マグナを伴い、レイムが執務室に入る。
 護衛獣として新たに召喚した妖狐の少女は、もう1人の少女に預けたばかり。
 ドアを閉めてマグナと向き合うと、レイムはまず召喚術の成功を誉めた。

「とりあえず、今回の召喚成功で、あなたを一人前と認めます」

 元々マグナの実力を考えれば、できて当然の試験内容。
 前回のように、失敗を起こす方がどうかしているのだが。
 それでも誉められて嬉しいのか、マグナは素直に照れ笑いを浮かべた。

「これで……あなたの旅立ちを止める権利はなくなったわけですが……」

 マグナの出立に際し、懸念事項が数点。

「それなんだけどさ。俺、すぐには旅立たないよ」

 マグナの意外な言葉に、レイムは疑問を感じる。

「あんなに旅立ちたがっていたのに、ですか?」

 実際、『妹のトリスが生きている』と知った時のマグナの行動は早かった。
 聞いたとたんに剣を持ち、そのまま部屋を飛び出したのだ。
 ろくな準備をせずに旅立とうとする息子を止めるのに、どれだけ苦労したことか。
 顧問召喚師直属の者をけしかけても返り討ちにあい、昔脱走を繰り返した経緯持ちの俊足で城や街の警備をくぐりぬけ、街道に出ようとしたところを丁度通りかかったルヴァイドに伸され、無事保護されたのはレイムの記憶に新しい。

 それほどまでに逢いたかった妹であるのに、今は何故……少しの時間を待つ余裕があるのか。

はまだ一度も召喚術を成功させてないし、
 ハサハにも一応……こっちの世界のこと教えないと」

 迷子になった時とか困るだろう? っとマグナは苦笑いを浮かべた。
 ちゃんと他2人の少女のことも考えているらしいマグナに、レイムは内心で微笑む。

 実力の上で、あの2人に『護衛獣』の役割はまったく期待していない。

 しかし、このように……自分よりも弱いもの、それも年下の女の子をマグナにつけておけば……妹に姿を重ねるのだろう。普段の周りへの無頓着さはどこへやら、マグナは相手に合わせることを考える。
 結果、少女2人にあわせての旅路。

 マグナが無茶をすることはできない。

「だから、もうしばらく……ここにいるよ」

 本当はあの2人の少女を気遣うように、と釘をさしておくつもりだったのだが……その必要はなかったようだ。
 『ただの馬鹿じゃなかった』っと安心したのは黙っておく。

「……そうですか」

 少しだけ息子の成長を嬉しく思い、レイムは柔らかく微笑む。

「それで、話って?」

 護衛獣というよりは、家族の1人。
 そんな扱いのを遠ざけてまで、自分に話しておきたい事とは、いったい何なのか。
 なんだか和んだ微笑みを浮かべている養父に、マグナは姿勢を正した。

「実は……近々聖王国への軍事侵攻が予定されているんですよ」

 一瞬だけ言いよどみ、次に発せられた養父の言葉に、マグナは眉を寄せる。
 顧問召喚師とはいえ、軍部に属する人間。
 普通に考えれば、軍人ではないマグナに漏らして良い話ではないのだが……それにしても物騒な話である。
 これから向かう国に、近々戦争が起こるとは。

「私も顧問召喚師として、聖王国に潜入しますので……
 もし私を見かけても『養父さん』とは呼ばないで下さい。
 あくまで、『吟遊詩人のレイム』でお願いします」

 それは、マグナとレイムの安全を考えた線引き。
 正体を知られたときに、養父・養子とはいえ家族を巻き込まないために必要なこと。

 実年齢はどうあれ、第三者が見ればかなり若く、また調った顔立ちの養父。
 趣味かどうかは知らないが、時々奏でる竪琴は本物の吟遊詩人にも勝るとも劣らない腕前。
 案外召喚師よりも似合うんじゃないか、などと妙な気分になりつつも、マグナにはやはりそんな姿をした養父の姿は想像できなかった。
 浮世離れした雰囲気の養父が、街の雑踏の中で竪琴を奏でる姿など。

「それから、最悪の事態には……そのまま戦争になると思いますので
 ……トリスさんを見つけたら、すぐにデグレアに連れ帰ることをお勧めします」

「戦争が始まったら、旅どころじゃないしね」

「ええ、折角再会できたのに、戦火に巻き込まれては……ね」

「わかったよ、養父さん。……えっと、それだけ?」

 養父の注意事項に笑顔で了解の意を伝え、他にはないのか? とマグナは続きを催促した。
 息子の裏表のない笑顔に、レイムは逡巡する。

 ――――――伝えるべきか、伝えずにおくべきか。

 他にもまだある。が、言いだすには躊躇がある。
 そんな様子を見せる養父に、マグナは気がついた。

「養父さん?」

「王都へ行くだけならば関係ないと思いますが……一応言っておきますね」

 珍しく、本当に言いにくそうな養父の姿に、マグナは眉を寄せる。
 今回のように、レイムが素直に感情を表にだす事は珍しい。
 いつも飄々としていて、大概の感情は微笑みで隠してしまうのに。
 その養父が、言いよどむものとはいったい何なのか。

「聖王国には『アルミネスの森』と呼ばれる森があるのですが……」

「その森がどうかしたの?」

 初めて聞く単語に眉を寄せ、マグナが聞き返す。
 一応『聞く姿勢』ではあるが……本当に記憶に残ってくれるのだろうか。
 レイムはそこが心配だった。
 興味を引くことはどんな些細なことでも覚えているくせに、関心の持てないものは何度教えても覚えないマグナ。
 なんとかと天才は紙一重と言うらしいが……マグナの場合はまさにそれだろう。
 『やる気』というものは恐ろしい。

 しかしこの件に関しては――――――聞き流されては困る。

「理由は言えませんが、その森には決して近付かないでください」

「言えない?」

「ええ、こればかりは……『信用してくれ』としか言えなくて、申し訳ないのですが」

 肝心なことは何も話せない。
 そのくせ『森には近付くな』と言う。

 いつになく理不尽な養父の物言いに、マグナは首を傾げるばかり。
 それでもマグナにとって、レイムは実の父と呼んでも差し障りのない人物で。
 親が無条件に子供を慈しむように、子供は親を無条件に信用する。
 今でこそ思春期を迎え手足が伸び、体つきは青年のそれへと成長しているが……幼い頃、背負われた養父の背中は広かった。妹のトリスを覗けば『家族』と呼べるのは彼ぐらいで、トリスの生存をしるまでは――――――まさしく、養父がたった1人の家族だったのだ。

 その家族が信用できないなどと……思うはずがない。

 それに。
 常ならばマグナが失敗をおかす時は、それと気づいていながらも『これも体験です』とばかりに黙って見守る傾向にある養父。
 その養父がわざわざ『警告』をしているのだ。
 本当の意味で、そこは危険なところなのだろう。

 それこそ、命に関わるような。

 じっとレイムの見据えると、レイムもまたマグナの目を見つめた。

「……わかった。
 どうせトリスのいる王都以外に用はないし。いかないよ」

「ええ、そうして下さい」

 多少寝起きと物覚えが悪くはあるが、素直な良い子に育ってくれた。
 レイムはそう微笑んだ。