いつになく饒舌に―――とは言いがたいが―――口を開く少女の珍しい姿に、ルヴァイドは目を細めた。

「すみません、あの……お墓。
 槍の練習してたら……壊しちゃったみたいで……
 今、直してみたんですけど……」

 と言う少女は、普段彼の目を見て話さない。
 話せない、という方が正しいのかもしれない。
 異性に対して少し苦手意識があるようだったが、身長差があればあるほどそれは強くなる。普段から一緒にいるマグナや顧問召喚師に対しいては、そうでもないが……旅団内では、イオスと目を合わせるのがやっとのようだった。
 当然、ルヴァイドと話しをする時もそれは適用される。

 いつも一定に保たれた距離と、決して合わされることのない視線。

 それが、今日はなかった。

 背筋を延ばし顔をあげ、しっかりとルヴァイドの目を見て、は言葉を発している。

「あ……あうぅ〜」

 元々誠実で礼儀正しい性格の
 そのの少々間の抜けた言葉使いなど、はじめて聞くおまけまでついているのだが。

「すみません……」

 いきなり声をかけられ、驚いて振り向き、自分と身長差のある男性と見ると少し怯えた顔をして。それから手に持った花に気がつき、背にした墓の関係者と気付いたのか、さっと顔色を変えた。
 そうして、今のこの状況になる。

「その墓が壊れているのは元々だ。おまえのせいではない」

 俯きそうになるのを必死で堪えて謝罪の言葉を並べるに、やっと状況を理解したルヴァイドが、間違いを訂正した。

「そう……なんですか?」

 は、心なしかほっと表情を和らげる。
 続いて穏やかな雰囲気を生み出し、そっとルヴァイドに墓の前を譲った。
 ルヴァイドは促されるように墓の前に立ち、その場に片膝をつく。

「この墓は、俺の両親のものだ」

「あなたの……ご両親」

 ルヴァイドが花を供えるのを、は自然な動作で手伝う。その唇から漏れた言葉に、ルヴァイドは気がついた。
 は今、『あなた』といった。
 普段はマグナやイオスにつられ、『ルヴァイドさん』もしくは『ルヴァイド様』と呼んでくるのにもかかわらず。
 どうやらは、今目の前にいる男が『黒騎士ルヴァイド』である、ということに気がついてはいないらしい。
 そう考えれば、のこの態度も納得がいく。
 確かに、今日の自分は鎧を身に着けてはいない。くわえて、いつも俯いているためまともに目を合わせた事もないのならば、がルヴァイドの顔を覚えていないのも仕方がないことだろう。とれが良いことか、悪いことかと問われれば、当然後者であったが。
 注意を促さなければならない。
 ルヴァイドがそう思い、唇を開くと――――――不意に耳慣れない言葉を聞いた。

「こんな……日の当たらないところじゃ、可哀想ですよ」

 何も知らないからこそ、言える言葉。
 それは判る。
 そうは判っていても、少しだけ心地よい言葉だった。
 両親に対して『可哀想』という同情の言葉を聞いたのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。






「……反逆者の墓だ。
 街外れとはいえ、墓をたてることを許されただけでも……良い方だろう」

 『反逆者』という紫紺の髪をした男性の言葉に、はすぐに後悔した。
 知らぬ事とはいえ、彼に対し、すごく無神経なことを言ってしまった。
 何故こんな街外れの、それも日のあたらない場所に、まるで隠れるように墓が立っているのか。
 さきほど疑問に思ったことだが、そういった経緯があったのならばわかる。

 彼の両親の墓は『壊れて』いるのではない。
 『壊されて』いるのだ。

 旧王国の民の愛国心は、非常に強い。
 それは『反逆者』と呼ばれるものに対しても変わらない。
 死してなお、魂の安息すらも否定されるほどに。

「隣の墓は、俺の母だ。
 母の墓も、このような外れにしかたてることを許されなかった」

 そっと墓石を撫でる男性の目は優しい。
 低く落ちつきのある声には、は少しだけ聞き覚えがある気がした。

「母は儚い女性だった。
 いや、今思えば気丈な女性だったのかもしれん。
 父が死んだ後、いつも俺を守り迫害の矢面にたっていた。
 俺が一人前になり、やっと母を守ることができる、そう思えるようになった頃には……」

 そこで言葉を区切り、男は苦笑する。
 それから腰をあげ、墓に向けていたのと変わらない、優しい眼差しをに向けた。
 
「何故おまえに、こんな話しをしているのだろうな」

 いつの間にか、視線から逃げるように俯いているの頭に手が置かれた。
 自己嫌悪。無神経な一言で、きっと相手を傷つけた。
 そんな気持ちでいっぱいなのだろう。

 勝手に話を始めたのは男の方で、自身にはまったく関係のない話なのだが……そんな風に割り切ることも出来ない。
 つくづく、損な性格をしている思う。






「顔をあげろ」

 頭上から聞こえた言葉に、ぴくりとの肩が揺れる。

「俯いてばかりいるから、俺が誰かもわからない」

 いつも俯いているから、鎧を着ていないだけで相手が誰かもわからない。
 しかしはこの言葉に、目の前の男が自分の知る者だと気付いたのだろう。
 はゆっくりと顔をあげ、ルヴァイドを見上げた。

「俯いていても、何もはじまらない。
 前を見ろ。空を見ろ。
 おまえに信念があるのならば、胸を張って歩けるはずだ」

 母とともに迫害を受けた少年期。
 父の『反逆』という罪を信じもした。
 帰ってこなかった戦友を懐かしむ父の思い出に、その戦友すらも恨んだことがある。
 それでも最後には、父を信じようと思った。
 何よりも母が愛した男で、獅子将軍と謳われるような戦友がいた。
 そして、今の『ルヴァイド』という人格を育てた父だ。

 それが信じる力になった。
 一族の汚名を雪ぐため、前を見据えて歩く勇気にもなった。

「主人を守りたいのだろう?」

 実力的に見れば、の主人に護衛など必要はない。
 なにしろと同じような経緯で、マグナに剣術を仕込んだルヴァイド自身だ。その実力は、嫌と言うほどに知っている。

「……はい」

「ならばもう、俯くな」

 俯いてばかりいては、何も見えない。
 マグナを守るというのならば、しっかりと前を見て、向かってくる者がマグナにとって敵か味方かも見極めなければならない。
 当然、の仕事は護衛だけではない。
 主人の人間関係を把握しておくのも重要な仕事といえる。
 今回のように、目の前にいる相手の顔すら覚えていないのは大問題だ。

 一言ひとことを大切に受けとめるように、はルヴァイドの目を見つめる。
 その真剣な眼差しに、ルヴァイドの唇には自然と微笑みが浮かんだ。
 穏やかな笑みを浮かべたルヴァイドに、は一瞬だけ瞬いた後、つられたように微笑む。
 それは、花が綻ぶような微笑みだった。

「はいっ!」

 元気よく答えるに、ルヴァイドは目を細める。

 の笑顔を、初めて見た。

 いや、もう少し正確に言うのなら、正面から彼女の顔を見つめたこと自体はじめてかもしれない。
 いつも俯いているに、自分から積極的に関わりを持つ気はなかった。
 ただ顧問召喚師にがつれてきたので、最低限の相手をした。
 望まれるままに、武術の手ほどきをし――――――それだけだ。
 それだけの関係であったから、個人としての特徴を覚えてはいても、『容姿』としての認識はないに等しい。

 微笑みを受けて、微笑み返すの頬に手を添えると、濃い茶色の瞳が不思議そうに見開かれた。
 白い肌と漆黒の髪に彩られた、豊穣なる大地の彩りを宿した瞳。

 その瞳に、いつもの怯えはない。

「おまえの瞳は……こんな色をしていたのだな」