結局、艦内の案内を再開したアニスに連れられて、ルークはに一度も話かけることなく、艦橋へ続く梯子を昇った。ティアは治療が終わった後もの元に残ろうとしたが、ルークがこれ以上騒ぎを起こさないように、とに頼まれてルークの後を追うように梯子を昇る。
 タルタロス側面に垂直に設置された梯子を、最後尾のティアが無事に昇りきるのを見守ってから、イオンはぽつりと呟いた。

「不思議ですね。
 ルークを見ていると、懐かしい気持ちになります」

「?」

 イオンの言葉に、は首を傾げる。
 そういえば、そんな会話をどこかで聞いた事があった。

 確か、チーグルの森。
 『思い出話』の類であったから、『序盤』ではない。


 おそらくは、イオンが死んだ後――――――


『死』という浮かび上がった記号に、はぶるりと震えた。


 寒いんですか? では、やはり艦内に……」

 慌てて医務室に戻ろうとした後すぐにティアが現れて頬を治療したため、とイオンはいまだデッキにいる。気候事態は暑くも寒くもないが、移動している装甲艦のデッキとなれば、当然のように風が生まれる。が風に吹かれ、寒いと感じてもおかしくはない。
 の手をとり、通路へと誘うイオンを、は逆に手を引いて止めた。


 今ならば、イオンと二人きりだ。


 イオンを殺すアニスは側にいない。

 少し離れた場所でジェイドに報告をしていた青年はすでにどこかへ行っていたし、ジェイドはこちらに関心がないのか、ルークとティアの昇っていった梯子を見上げている。

 いっそ、今。
 この場で、アニスの裏切りを告げてしまおうか?

「ね、イオン君――――――






「?
 はい。なんでしょう?」

 少し震えながらも、通路へ入ろうとしないに首を傾げながら、イオンは穏やかに微笑む。
 無垢な瞳に見つめられ、は一瞬だけ口を閉ざした。

「……預言って、何?」

「?」

 本当に云いたい事は別にあったが。
 はそれには触れず、あえて別の話題をふる。
 『イオンの死について』など、現時点で口にして良いものではないし、イオン自身、そんな話題をふられても困るだろう、と。

 の適当にあげた話題に、イオンは不思議そうに首を傾げた。
 イオンの仕種に、はそんなに変な事を云っただろうか? と首を傾げ……気がつく。
 預言に支配されたオールドラントにおいて、これほど不可解な質問はないだろう。
 あって『当たり前』、護るのが『美徳』、どんな内容であれ逃れようとする事は『悪徳』。
 の口から洩れた疑問は、預言のない世界に育った者からしてみれば当然の疑問であったが、預言のある世界に育った者からしてみれは疑問に思うこと事態が不自然。そういった類の質問だ。

「あ、ほ、ほら。
 わたし、記憶が……?
 だから、預言って、なんだっけかなぁ……って?」

 苦し紛れにが付け加えると、イオンはようやく納得がいった、というように頷く。

「預言とは、オールドラントの人々が信じる、あらゆる人生の指針ですね。
 一般的には『ユリアの預言』の事をそう示して呼びますが、
 ローレライ教団に属する預言士が、レムの日や誕生日に個人個人の預言を詠んだりもします」

「予言、なんだよね?」

「よげん?」

 の呟いた言葉に、イオンは不思議そうに首をかしげる。
 そんなイオンの反応に、逆にが首を傾げた。

「えっと……未来の予測、ってこと。
 自分が何をするか、とかが詠まれているんだよね?」

「『予測』ではありませんよ。
 預言は『絶対』です。
 少なくとも、多くの人はそうだと信じている」

 悲しいことですが、と続けてイオンは目を伏せる。

「ユリアの預言に詠まれていることを護るために――――――」

「護らなきゃ……」

「え?」

 言葉を遮るに、イオンは顔をあげる。
 ぼんやりとしたの漆黒の瞳は、イオンの胸元に飾られた音叉の形をした金の首飾りを見つめていた。

「護らなきゃ成就されない『預言』は、『絶対』じゃない」

 戦争が起こると詠まれていたから、戦争を起こす。
 これでは未来の予測ではなく、未来の設計図だ。
 むしろ『呪い』といっても良いだろう
 誰もが盲信し、繁栄への道だと信じて進んでしまう、中毒性の強い破滅への設計図。

「……どうしてローレライ教団は、死にかかわる預言は詠まないの?」

 一瞬だけ、イオンは驚いたように瞳を見開き、すぐにいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。それから首を傾げ、を見つめる。

「本当に、どうしたんですか?
 突然、そんな話を……」

 という女性はルークとは違う意味で、物を知らない。
 を保護した立場にあるティアの云うことには、『超振動に巻き込まれたショックで、一時的に記憶が混乱している』との事だったが……それだけだろうか? は誰もが知っていて当然の事を知らない。そのくせ、誰も知らないような知識や情報を持っている。
 『預言』に対する受け止めかたも、他者とは明らかに違う。
 『護らなければ成就されない『預言』は、『絶対』じゃない』
 『預言』について説明を求めたは、たった今、イオンにそう答えた。

 そんな考え方をする者を、イオンは知らない。

 預言を護ることを美徳とするオールドラントにおいて、の発言は『禁忌』と云って良い。
 当然、預言を司るローレライ教団……その最高位に立つ『導師』に対して、発して良い言葉ではない。
 は『知識が欠けている』と云える。が、『知恵がない』という訳ではない。
 自分の発言がもつ危険性に、気がついていないはずはないのだが――――――

「突然じゃないよ。
 ずっと前から思っていたの。
 ただ、ルークがいると……話が脱線しそうだから、聞かなかっただけ」

 他人の『説明する気を削ぐ』という傍迷惑な特技を持つルークが側にいては、聞きたい事柄があっても、それは無為に終わることもある。
 何気なさを装った質問をしたいのだから、そう何度も同じことは聞けない。
 一度きりの勝負とも云えた。
 幸い、アニスは『公爵』という名前に浮かれ、ルークにべったりとくっついて艦橋へと続く梯子を昇った。
 イオンに下手な質問をしたところで、彼女に邪魔をされることはない。
 アニスがイオンの側を離れているかわりのように、ジェイドが近くにいるが、彼は邪魔はしないだろう。の質問は、ジェイドにとって善くも悪くも興味をそそる内容ではない。

 はアニスに案内され、ルークとティアが登っていった梯子を見上げてから、視線をイオンに戻した。

「それが聞きたくて、ティアをルークのところに『追い払った』んですか?」

「それもあるけど……」

 それだけではない。
 あのタルタロスに乗艦できるのだ、と最初こそ喜びはしたが……ルークとティアを連行する兵士。すれ違うたびにジェイドに敬礼をする兵士。案内された部屋に立つ、取次ぎの兵士。艦橋に続く梯子を登った先にも一人兵士がいるはずだ。

 彼等全てが殺されることを、は知っている。

『名もなき兵士』である彼等の顔を見たくはない。

「明日事故で死ぬって、預言でわかっていたら……
 今日のうちに『それを回避するために』準備をすることができると思う。
 死の預言を詠まない、告げないっていうのは、その人の生きる可能性に蓋をするってことじゃないの?」

「避けられる事であれば、本当は告げた方が良いのでしょうね」

 困ったように眉をよせ、イオンが答えた。
 その意外な答えに、今度はが首をかしげる。
 てっきり言葉を濁すか、口を噤むとばかり思っていたのに。

「でも、その預言が避けられないものだったら、どうしますか?
 辻馬車の事故にあうのなら、辻馬車に乗らなければいい。
 山で土砂崩れにあうのなら、山へ行かなければいい。
 でも、辻馬車に乗らなければ別の町や村には行けないし、山を越えなければいけない何か大切な用事があるのかもしれません。
 そんな時、その行動を起こしたら自分は死ぬと、知っていたいですか?」

「天災とかで避けられないのなら、知っていたくはない、かな?」

「そう云うことです」

 納得したらしい言葉を返すに、イオンはホッと息を吐く。

「……でも」

 は知っている。
 オールドラントにならって呼ぶのなら『預言』。
 の視点で云うのなら『筋書き』。
 タルタロスの乗員約140名は、ルーク達とイオンを残し、近く殺される。

「『知っていて黙っている』ことは、わたしが『その誰か』の『命を奪う』ことにならない?
 避けられるか、避けられないのかはわからないけど」

 例えば、今ここで、イオンにアニスの裏切りを告げれば、イオンはアニスを導師守護役からはずすかもしれない。そうなれば、アニスからルーク達の行動がモースに洩れることは防げるし、イオンが殺されることも避けられるかもしれない。

 けれど、それをしてしまったら……『筋書き』が変わってしまう。
 イオンを生かしたいと願うのなら、アニスを排除するのが一番簡単な方法なはずなのに。

 アニスを排除すれば、『アニスの役割』を演じる者がいなくなってしまう。

「……難しいところですね。
 でも、が殺す事にはならないと思いますよ」

「?」

「なんとなくですが、なら……預言にも、立ち向かいそうな気がします」

 握ったままになったの白い手を見下ろして、イオンは続ける。
「護らなければ成就しない『預言』は、『絶対』じゃない」と云い切ったであれば。
 どんな預言にも、唯々諾々と預言を受け入れるのではなく、立ち向かう。
 そんな気がした。

 ――――――確証はなかったが。






「そんなこと、ないですよ」

 そんなはずはないのだが。
 イオンに全てを見すかされている気がして、は視線を落とす。
 立ち向かうどころか、自分は今まさに乗員140名を見殺しにしようとしている。本当に立ち向かう勇気があるのなら、せめてジェイドに警戒するよう警告ぐらいしても良いものを。
 タルタロスが六神将に拿捕され、自分達は歩いてセントビナーへと向かう。
 その『筋書き』が書き換えられる。
 それすらも、すでに恐ろしい。

 結局、自身も恐いのだ。

 自分の存在ひとつで容易く『筋書き』の変わる『シナリオ』が。

「わたしは……臆病者です」

 名も知らない―――知りたくもない―――140名の命よりも。
 それら全てを見捨てて、自分の『知っている筋書き』を護って。
 改編したいと願う分岐点まで、あるがままを受け入れようなどと。



 結局は『筋書き』という『預言』に、すでに自分さえもが『縛られている』。
 これではアニスを含む、オールドラントの人間と何も変わらない。

 そう気付くのは、もう少し後になる。






  

アニスを排除すれば、『アニスの役割』を演じる者がいなくなってしまう。――――――アニスがいなくなって困るイベントって、ありましたっけ?(爆)
ちょっと、書いてて思った。
ガイがいないとタルタロスからの脱出シーンとか、カースロットの時とか困るけど、アニスは……何か大事なことしてました?
せいぜいイベントシーンでイオンの手を引いて走っていたイメージしか(おい)