夕食を済ませた軽いまどろみの時間。
ネスティ・バスクは青の派閥において、自分に割り当てられた狭い部屋で荷造りをしていた。
ベッドと机の他には、派閥の図書室から借り出してきた何冊かの本が置かれているだけの、殺風景な部屋。
その部屋の片隅に置かれた机の上に日用品と携帯食糧、薬や地図など……おおよそ旅に必要な最低限のものが並べられている。
ネスティは並べられた品物を一つ一つ確認し、手際良くカバンに詰めていく。
――――――コンコン。
軽いノックのあと、部屋の主の返事も聞かずに。1人の少女が顔を覗かせた。
紫がかった黒髪を、肩につかない位置で揃えた少女。
髪と同じ色の黒い瞳とおでこが印象に残る――――――ネスティにとっては妹弟子にあたる存在。
「えへへ、ネス〜」
にこにこと笑っているのは愛想笑い。
とかく、彼女はネスティの前でよく笑う。
楽しい時、嬉しい時はもちろんのこと。
寂しい時や悲しい時、苦しい時ですらも笑ってそれを乗り切ろうとする。
まるでそうすることで……ネスティが普段笑わない分まで笑っているかのように。
「こんな時間に、なんの用だ?」
いつも通りの少女に、どうせ大した用事ではないだろう、とたかを括ってネスティは荷造りを続ける。が、さすがに次の瞬間には固まった。
「一緒に寝てもいい?」
ちゃっと持参した枕をネスティに見せつつ、にっこりと笑う少女。
そのあっけらかんとした笑顔に、ネスティは頭痛を覚えた。
歳より幼くは見えるが、少女は今年18歳になった。
加えて、ネスティは19歳。
いくら幼いころより一緒にいたからといって――――――年頃の男女が一緒に寝るなどと、問題がありすぎる。
「キミは馬鹿か?
トリス、キミは今年でいくつになった?
もう誰かと一緒に寝るような年齢じゃないことぐらい……わかっているんだろうな?」
ネスティは荷造りの手を休め、トリスに振りかえる。
そのまま腰に手を当てて睨みつければ、
「え〜昔はよく一緒に寝てたじゃん。ネスのケチ〜」
っと頬を膨れさせて拗ねるしまつ。
年齢よりも幼く見えるのは、顔立ちのせいばかりではない。
こういった仕草の一つひとつが、彼女を幼く見せるのだ。
だからこそ、ネスティもトリスを放っておけない。
頼りなくあちこちふらふらと歩いているようで、つい口を挟んでしまう。
それが彼女の自立を妨げている自覚はあるのだが……だからといって本人を目の前にすれば、誰だって同じことをするはずだ。
手を差し出して、守り、導きたくなってしまう。
「……ケチじゃない」
姿勢をただし、作業を再開するネスティ。
その背中に、トリスの追撃が加わった。
「ケチケチ〜」
軽い足音を立てて室内に入ってきたトリスが、ネスティの背後に立つ。
まるで幼い頃から変わらないトリスの態度に、ネスティは深くため息をついた。
「……トリス」
「むぅ〜」
感情を抑えたネスティの声に静かに諭され、多少の不満はあるがトリスは引く気配を見せた。
「大体、一緒に寝ていた頃なんて……どれぐらい前だと思うんだ?」
ネスティは少しだけ遠くを見るように、視線をさまよわせる。
たしか、トリスが毎日のように「一緒に寝よう」と枕をもってこの部屋を訪れて来たのは……派閥に来て2・3年の、本当に幼い頃だけだった。派閥と新しい生活になれた頃にはその回数も減って……ここ5年ぐらいは一度もなかったはずだ。
なのに何故今更……
くいくい――――――っと服の裾を引っ張られた。
嫌な予感。
しかし、その考えが脳から身体に指令を出す前に――――――ネスティは振りかえってしまった。
「お願い、お兄ちゃんっ!」
ぽんっと手を合わせてから、片目だけを開いてトリスがネスティを見上げる。
何故か。
本当に、何故か。
笑顔は当然、慣れている。
普段笑ってばかりいたので泣き顔自体珍しいはずだったが、泣き落としも平気だった。
それなのに、何故か。
この『お兄ちゃん』攻撃には勝てたためしがない。
「……くっ」
悔しげに目を反らした兄弟子に、トリスはにんまりと勝利を確信した。
「だいたい、明日でここ出てくんだから、
しばらく逢えなくなる妹弟子に対して、サービスってものが足りないのよ。
ネスお兄ちゃん?」
今日、トリスは正式に見習い召喚師を卒業した。
そして早速降った『ありがたい任務』が、任務の名を借りた『追放』だった。
元々派閥は好きでいた場所ではないし、直接の師であるラウル師範や、兄弟子であるネスティ以外とは、あまり友好的とはいえない人間関係を築いて来たトリス。
『青の派閥』自体には、なんの未練もない。
これで清々する、と思えば嬉しいぐらいだ。
それなのに、しばらく逢えなくなるというのに……この兄弟子の態度はどうだろう。
まるでいつもと違わない。
少し冷たすぎやしないか? とトリスは頬を膨らませる。
「……ところで、何してたの?」
話している間も作業を止めない兄弟子を不思議に思い、トリスはネスティの手元を覗きこんだ。
そこに広げられているのは着替えや薬などの日用品……
「……これって、旅仕度だよね。
ネス、どっか旅行にでもいくの?」
きょとんっと首を傾げる。
今ごろ旅仕度に気がついたトリスに、ネスはさすがに呆れた。
「キミは馬鹿か?
なぜ僕がわざわざ旅行になど、行かなければならないんだ」
暇があれば……時には脱走してでも、派閥の外に出かけているトリス。
対して兄弟子であるネスティは、暇があれば図書室か自室で本を読む。ラウル師範にくっついて召喚術の復習をしたり、勉強の遅れているトリスの見張りをしたり……と、とにかく派閥の外に出ない生活をしている。たまに外に出たとしても、それは脱走したトリスを探すためぐらいで、外気に触れて、気分転換。などと言う事は、少しも考えないのだろう。
とにかく、トリスの知る限り。
兄弟子は間違いなく『超』のつくインドア派だった。
「僕はキミの見聞の旅の、監視役だ」
「ええっ!? ネスも来るの?」
目に見えて嫌そうな顔をするトリス。
そのあからさまな態度には、さすがのネスティも閉口した。
それから気がつく。
トリスの頬がぴくぴくと震えていることに。
「でも、ネスが来てくれるなら嬉しいかも。
本当は少し、不安だったから」
嬉しさを堪えきれずに、トリスがにんまりと笑う。
トリスにとってネスティは、口うるさい兄弟子。
でもそれ以上に、大好きな兄と慕う存在で――――――物知りなので、楽もできる。
「言っておくが、僕はあくまで『監視役』だからな。
キミに楽をさせるつもりはないぞ」
「ええっ!?」
「『ええっ!?』じゃないだろう。
当たり前のことだ。これはキミのための旅なんだからな」
『楽ができるかも』と思った矢先に否定され、トリスは再び頬を膨らませた。
そこに新たな来客が、部屋のドアをノックした。
「ご主人様〜」
萌ゆる草原の緑を連想させる髪が、扉の隙間からこちらを覗いている。
昼間トリスが召喚した護衛獣――――――幻獣界の少年が、主人を連れ戻しに来たのだろうか。
少しだけ期待を込めてドアを見つめるが、なかなか護衛獣は姿を見せない。
気弱な性質には見えたが、昼間あった人間にすらしりごみをするとなると……あまり護衛獣としては期待できないかもしれない。
しばらくドアの前で物音がしたと思うと、お行儀悪くもドアの隙間に足を入れて、少年はそのままドアを空けた。
「ダメですよ、ご主人様。ちゃんと毛布も持っていかないと」
毛布を持ったために両手のふさがったメトラルの少年は、にこにこと笑っている。
どうやら妹弟子は、本当に泊まっていくらしい。
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