「アカシック・トーメント!」

 口周りを血で赤く染めたライガを前に、イオンは床に描かれた譜陣に拳を降ろす。
 直後、発動したダアト式譜術の光。
 通路を塞いでいたライガ2匹は、一瞬にして焼き消えた。

「イオン君!」

 荒い呼吸を整えながらも立ち上がろうとするイオンは、ゆらりと姿勢を崩す。イオンが床に倒れる前に、は慌てて床と彼の間に入り、その体重を支えた。可愛い顔のわりに重い……等とは云っていられない。イオンを連れ去ることが目的の今回の襲撃。ライガはイオン1人であれば牙を向かないであろう。が、部外者であるには牙を向ける。当然、戦う力のないを護るために、イオンはダアト式譜術を使わざるを得なくなった。

「まだ……大丈夫です。
 僕にだって、を護るぐらいの力は……」

 肩を大きく揺らしながら呼吸を整えるイオンに、は通路の先を睨んだ。
 イオンをつれてセントビナーへ逃げるため、アニスがジェイドと別行動をとり、先んじてこちらに向かっているはずなのだ。
 それなのに、アニスの姿はまだ見えない。

 ――――――ドスっ。

 背後から聞こえた、何か柔らかな―――それも、大きな物が ―――床を叩く音に、とイオンは首だけを背後に向けた。

 パキバキ――――――と続く不吉な音に、は振り返ったこと事態を後悔する。
 通路を塞いでいたライガは今倒したばかりであったが……新手がいた。
 それも、すでにこと切れている兵士のはらわたを、骨を砕きながら食べている。
 床に広がる血溜まりと、青い軍服が赤黒く染まるさまに、は息を飲む。
 悲鳴は漏れない。
 ただ、足がその場に縫い付けられてしまったように動かなくなってしまった。

「……?」

 捕食されている兵士には申し訳ないが。
 今はアニス達と合流することが先決だ。と、イオンがに走るようにと促すが、の視線は倒れた兵士と、その上に被いかぶさるライガから離れない。
 このままこの場に留まれば、次にライガの餌になるのはだと――――――イオンが口を開こうとする前に、ライガは顔をあげた。

 獲物は殺してしまえば逃げられない。

 だから肉食の魔物は、まず獲物の腹を狙う。
 内臓が一番旨い、という理由もあるが、第一の目的は、『相手逃げられないように』とどめを刺す事だ。獲物がこと切れ―――内臓を喰い尽くせば―――逃げられる心配はない。となれば、しとめた獲物は後回しにし、新たに手に入りそうな場所にいる獲物――――――を狙う。

っ!」

 肩を揺すってみたが、の反応はない。
 ライガからそらされない視線に、イオンは苛立つ。
 ダアト式譜術を使う前の自分であったのなら、を引きずってでも逃げる体力があったのだが。
 今はに支えられて立っているのがやっとだ。

 このままでは、は確実に次の獲物となる。

っ!!」

「ちょぉ〜とは、あたしのことも呼んでくださいよぉ〜!
 イ・オ・ン・様・!?」

 不意に聞こえた少女の声。
 少しだけ剣呑な響きをもった声に、イオンが振り返るのと、イオンの眼前をオレンジ色の塊が通り過ぎたのは同時だった。






「……アニス?」

 ゆっくりと瞬きながら、は眼前に落ちるトクナガを見つめた。
 否。
 『降り立つ』といった方が正しいかもしれない。
 『投げる』という乱暴な方法をもって、自分達の前に現れたトクナガの姿は、いつものソレとは違った。
 普段のアニスの首から背中にぶら下がっている大きさではなく、通路の天井にまで届きそうな巨体。
 どうやら、『アニスの音素振動数に反応して動く』という、には理解できない仕掛けの人形は、アニスが近くに居さえすれば、彼女が乗っていなくとも動くらしい。ひらり、と自分達を護るように現れたトクナガは、流れるように足を運び、ライガに向けて重い一撃を繰り出した。

「あたしってば、天才!
 大当たり〜っ!!」

 トクナガがライガを殴り飛ばしたのを確認すると、イオンの隣に走り寄ったアニスが得意そうに胸をはる。玉の輿志望のアニスがアピールすべき相手はいないはずであったが、可愛らしくポーズを決めるアニスに、トクナガが連動して同じポーズを取った。

「よく来てくれました、アニス」

「えへへ〜。
 そんなの、当たり前ですよ」

 イオンに褒められ、得意満面の笑顔を浮かべるアニス。その可愛らしい笑顔とは対照的に、アニスの手を離れているはずのトクナガは驚異的な力を発揮していた。

「あ……」

 アニスの到着に、ようやく我にかえったは、一瞬だけアニスに視線を向ける。が、アニスよりもやはり目の前の驚異であるライガが気になった。襲いくるライガを払い除けるトクナガを見守り、あることに気がついた。

「げげっ!?」

「あれは……」

 の小さな声に気がつき、ライガとトクナガに視線を戻したイオンとアニスもそれに気がつく。
 の見つめる先――――――トクナガの白いリュックの隙間から、何か小さな封筒がこぼれ落ちた。

「ピオニー陛下の親書ですね」

「きゃわ〜ん!
 イオン様、ごめんなさい〜」

 どこかのんきにも聞こえるイオンの声音に、アニスが自分の失態を可愛らしく詫びた。すぐにトクナガの元に向かい、白い封筒を拾いあげると、リュックに手をのばし、しっぽ(なのだろう、おそらく)に足をかけ、背中へと飛び乗った。

「イオン様は様と一緒に、安全そうな所に隠れててください」

 あ、奥には戻らないでくださいね。とトクナガを操りながら続ける。

「ラルゴが来てましたから」

「ラルゴが?」

 アニスが搭乗したことにより、トクナガが機敏な動きを見せる。遠隔操作もできるらしいが、やはり直接乗っている方が動きはいい。搭乗前はライガを払うのがやっと、といった風体であったが、アニスが操るトクナガは通路に立ち止まっていつ間に増えた新手を含めても、ライガを後退させることに成功していた。

「今、大佐が引き付けてくれています。
 イオン様達はあたしと一緒に、先に……きゃうっ!?」

 ライガを後退させ、少しは楽になった――――――と、アニスが拾った親書を懐にしまおうとした所を、横合いから一匹のライガが現れる。アニスはとっさに背後に下がり、ライガの爪からは逃れられたが、バランスを崩してし、トクナガから転落した。

「「アニ――――――

 転落したアニスに、イオンとが声をそろえて駆け寄ろうとする。
 駆け寄ろうとしたが――――――むくりっと体を起こしたアニスに、は足を止め、イオンは片頬を引きつらせた。

「んっっっっっっっっっっっっもうっ! ウザっ!!」

 ぎゅむっ! とまるで蹴るような勢いでトクナガのしっぽに足をかけ、アニスは先程と同じように背中に飛び乗る。それから油断なく通路を見渡し―――少々、トクナガを操るには狭い気がした―――最後に最前列に立つライガを見下ろした。

「あ、アニス……?」

 は小さな声で呼び掛けてみるが、アニスには聞こえなかったらしい。
 向けられた小さな背中が、今は物凄い威圧感を放っていた。

、今はアニスに任せましょう」

 かすかに首を振るイオンに、は瞬く。
 条件が限られているので、すっかり忘れていたが……アニスは戦闘の時、ルークとジェイドがパーティーにいないと言葉が汚くなる。
 ソレが出てきたのだろう。

 アニスは今、どんな形相をしているのだろうか――――――?

 けっしてこちらに顔を向けないことが、逆にありがたくも感じた。

「てめぇーら、ぜーいんオモテに出やがれっ!!」

 言葉よりも先に、トクナガの左ストレートがライガを攫う。
 通路に留まっている間に3匹に増えていたライガであったが、気迫の隠ったトクナガの一撃に、まるで将棋倒しのようにデッキへと続くドアへと打ち付けられた。

「あ、そっちは……」

 デッキにはリグレットがいる。
 はそうアニスに伝えようとしたが、遅かった。
 デッキへとライガを蹴り出したアニスは、狭い通路からやっと解放された事を喜ぶかのように豪快に技を繰り出しはじめている。

「ちょっ……イオン君までっ!」

 くるくると回るオレンジ色の塊を追って、イオンはデッキへと足を進める。それを引き止めようと後を追うが、が追い付くよりも先にイオンはデッキへと出てしまった。

「?」

 イオンを艦内に連れ戻そうと、も続いてデッキに出たが、辺りを見渡してみても、リグレットの姿はない。
 てっきり、デッキの外で待ち構えているものと思っていたが。
 先に艦橋を占拠しにいったのだろうか?
 いかに戦艦といえど、その巨体を操るための艦橋を占拠されてしまえば、手も足もでない。
 が艦橋へと続く梯子を見上げた時、空気の入った袋を強く殴りつけたような音が聞こえた。

「アニスっ!」

 イオンの悲鳴に、は振り返り、トクナガの姿を探す。
 デッキの上に、オレンジ色の巨体は見えない。

「アニスーっ!」

 手摺近くに走り寄り、下を見下ろして叫ぶイオン。
 その声をかき消すように、眼下からアニスの声が聞こえた。

「ヤロー、てめぇーぶっ殺す!」

 2匹のライガを道連れに、タルタロスから転落したアニスの姿が、緑の木々の中へと消える。
 運が良ければ、木々がクッションとなり生きているかもしれない。
 否、アニスは生きていると、は知っている。
 となると……リグレットの姿が見えない今、懸念事項はあと一つ。

 目の前の、アニスがしとめそこなったライガが1匹。

 さて、どうしたものか。と、考えるまでもない。
 イオンを護るためのアニスはいない。
 ここまででダアト式譜術を使いすぎたイオンは、そろそろ限界であろう。

 となれば、とは覚悟を決め、エンゲーブで受け取って以来、一度も抜く事のなかった短剣に手を伸ばし――――――その手を何者かに掴まれた。

「っう!?」

 振り返るよりも早く、背後にたった人物はの手を捻りあげる。
 頬に冷たい金属が押し付けられる感触。
 小さく洩れたの悲鳴に、イオンが振り返るのと、その人物が声を発したのは同時だった。