分の名前も、過去も全て忘れた状態で森の中に倒れていたのだ。
 右も左もわからない。自分のことさえ白紙の状態では、どこへ行き、どうして生きるか。それを決めることさえできなかった。

 だから彼にはいくら感謝をしても、したりない。

 毎回このようなトラブルを引き起こす自分を、今も見捨てずに共にいてくれることを。
 名前すら忘れていた自分に、その少ない持ち物から『ケイナ』という名前を見つけ出してくれたことを。
 いつ終わるかも判らない、本当に終わるのかも判らない。そんな自分の記憶を取り戻すための旅に、付き合ってくれていることを。
 信憑性はともかく、手がかりを見つけてきてくれることを。

「はいはい、どうせ私は世間知らずのトラブルメーカーですよ。
 そ・れ・で、『フォルテさん』?
 私たちは今、どこへ向かっているんですか?」

 いつも飄々としているから、素直に感謝をのべるには多少の抵抗を覚えるが。
 結局のところ、ケイナはフォルテを信頼しているのだ。
 眉唾ものの情報であっても、フォルテの進む道を、ケイナは共に歩く。

 付かず、離れず、一定の距離を保って。

「よくぞ聞いてくれましたっ!」

 いかにも『聞かれるのを待っていました』とばかりの笑顔で、フォルテは振りかえる。
 丁度、獣道を抜け、街道に戻れた瞬間だった。

 港街ファナンから伸びるまっすぐな一本道の先に、王都ゼラムはまだ見えない。

「これは俺の古くからのダチに聞いたんだがよ、
 レルムって小さな村には、怪我でも病気でも治しちまう『聖女』がいるらしいんだ」

 「お? これだな」と、フォルテは街道脇に設置された道しるべを叩く。
 ファナンとゼラムを繋ぐ道は、ほぼ一本道といってよいほど整備された立派な道がある。が、国というものはいくつかの街や村があつまってはじめて成るもの。
 当然、その一本道に見える道からも、いくつかの分かれ道がある。
 その一つひとつは本筋に比べれば細く、整備もされていないので王都に向かうのならば間違えるはずもないのだが、別れた先の村に用のあるものには必要不可欠のもの。
 そういった旅人のための道しるべに、小さく書かれた『レルム』の名をフォルテは指差した。

「じゃあ、今はその『レルムの村』に向かっているのね?」

「それがよ、なんでもその村の聖女様は……
 無償じゃねえらしいんだな。これが」

 『聖女』という名前からは、当然のように『無償奉仕』『慈善事業』とのイメージが付きまとうが。
 どうやらレルムの村の『聖女』は違うらしい。
 『寄付』の名のもとに結構な額を要求してくると聞いた。

 それだけの額を要求しても、詐欺だというトラブルは起きていない。
 逆に『無償奉仕』と聞くよりは、遥かにその力の信憑性が出てくるともいえる。

「知ってのとおり、俺たちは昨日の騒ぎで文無しだ。
 つまり、宿を取るための1バームも残っていない」

「威張れることじゃないでしょ」

 ケイナの冷たい相槌にもめげず、フォルテは続けた。

「そこで、だ。一旦王都に入って金を作る必要が――――――
 どうした、ケイナ?」

 言葉を区切り、フォルテは相棒を見つめる。
 ついさっきまでフォルテに相槌を返していたケイナは、探るように首を傾げて、それから空を見上げた。
 しばらくその姿勢で静止。
 それから一言だけ、答えを返す。

「今なにか……落雷みたいな音が聞こえた気がしたんだけど……」

 変ねぇ? っと首を傾げるケイナに習って、フォルテも耳を澄ませる。

 人影の見えない街道で、聞こえてくるものは、草や木の葉を揺らす風の音。
 草の中を進む小動物の軽い足音。

「気のせいじゃないのか?」

 腰に手を当てて、空を見上げる。

 雲一つない一面の青空。
 当然、地平線の彼方まで見渡しても、雷雲など見えない。

「変ねぇ……」

 フォルテと同じものを見上げているのだから、ケイナも納得するしかないのだが、やはりすっきりしないのだろう。眉を寄せている。

「おまえの地獄耳も、ついに無い音まで拾うようになったか」

「なんですってぇ〜」

 にっと口の端を上げて軽口を叩く相棒に、ケイナは容赦なく拳を振るう。
 フォルテのような大男であれば、ケイナのような華奢な女性の一撃など効かない。それでも大げさに殴られた振りをして、フォルテがよろけて見せるのはいつものことである――――――が、今日は違った。

 ふらりとフォルテがよろけた瞬間。
 聞こえて来たのは予想外の音。

 音の正体を探り、ケイナとフォルテは同時に『ソレ』を見つけた。

「「げっ!?」」

 フォルテの足元に転がっていたのは、根元から折れた道しるべ。
 王都やファナンへの頑丈な道しるべとは違う。
 街道からはずれた小さな村へ行くための、簡素な木製。

「ど、どうすんのよ〜」

 ケイナはその場に縫い付けられたように、動けなくなってしまった。
 フォルテと組んでからは『そんな事をいっている場合ではない』っという場面にはいつも出会っているが……ケイナは基本的に真面目で律儀な性格をしている。公共の物を破壊して素知らぬ顔はできない。それに、今回は指摘されるまでもなく、自分に原因があるのだから、なおさらだ。

 どうも、近頃の自分はおかしい。

 そう思う。
 妙にイライラしていたり、些細なことで怒ったり……喜んだり。
 原因は、なんとなくわかっているのだが――――――

「ま、まかせろ。
 こんなもんはだな、ここをこうして……」

 己の破壊行為に、その場から動けずにいるケイナ。彼女から破壊された道しるべを隠すように立ち、フォルテは道しるべを拾い上げた。
 王都への大きな文字と、小さな村への文字と距離の書かれた広い板に、それを支える2本の柱。
 幸いなことに、折れたのは柱部分であって、道しるべとしての機能は損なわれていない。
 これならば、同じように地面に立てておけば問題はないはずた。

「そぉっれっ!」

 掛け声と共に、フォルテは道しるべを地面に突き立てる。


――――――ばきっ


 乾いた音をたてて、板から柱が外れた。
 むしろ、今度は板側の根元から折れたといったほうが正しい。

「……どうすんのよ、このお馬鹿っ!」

 情け容赦のないケイナの拳の洗礼を受けながら、『さすがに数が当たれば痛いな』などと、のん気にフォルテは地面とキスをした。

 どうかしている。

 適当に直して、さっさと立ち去ろうと思っていたのは事実だったが、余所ごとを考えていたのも事実。
 そちらに気を取られ、力加減を間違えてしまった。

 最近の相棒はおかしい。妙に気が立っている。

 森の中で拾った直後は、いつも何かに怯えるようにおどおどとしていた。
 行動も共にしているうちに信用してくれたのか、笑顔を見せるようになった。
 最近では遠慮無く拳を振るってくる。

 気ままに一人旅を続けるのも楽しかった。
 が、ケイナと共にトラブルに巻き込まれながら旅をするのも楽しい。
 『記憶を取り戻すため』という目的のある旅。


 それが叶った時――――――彼女がこれまでのように、隣を歩いてくれるのかは謎だったが。