「あ、そうだ」

 しばらく俯いたまま話しを変えようと話題を探していたが、ぱっと顔をあげる。
 先ほどまでとは打って変わった、晴れやかな表情。
 よほど良い話題を思いついたのだろうか。

「今日はイオスさんに用事があったんです」

 言うが早いか、はごそごそと紺色のポケットを漁る。
 それからすぐに――――――緑青の石を取り出した。

「すみません。
 形はなんとか直せたんですけど……ここのところの傷だけがどうしても消えなくて」

「欠片、足りなかったみたいです」っと差し出された緑青の石。
 いつかの訓練中に、誤ってが壊してしまった、イオスの勾玉。

 床に転がり四散した石にどのような手段を用いたのか、石は見事なまでに元の形をとっていた。

 滑らかな曲線を描く表を見、促されるままに裏返す。
 細く伸びる、一筋の傷跡。
 その傷は、が石を砕く前からついていた物。

 祖国を裏切り、デグレアに――――――ルヴァイドに降った時に、つけられた物。

 傷の残った勾玉を受け取り、イオスは強く握り締めた。

「いや、いいんだ。このままで」

 目を伏せて口元に微笑みを浮かべたイオスは、少しだけ誇らしげにも見える。

 傷が残っていてもいいとは、どういうことか? には、当然のようにわからない。
 小さく首を傾げるに、イオスが苦笑をもらす。

「この傷は、僕にとって勲章のようなものだから」

 握り締めた手を開く。
 そのままの目の前に勾玉をかざし、傷を見せる。

「帝国軍としてこの国に攻め入った時に……ルヴァイド様につけられたものだ」

 だから、イオスにとっては大切な傷跡。
 あまり多くは語らないイオスの説明に、は気がついた。
 いや、『思い出した』というほうが正しい。

 むっと眉をしかめてイオスを見つめる。

「それって……その勾玉。
 やっぱり大切な物だった、ってことじゃないですか!?」

 あの時イオスは『気に入ってはいたが、大切な物じゃない』と言っていた。
 が、それは勾玉を砕いてしまったことで落ちこんだ自分への思いやり。
 が気にしないように、との優しい気持ちのこもった嘘。

「まあ、ちゃんと直してくれたことだし」

 嘘がばれたというのに、しれっと流そうとするイオスに、は眉を寄せた。

「誤魔化さないで下さい〜っ!」

 無事修復を行えたことで、薄くなっていたの中の罪悪感が蘇る。
 珍しく強気にも見える表情で怒るに、イオスは話題を変えた。

 むしろ、彼にとっては本題になるのだが。

「せっかく直してくれたのに……申し訳無いけど。
 キミの勾玉と、交換してくれるかい?」

「え? でも……その勾玉はイオスさんにとって、大切な物なんでしょう?」

 たった今、目の前で暴露した事実であるはずなのに。

「だから、かな」

 黒の旅団には、聖王国へ軍事侵攻の命が下されている。
 一応は極秘裏に目標を捕獲する、という任務ではあるが……それが軍事侵攻であることに変わりは無い。いつ戦争になるかもわからない、危険な場所に赴くのだ。

 本当に大切なものは――――――

「大切な物だから、安全で……なおかつ大切に持ってくれていそうなキミに、
 預かって欲しいんだ」

 先ほどまでの穏やかな苦笑が姿を消す。
 少しだけ寂しそうなイオスの微笑みに、遅れながらは気がついた。

 イオスの服装が、いつもと違う。

 普段の軍服とも、訓練用に身につける簡易の鎧とも違う。
 厚手のロングコートと、ルヴァイドの鎧と似た突起のついた肩当が特徴的な軽鎧。
 それから、姿を隠すかのような外套。

 イオスのその服装は、旅装束とも言えた。

 は旅団員に混ざって武術の訓練を受けていたから忘れ勝ちだが、イオスは軍人だ。
 そして、その姿からが連想できるのは――――――遠征。

「何しろ『大切な物』だからね、キミにとっても大切なものと交換で。
 ……人質ならぬ、物質ってやつかな?」

 イオスの様子が少しおかしい。
 妙に砕けた喋り方をしているような――――――無理をしているような。

 それに気がついたので、も笑顔を作る。
 イオスにつられたような……少し寂しげな微笑みではあったけど。

「ちゃんと、返してくださいね?」

 ポケットをあさり、イオスのものより少しだけ濃い緑青の勾玉を取り出す。

「必ず返しに帰ってくるよ」

 自分の石をに手渡し、の石を受け取る。
 イオスは受け取った石に一度だけ口付けて――――――胸ポケットに石をしまった。






「イオス、いくぞ」

「はい、ルヴァイド様」

 少し離れた扉から、黒い鎧に身を包んだルヴァイドが近付いて来る。
 呼ばれたイオスは出立の準備のため、ルヴァイドと2・3言葉を交わしてすぐに去っていく。
 イオスを見送ってから、ルヴァイドはに視線を移した。

 複雑そうな表情。

 相手が軍人であることはわかっていたはずなのに、実際に軍事侵攻の為に遠征に出るのを見送るのには違和感を覚えるのだろう。

 の暮らしていた国に、戦争はない。
 銃や剣を持っているだけでも捕まってしまうという、ある意味平和な国。
 『侵略行為』事態が、には想像もつかないのだろう。

 濃い茶の瞳が、不安に揺れている。

「『旅』のご無事を祈っています」

 『遠征』にでる軍人に対し、どういったものか……と逡巡して、はやっと一言だけ告げた。

「おまえもな。マグナともども、無理をするな」

 そっと上げられたルヴァイドの手。
 いつものように頭に添えられるのかと思ったら……違った。
 ルヴァイドの手は、の前髪を撫でる。

 そこは、その場所は――――――初めて召喚術が成功した日、美貌の悪魔に呪いを受けた場所。

 どんな効力があるのかは、いまだもって謎。
 解呪の方法をレイムが探してはくれているが、方法が見つかったとしても、それはマグナの妹を無事にみつけ、デグレアの聖王国に対する軍事侵攻が成功した後のことになるだろう。
 となれば、しばらくはその『呪い』とやらと付き合うことになる。

 マグナが少し歳の離れた兄のように慕う人物は、それを心配してくれていた。

「はい」

 儚い微笑みながらも、しっかりとした返事を返すの頭をなで、ルヴァイドもイオスの去った方向に歩き出す。

 その背中が、なんとなく小さく。
 そして辛そうにも見えて。

 はイオスの石を祈るように両手で包んだ。

「我ガ将ハ、必ズ守ル」

 安心させてくれているらしい、優しさを持った機械兵士にもは微笑みを向ける。

「ゼルフィルドさんも、無事に帰ってくれなきゃ、ダメですよ」

「……心得タ」

 短く返事を返し、遅れてルヴァイドのあとに続くゼルフィルド。

 遠ざかる2人の背中を、は見えなくなるまで見送った。