「……?」
覚醒に向かう意識のなかで、見知らぬ天井には眉を寄せる――――――と、不意に鈍痛に襲われた。
「痛ぅ……」
無意識に手を左頬にあて、庇う。
冷えた指先が、熱を持った頬に心地よい。が、その頬に感覚はない。
指の冷たさは感じるが、指の感触はわからなかった。
鈍痛のおかげで覚醒した意識のもと、左頬に残る熱の正体をは思い出す。
(……痛い。
ルークのあほ……)
眉を寄せれば、それだけで顔の筋肉が引っ張られ、頬の痛みを訴えてくるのだが。
そうは解っていても、眉は無意識に寄せられてしまうのだ。自分の意志で戻すことはできない。結果、じんじんとした鈍痛が頭に響き、思考がなかなか纏まってくれなかった。
鈍痛に邪魔されながら辿る思考の中、纏まってくれない思考ながらも強烈に残っている印象から――――――は鈍痛の正体を思い出す。
自分はルークに殴られた。
否、殴り飛ばされと云った方が正しい。
「……痛い」
むっと眉を寄せ、はルークに殴られた左頬を撫でる。
冷静になってみれば、確かに自分も少々云い過ぎた気がするが。
それにしても、自分が劣勢になったからといって、感情に任せて女性を拳で殴るとは――――――と眉を寄せ、は思い改めた。
ルークならば、ありえる。
あの『親善大使』様であれば。
現在のルークは、体が大きいだけの『子供』だ。
子供というものは、総じて力加減という物を知らない。
ルークも、が女性だからとか、自分が男性の力を持っているとか、そういった力加減は全く考えられないのだろう。そういう必要があることも知らないし、男女以前に他者との関わり方すらも知らない。普通、人とつき合う上で必要になってくる力加減など、日々の交流の中から自然と身に付けていくものだ。けれど、屋敷の中に軟禁されて7年間を過ごした―――7年間といえば、ルークの人生の全てだ―――成長期を思えば、仕方のない事かも知れない。
さらに云えば、剣術等の相手をしていたガイやヴァンはルークより強い。
ルークが『手加減』を覚える必要はなかったはずだ。
腹は立つが、子供相手にの正論は通じない。
は頬を撫でながら、ゆっくりとベッドから体を起こした。
は、自分が寝かされていた部屋を見渡す。
ジェイドの部屋や、通路から覗いた部屋とは印象が違う。
白を基調とした、パイプ製のベッドが多い―――といっても、二段ベッドではない―――部屋。
壁には棚があり、おそらくは薬品であろう、小さな瓶がいくつも並んでいる。
かすかに漂うのは、消毒用のアルコール臭。
おおまかな印象としては『保健室』。
ここが軍用艦の中と考えれば、『医務室』に当たる場所だろう。
の体にかけられた掛布からは、石鹸の香りがした。
「……気がつかれましたか?」
「?」
がベッドの上から部屋を見渡していると、背後から遠慮がちに声をかけられる。声の聞こえた方向に顔を向けると、マルクトの軍服に身を包んだ青年が1人、ドアの横に立っていた。
「……あの?」
「はい」
見覚えのない顔にが首を傾げながら問うと、青年は姿勢を正して間をおかずに答える。
直立不動という言葉が良く似合う青年に、は笑みを誘われ……引きつった頬からの鈍痛に眉を寄せた。
「痛ぅ〜」
「大丈夫ですか?」
「……はい」
完全に大丈夫とは云いがたいが。
我慢できぬ痛みではなかったし、青年に痛みを訴えたところで、痛みが消えるわけでもない。
は冷たい指で頬を冷ましながら、青年を見上げた。
「ティアと……ルークは?」
ルークと別の部屋に寝かされていたことは、なんとなく納得がいくが。
あの責任感の強いティアが、自分の側にいないというのも、不思議な気がした。
「あの二人は、一応国境侵犯として拘置しておりますので、
あなたと一緒に行動をとらせることはできません」
導師イオンの『客分』としてのと、国境侵犯という『犯罪者』であるティアとルーク。ルークとの仲違いであっても、周りのとる処置には違いが出てくる、と云うことだろう。『客分』と『犯罪者』であれば、当然の事だ。
「……ですが、現在は師団長の計らいによって、
『軍事機密に関わる場所以外へは自由に入って良い』と許可がでていますので、
二人とも艦内を散策している事かと思われます」
「そう、ですか」
姿勢を崩すことなく続ける青年から顔をそらし、は足を床に下ろす。
艦内を自由に散策――――――ということは、一回目の交渉の後か、とは『イベント』の『進行』を確認する。
自分をベッドに寝かせた人物が脱がせたのだろう靴に足を入れると、再び遠慮がちな声に話し掛けられた。
「あ、あの……!」
「はい?」
顔をあげると、人のよさそうな顔つきをした青年と目があった。
「ご気分は、よろしいですか?」
「?
少し顔が痛いですが、それ以外は別に……」
「では、自分はあなたが目覚めた事を師団長に報告に行きます。
あなたの艦内での行動は制限されておりませんが、あまり医務室から出歩かないことをお勧めします」
「?」
ジェイドの部屋とは違う白を基調とした部屋に、『医務室であろう』と予想はしていたが。
医務室から出るな、とはいったいどう云う事だろうか。
シャワーを借りたため、裸である。というのならば、出歩く事を注意されるのも納得できるのだが。
首をかしげるにかまわず、青年は敬礼。そのまま踵を返すと、通路へと続くドアを開く。
「では、失礼します」
「はい。
……御苦労さまです」
結局、言葉の真意を問うことなく、は青年を見送った。
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