「じゃ〜んっ!
 大佐の私室に御案内〜っ!!」

「え?」

 部屋に入るなり説明を始めるアニスに、はゆっくりと瞬いてから室内を見渡す。
 通路から覗いた他の部屋よりは、やや広い。
 他の部屋には2段ベッドがいくつもあったが、この部屋にあるベッドは一つ。さすがに『大佐』という階級にあっても、軍事目的に作られた装甲艦内にあるベッドに無駄な装飾はない。かろうじて2段ベッドか個人用のベッドか、といった所に差がある程度なのだろう。
 を室内に引き入れつつ、アニスは艦内備え付けの衣装棚からタオルを取り出した。その際に棚の中が見えたが、サイズの同じ黒い軍服が2着。大佐の部屋と断定していたからには、ジェイドの物なのだろう。洗い変えを考えて2着。現在着ている物を入れても3着。無駄がないというよりは、無頓着といえなくもない。
 タオルを持ち出し移動するアニスに続いて部屋を横切りながら、は壁と向き合うように設置された机を見る。うずたかく積み上げられた書類と本の塔からは、付箋が見え隠れしていた。

「……大佐の部屋に、何か用があるの?」

「あれ?
 他の兵士さん達も使うとこのが良かったですか?」

 ドアの向こうに姿を消し、タオルを置いてからすぐに戻ってきたアニスが、を見て首を傾げる。その視線を受けて、はさらに困惑を深めた。

「???
 あの、アニス?
 主語がないから、まったく伝えたいことがわからないんだけど……?」

「あ〜っ! そーでした」

 言われてようやく気が付いたのか、アニスはぺろりと小さく舌を出す。

様、森で何かしたんですか?」

 アニスに手招かれ、移動した狭い部屋はシャワールームになっていた。
 シャワー備え付けのアコーディオンドアを開き、アニスはをそこに押し込めると、説明をしながら作業を続ける。

「他の2人はそれ程でもないんだけど、様はすっごく臭いますよ?」

 棚にしまわれた石鹸やボディブラシを取り出しながら、アニスは臭いを嗅ぐ仕種をしてみせる。それにつられ、は自分の体の匂いを嗅いだ――――――が、よくわからない。
 そもそも、自分の臭いという物は、気づき難いものだ。
 それに、臭う心当たりは十二分にある。
 ティアとルークとは違い、自分はライガ・クイーンのベッドにまで踏み込んだ。巣としていた洞ですらもきつい臭いがしたのだ。そんな臭いをもった獣のベッドとなれば、さらに臭いはきついだろう。

「……そんなに臭う?」

 自分ではまったく感じないが。

「はい、ばっちりです」

 悪びれる様子もなく肯定したアニスに、は気恥ずかしくなり俯く。
 自分では気が付いていなかった。
 それにくわえ、程度の差はあるとはいえ、臭うという面では同じであろうティア達と離され、わざわざシャワーを用意される……ということは、相当臭うのだろう。何もいわなかったが、イオンやジェイドも臭いと思っていたのかもしれない。
 そう考えると、穴があったら入りたい気分になった。

 気恥ずかしそうに俯いたに、アニスは苦笑を浮かべながら続ける。

「それでですね、大佐がタルタロスのシャワーを使っていいって云ってくれたんです。
 沢山の兵士さん達が共同で使っているとこより、個室の方が良いかな? って思って、大佐の部屋にしたんですけど。
 あ、鍵も預かってきたんで、大佐だって覗けませんので、御安心ください」

 ぽんっとアニスは薄い胸を自慢げに叩いた。

 その笑顔を見つめつつ、は気が付く。

「……でも、身体の臭いを取っても、服が臭うから……」

 シャワーを浴びる意味はないのではないか。

「大丈夫ですよ。
 タルタロスには最新式譜業乾燥機もついているんです。
 だから、様がシャワーを浴びている間に、さくっと洗って乾かしちゃいますから」

 タルタロスは戦争のための軍用艦とはいえ、多人数の人間が共同生活できるように作られている。食堂、シャワー、ベッド、談話室があれば、当然のように洗濯をするための設備もあった。

「さ、様はさくさく服を脱いじゃって下さい」

 シャワールームに立つに石鹸とボディブラシを押し付け、アニスはアコーディオンドアに手をかける。

「あ、下着はもちろん、靴も脱いで下さいね。
 それとも、手伝いましょうか?」

 さりげなく足された言葉に、はボディブラシを抱きしめた。

「だ、大丈夫です」






 アコーディオンドアを閉め、は改めて閉じ込められた狭い空間を見渡した。
 バスタブはない。
 シャワーだけの、本当に簡素な『シャワールーム』。
 それでも『大佐の部屋』ということは、他のシャワールームに比べたらマシな方なのだろう。

 ジェイド個人『だけ』が使うシャワーという部分に、多少の気恥ずかしさを感じつつ、は服を脱ぐ。服を着ている限りは気づかなかったが、背中の部分が泥だらけだった。汚れているのは背中だけではない。改めて見下ろせば、ライガ・クイーンの血で下着まで赤黒く染まっていたし、靴も酷い。そう云えば、上半身はライガ・クイーンの血を浴びたが、足はライガの卵を叩き割った。卵の腐った臭いは、強烈な悪臭を放つものだ。自身が気が付かなかっただけで、周りにどれほどの悪臭を放っていたのだろうか。

 靴と靴下を脱ぎ、最後の一枚となった下着を脱ぐと、

「そだ、使い方を説明しますね〜」

と、アニスが断りなくアコーディオンドアを開いた。

「え? ええっ!?」

「はぅあ!? おっきい!」

「アニスっ!」

 目を丸くして驚くアニスの視線の落ち着いた場所に気がつき、は咄嗟に胸を隠す。同性であるのだから隠す必要ないのだが、恥ずかしい物は恥ずかしい。
 口調を厳しくし、軽く諌めるように睨むと、アニスはの胸から目を反らし、小さな声で詫びた。

「えへへ、ごめんなさい〜」

「ドアを開けるなら、一声かけて……」

「ほえ?」

 抗議の声をあげるの方に目をとめ、アニスは首を傾げる。自分とくらべるまでもない胸に興味はあったが、それよりも興味を引くものが、の肩にあった。

「どうしたんですか? その痣」

「痣?」

 心当たりのない単語に、はアニスの視線を追って、自分の肩を見る。
 そこにあるのは、昨日までは確かになかった5本の痣……内出血。どこかにぶつけた憶えはないのだが――――――

「……あ、ライガ・クイーンの所で、大佐が助けてくれた時の……かな?」

 あの時、ライガ・クイーンに振り飛ばされたを、ジェイドは抱きとめた。咄嗟のことであったため、気にはしていなかったが……ジェイドはを片腕の力だけで抱いていた。ジェイドの腕力に驚きはしたが、当然のように力がかかるの肩にも負荷がかかっていたのだろう。その証拠が、肩に残った内出血。おそらく、ジェイドの手を同じ位置に置いてみれば、ぴたりとサイズが合うはずだ。

「ふ〜ん。そーだったんですか」

 まじまじと顔を近付け、アニスは相づちをうちながらの肩を見る。
 素肌近くに顔を寄せ、まじまじと見つめて来るアニスの視線を居心地悪く感じ、が目を反らすと、それを待っていたかのようにアニスの視線が忙しく動く。肩筋からうなじを見上げ、恥じらって伏せられた黒く長い睫毛を確認し、その奥にある漆黒の瞳を見つめる。内出血に視線を戻しながら薄い産毛を確認し、視線を下に落した。

「……そうそう、こっちの蛇口がお湯で、こっちが水です。
 温度調節は自分でして下さいね」

 ひとしきりを観察した後、アニスは何ごともなかったかの様に明るい声を出す。
 シャワーから生えた2つの蛇口について説明をすると、アニスは脱いだ物を拾った。

「それじゃ、服洗ってきますね。
 鍵は閉めていきますから、この部屋から出ないでくださいよ。
 男の人ばっかの陸艦で、裸で艦内うろついていたら、襲われたって文句いえませんからね」

「しませんっ!」

 そんな当たり前の忠告をされなくとも、は部屋どころか、シャワールームから出る事すらできない。
 服はおろか、下着までアニスの腕の中にある。

 これでは移動のしようがなかった。